見えない歯車が噛み合って、世界が廻り始めた。 ――そんな気がした。
「ナマエ、今日はどこ行くの?」 「えぇと……そろそろライモンシティ以外に足をのばしてみようかな、とか……」
朝食の席。まだ寝癖を残したままのクダリさんの言葉に、チラリと隣のノボリさんの横顔を窺いながら返事をする。
外出許可が出てはや一週間。 慣れないうちは、と言うことで、今までは二人についてライモンシティに行って、仕事が終わる時間までスタジアムに行ってみたり、ミュージカルを覗いてみたり、バチュルを鍛えたりしてみたけど、そろそろ他の町にも行ってみたい。
既にワイシャツをパリッと着こなしいつでも出勤できそうなノボリさんは、俺の言葉にほんの一瞬、コーヒーカップを持つ手を止めて、だけどすぐに何事もなかったかのようにそれを口元に運んだ。
「……よろしいのでは?バチュルもバトルに慣れてきたようですしね」 「バチュ!」 「!!」
やった。 テーブルの上では褒められたバチュルが自慢げに鳴き、下では俺の腕が、すんなり話が通ったことに対して密かにガッツポーズをきめる。 よしよし。徐々に行動範囲が広がってきた。 いつまでもうじうじしてたってどうにもならないんだし、この状況をもっとポジティブに捉えて、色々見て回らなきゃ絶対損だ。なんてったって俺は今、ポケモンの世界にいるんだから。
「じゃあさ、シッポウシティとかどう?」 「シッポウシティ?」 「そ!ジムも兼ねてる博物館がある!ポケモンの本もいっぱい!きっとナマエも気に入るよ」
――と、そんなわけで。
「へぇ……“芸術の街”、ね」 「バッチュ!」
やってきましたシッポウシティ。 ライモンシティも賑やかなところだけど、ここはまた違った華やかさがある。 クダリさんから聞いた通り芸術家の集まる街らしく、そこらじゅうになんだか深い意味のありそうなモニュメントがあったり、倉庫の壁がペイントされてたり。道行く人もおしゃれな格好をしている人が多い……気がする。
物珍しさにバチュルと一緒になってキョロキョロしながら歩いていると、目的地は案外あっさりと見つかった。
(さすが、でかいなぁ……)
博物館に図書館、それにジムを兼ねてるんだから、この派手な街の中でもかなりの存在感だ。見上げていると自然と感嘆のため息がでる。 ああ、これは……なんというか、
(ワクワクする……!)
この建物の中には、まだ知らないことがたくさん詰まっている。 そう思うといてもたってもいられなくなって、飛びこむように博物館のドアを開けた。
「――ッ……カイリュー!!」
瞬間、目に入ったのはフロアの中央にドンと構えた、大きな骨格標本だった。 うわ、うわこれ絶対カイリューだろ!やばい知ってるポケモンてなんかすごい興奮すんだけど!!
(こっち来てから知ってるポケモン見るのって初めてだ……!標本だけど!)
