ポケモン | ナノ


(どうし、よっ…どうしよう…!)

頬が、熱い。胸が、ドキドキを通り越してバクバク言ってる。
急いでるわけでもないのに居てもたってもいられなくて、息を切らしながら走る傍ら、気を抜けばへにゃりと笑ってしまいそうになる口元を懸命に引き締めて目を閉じた。

だって――だって。ノボリさんに、ポケモンミュージカルに誘われてしまった。
憧れの、ノボリさんに。これで落ち着いてなんていられるわけがない。

「〜〜〜〜っ!!」

単に、私に声をかけてくれたのは気まぐれだったのかもしれない。
クダリさんと都合が合わなくて、その代わりに過ぎないのかもしれない。
――それでも、例えそうであったとしても、私は嬉しい。
ノボリさんが、他の誰かじゃなく私を選んでくれたことが、嬉しい。

(それにっ、ふ、二人で出掛けるなんてまるで――)

その先を考えて、また顔が熱くなった(今なら私、オーバーヒートだって出せるかもしれない)
いや、ちゃんと訊いたことはないけど歳だって多分結構離れてるし、私が彼を『お兄ちゃん』みたいだと感じるように、ノボリさんだって私のことを、良くて妹程度にしか思っていないだろう。
だけどやっぱり、男の人と二人で出掛けるなんて初めてで……どうしても意識してしまう。
自分でもわかるくらい、恥ずかしいくらいにわくわくしてる。

(なんだろう、最近なんだか、すごく運がいいって言うか)

バトルサブウェイの外でノボリさんに会えるだなんて、少し前までは考えもしなかった。
あのノボリさんが、私のことを気にかけくれて、お部屋にまであげてくれて――しかも今度は、一緒にお出かけだなんて。
幸せすぎて少し、恐いかもしれない。

(う、わあ…!なに、着ていこう!)

「っっ、きゃ?!」

『可愛い服、あったかな』なんて考えながら角を曲がろうとしたところで、身体にドンと衝撃が走った。
ちょうどこっちに来ていた誰かとぶつかってしまったみたいだ。

「ごっ、ごめんなさい…っ!」

カラカラと石畳の上を何かがすべる音。
倒れはしなかったけど、驚いて咄嗟につぶってしまった目を開ければ、そこにはスラリと背の高い女性の姿があった。

「大丈夫?落ちたわよ」
「――ぇ、あ……えっ?!」

その足元に転がったもの――ぶつかった拍子に私のポケットから落ちてしまったライブキャスターを拾って差し出す、繊細な白い手。
聞き覚えのある声に一瞬耳を疑って、マジマジとその人の顔を見る。
透き通るようなライトブルーの瞳に、キラキラ明るいベビーブロンド、お人形さんみたいに整った非の打ち所のない綺麗な顔。
こんな完璧な人、私は一人しか知らない。

「かっ、か…カミツレ、さん……!!」
「あら、あなた……」

このライモンシティのジムリーダーをしつつ、モデルのお仕事もこなす、まさしく雲の上の人。
女の子なら誰でも憧れる、そんなカミツレさんに偶然出会って――と言うかぶつかってしまい、私はさっきまでとは別の理由でドキドキした。
カミツレさんが少し背を屈めて、私の顔をじっと見つめるから尚更(う、あ、あ…!)

「思い出した!あなた、ジム戦に挑戦しに来た子よね?」
「!!はっ、はい!覚えててくれたんですかっ?」
「もちろん!あなたとっても強かったもの。えっと確か名前は……」
「ナマエ、です!」

うそ、うそ!まさかカミツレさんに覚えててもらえたなんて…!
嬉しすぎてなんだかもういっぱいいっぱいになりながら、無駄に大きな声で答えた私に、カミツレさんは呆れるでもなく「そう、ナマエちゃん!」と、ニッコリ笑顔で返してくれる。
同性の私でも思わずドキリとしてしまうんだから、カミツレさんの笑顔はメロメロ以上の効果だ。

「あのっ、ぶ、ぶつかっちゃってごめんなさい…!私、ちゃんと前見てなくて…!」
「いいのよ。あなたも怪我はしてない?」
「はいっ、それはもう全然大丈夫です!ありがとうございます…!」

差し出されたままだった私のライブキャスターを受け取って、何度もペコペコと頭を下げているとカミツレさんが小さく笑った声がした。
ふわりと私の肩に乗せられた手につられて顔を上げれば、カミツレさんの指先が私の頬をふにっと突く。
びっくりして目を丸くした私に、カミツレさんは蠱惑的な笑みを浮かべた。

「――あなた、強いだけじゃなくてとっても可愛いのね、ナマエちゃん?」
「〜〜〜??!」

(なっ、かっ……?!)

可愛いのは、あなたの方です。
心の中で叫んだ言葉も、結局声にはならなかった。
ただ真っ赤になって固まるしかできない私にカミツレさんはいっそう楽しそうにクスクス笑って肩をすくめる。
なんと言うか、本当に動作のひとつひとつが洗練されていて、目を奪われる。
そんなカミツレさんにぽーっとして見とれていると、カミツレさんがハッと思い出したように腕時計に目を走らせた。

「いけない、そろそろ行かなくちゃ。またね、ナマエちゃん」
「あっ、はい!お気をつけて…!」
「ふふ。明日のライモンニュース、楽しみにしてて!『ジムリーダーカミツレ、サブウェイマスターに圧勝!』ってね」

『サブウェイマスター』
不意打ちのその言葉で浮かんだノボリさんの顔に、胸が引き攣ったような感覚。
まさかカミツレさんの口からその名前が出るとは思わなくて、心臓がひとつ、痛いくらいに跳ね上がった。

「――バトルサブウェイに、挑戦するんですか…?」
「ええ。今夜はオフだから久々にね。あの双子とは昔からの付き合いなのよ」


「勝ったら今夜は、とびきりのディナーをおごらせてやるわ」


イタズラっぽく目を細めて笑ったカミツレさんが、「じゃあね」と優雅に手を振って、軽い足取りで私が来た道を辿る。
その後姿を、私は呆然として見送ることしかできなかった。

(知らなかった……)

ノボリさん、カミツレさんと食事に行くような仲、だったんだ……。
そう思った途端、息が苦しくなって、胸元のシャツを握り締めた。

なに。
なんなの。この、モヤモヤ、ズキズキ。
胸が重くて、息をするごとに肺の中が黒く淀んでいくような。
――こんな気持ちを、私は知らない。

「っ……帰ろ」

浮かれて走ってた数分前が嘘みたいに、足が重い。
そのままいつもの倍以上の時間をかけてノロノロと家に帰ると、何もかもが億劫になり、夕飯も食べずポケモンたちのご飯だけ用意して制服のままベッドに倒れこんだ。

結局その夜、私のライブキャスターが鳴ることはなかった。




(11.11.20)