ああ、やっぱでかいなぁ!カッコいいなぁ!!憧れるなぁ!!実物も見たいなぁ!! 一気に高揚した気分のまま、標本の周りをぐるりと回って、また正面に。 堂々たる姿を見上げてうっとりとまたため息をついた俺の背後で、その時不意に、女の人の声がした。
「――アンタ、そんなにカイリューが好きなのかい?」
「、へ?」
一瞬、自分に話しかけられたのかわからず反応が遅れた。 驚きながら振り向けば、そこには恰幅のいい、エプロン姿の女の人。爛々とした釣り気味の目が興味深げにこちらを見つめていて、なんとなく背筋が伸びた。
「あっ…と、いやあの……知ってるポケモン、だったから、つい」 「おや。ってことはあれかい?アンタ、イッシュに来たばかりかい?」 「えぇ、まぁ……そんな感じです」 「そうかいそうかい!」
ニッコリ、快活に笑うその表情に密かに息をつく。どうやら悪い人じゃないようだ。
「申し遅れたね。あたしはアロエ。この博物館の館長であり、シッポウジムを預かるジムリーダーだ」 「!!は、はじめまして!俺っ…じゃなくて、ワタシ!ナマエっていいます!」
差し出された掌に慌てて手を伸ばせば、ぎゅっと強く握られた。 なんか、いきなりえらい人に会ってしまったけど――随分家庭的な雰囲気の人だ。『肝っ玉母さん』とか、そんな雰囲気がある。それに、手がすごくあたたかくて、不可抗力に緊張が溶けてしまう。この人、悪い人どころか絶対的に良い人だ。
「イッシュに来たばかりなら、ココは最適の場所だよ!なんてったってここはイッシュいちの所蔵数を誇る書庫があるんだからね!イッシュの歴史、文化、ポケモンの生体……知りたいことはなんだって調べられるさ!もちろん、イッシュだけじゃなくて他の地方のこともね!」 「それは――なんと言うか、目移りしそうですね」 「好きなだけ入り浸ればいいさ。ああ、そうだ。アンタその様子だとここに来るのは初めてなんだろう?だったらあたしが案内したげるよ」
「ついておいで」と、踵を返したアロエさんにウインクされて、お言葉に甘えることにした。 実際どこに何があるのかわからなかったし、案内してもらえるのは素直にありがたい。 お礼を言ってその背中を追いかけ、博物館の展示フロアを抜けてたどり着いたのは何階層にもなる大きな図書館だった。
「ひろっ……!」 「そうだろうそうだろう」
圧巻の光景に思わず呟いた俺を振り向き、アロエさんは誇らしげに相槌を打つ。 その足取りが止まり、腰に両手をあてたアロエさんが俺の目を見て軽く首を傾げた。
「さぁ、ナマエ。アンタは何を調べたい?」 「えっ!え、っと……何だろう………と、とにかく何でも知りたいんです、けど……」 「ははっ!いいね、知識欲旺盛!じゃあ一通り順番に見て回ろうか!」
咄嗟に思いつかず、曖昧に返した俺の返事にもアロエさんは気分を害した様子もなく笑い飛ばし、再び歩き出す。
扉の入口近くが児童書。ポケモンの生体からイッシュの歴史、果てはお菓子のレシピ本。 本当に、とにかくなんでもある図書館だ。
「――で、この棚はポケモンに関する神話についてだね」 「神話……?」 「ああそうさ。神話に関してはシンオウ地方の物が多いね。ほら、これなんかお勧めだよ」
アロエさんに手渡された本を受け取って腕に抱え、しっかりとした造りの表紙をめくる。 文字の勉強をしておいて良かった。これくらいなら俺にも読めそうだ。
(え、と――……『はじまりのはなし』?)
「『はじめにあったのは、混沌のうねりだけだった』」
文字を追う俺の横で、その内容を暗記しているのか、アロエさんがすらすらとそらんじてみせる。 その古の言葉の中に、心臓がどくりと、ざわめくように脈打つ箇所があった。
「『時間がまわり始めた 空間が広がり始めた』」
“時間”、そして“空間”。 本を持つ手に、自然と力が入る。 酷く喉が渇いて、キンと耳鳴りがした。
「アロエ、さん……この、『二つの分身』って、言うのは、」 「ん?ああ……これはね、ディアルガとパルキアってポケモンだと言われてるんだ。ディアルガは時を司る神、パルキアは空間を司る神。そしてこの二匹を生んだ『最初のもの』が――これだよ」
俺の腕の中の本を覗き込んだアロエさんの指が、本の下部、壁画のようなものを映した写真の中央にある、大きな光の絵を指さす。
「伝説のポケモン、アルセウス」
その名前に呼応するように、心臓がまた、大きく鼓動を刻む。
――歯車が、世界が廻る。 予感じゃなく、不思議な確信があった。
(12.11.18)
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