(※アニクダ)
『なにが?』、と訊かれたら、ハッキリ答えることはできない。 だけど――そう。漠然とした感覚で、“違う”と思った。
「――クダリさん」 「うん?どうかした?」
通路で見かけた白い背中に声をかけると、いつもの笑顔が返ってくる。 なんとなくそれにモヤモヤしながら「ちょっと」と声をかけ、腕を引っ張って近くにあった倉庫の中にクダリさんを連れ込んだ。 当然、クダリさんは私のそんな唐突な行動に三白眼気味な目を見開いて、「えっ?」なんて強張った声を上げている。 バタンと背後でドアを閉めて彼を振り向けば、吊り上った口の端もヒクリと引き攣って、挙動不審も良いところだった。
「クダリさん、あの……」 「なっ、なに?!」 「…………えっと」
あ。しまった。 何を言うか、全然考えてなかった。 クダリさんの戸惑った顔を見て初めてそのことに気が付いて、私も何となく気まずくなる。
(どうしよう……いやでも、さすがにこの状況で「あ、やっぱりなんでもないです」なんて言えない)
「………」 「………」 「………」 「………あー…と、ナマエ……?」
妙に居心地の悪い沈黙が流れた。 何をしてるんだ私は。仕事中だぞ。 勤め先の偉い人をこんなところに連れ込んでだんまり決め込むとか電波すぎる。
「――!」
どうにかこの状況を打破するために悶々と考えをめぐらせて、ふと、ポケットの中に入れていたものの存在に思い至ると、私はもう後先も考えずにそれを引っ掴んでクダリさんに押しつけていた。
「っあの…!これ、どうぞ!!」 「へっ?」
ピンク色の包装紙の、飴玉ひとつ。 クダリさんの白い手袋の上でコロリと揺れて、それを見るクダリさんの目が丸くなる。 耳に響く沈黙がもう一度横切り、ゆっくりと顔を上げたクダリさんと視線がぶつかった。
「……え、っと。ありがとう。でもどうして……?」 「その………な、なんとなく、としか」 「『なんとなく』?」
私の言葉をオウム返しにするクダリさんの声は怒っている風ではなく、ただ純粋に不思議そうだ。 いや、でもそうだろう。子供ならまだしも、クダリさんは正真正銘の成人男性。 しかも私は普段サブウェイマスターとはほとんど接点のない、ただの下っ端事務員。 そんな相手から『なんとなく』で飴玉を貰うのは、あまりいい気分ではないかもしれない。
「いや、なんと言うかですね……げ、元気がない、ような…そんな、気がして」 「――……」
クダリさんの目が、マジマジと私を見ていた。 何か言いたげに口を開いたかと思うと、きゅっと唇を結んで、もう一度飴玉に視線を落とす。 朝、出勤前に何気なく買っただけの、どこのコンビニにも売っているありふれたそれを、クダリさんはゆっくりと掌に握りしめて、それから再び私の目を捉えた。
「……どうして、そう思ったんだい?」 「えっ?や、だ、だからそれは……!」
「〜〜〜〜っ、なんと、なく、です」
だって、本当にそうとしか言いようがない。
漠然と“違う”と思ったのだ。いつもの彼じゃないと。 皆に向けられた笑顔が、無理して作られたような――何かを我慢しているような、今にも押しつぶされてしまいそうな、そんな風に、見えたのだ。 だけど、
「――ふはっ!また『なんとなく』?」
そう言って、ちょっと困ったように首を傾げて笑ったクダリさんのその笑顔はやっぱり、泣き出すのをすんでのところで堪えたようにくしゃりと歪んでいたのに。それなのに。 ――ああ、どうしてだろう。
「……ありがとう、ナマエ」 「ッ、!!」
目が、心が、逸らせなくて。 身動きの取れなくなった私にゆっくりと寄り掛かってきたクダリさんが、私の肩口に額を預けてそう呟いた時、真っ白な思考の中で無意識に動いた手は、丸くなった彼の背中をぎこちなく撫でていた。
* * *
あの日から数日。
「――ナマエ!」 「は、い?」
振り向くのとほぼ同時に、腕に抱えていた荷物がふっと軽くなる。 犯人は言うまでもなく、私を呼びとめたクダリさんだ。
「半分持ってあげる。仮眠室だよね?」 「……なんか、毎回すみません。手伝ってもらっちゃって」 「良いんだよ。僕がやりたくてやってるんだから」
アイドル顔負けのニッコリ爽やかスマイル。まぶしいですクダリさん。 『半分』なんて言いながら当然みたいに8割は持っていってしまうんだから、本物のイケメンってこわい。 なんだか最近このパターン……と言うか、クダリさんとのエンカウント率が異常に高いな、なんて思いながら適当に世間話をして、両手が塞がっているクダリさんに代わって先にドアを開け仮眠室に入った。
「ありがとうございました。その辺に置いといて頂ければ後は自分でできます」 「いいよ。これ、そっちの棚にしまっとくんでしょ?」 「いえ、あの自分で、」 「良いから良いから」
まただ。爽やかなのに、有無を言わせない笑顔。 クダリさんってこういう人だったっけ?
(――いや、確かクダリさんはもっと……なんて言うか、常に笑顔で皆に優しくて、仕事もできて、どこをとっても完璧なんだけど、完璧すぎるからこそどこか他人を寄せ付けないような雰囲気があったような……)
「……あの、クダリさん」 「うん、なに?」 「えっと……な、何か良い事でもありましたか?」
クリーニング済みの代えのシーツを棚にしまう背中にそう訊ねると、一拍置いて振り向いたクダリさんが蕩けそうに目を細める。 その眼差しに、隠しようもなく胸が高鳴った。
「また、『なんとなく』そう思った?」
コツッと、クダリさんの靴が床を蹴る音が静かな部屋に響く。 長身の彼が背をかがめて私を覗き込んで、なぜか酷く嬉しそうに表情を緩めるものだから、やられるこちらの心臓はもう大パニックだ。 ドクドクもバクバクも通り越して痛いほどに内側を叩くそれを気取られまいと慌てて目を逸らす、けど、いかんせん距離が近すぎる、ような……!
「や、その……最近クダリさん、なにかと手伝ってくれます、し、」 「うん、それは何と言うか……その、挽回、したくて」 「『挽回』?」
その言葉に逸らしていた視線をふと戻した瞬間、絡んだ視線の先でクダリさんの白い頬が、じわりと染まった。
「――好きな子に、情けない奴だって思われたままなのは、困るから」
「……え、ぁ 、」
――ああ、なるほど。 そういうことですか。クダリさん。
「クダリさん、あの、大丈夫ですよ」
緊張してるのか、赤い顔のまま唇を引き結んでいたクダリさんが小さく喉を鳴らす。 年上の男性に対して失礼かもしれないけど、なんかほんと、可愛い人だなぁ。
「私、あのこと誰にも言ってませんし、言うつもりもないですから」 「……へっ?」 「えっ?」
「「………」」
空調の僅かな音しかしない室内で、お互いがお互いのぽかんとした顔を凝視する。 え、なに。私何か的外れなことを言ってしまっただろうか。あ、うそ。どうしよう。
「っあ、ぅ…えと!そのっ、すみません私何か変なこと……!」 「いや…うん。こっちこそごめん」
恥ずかしさのあまりしどろもどろになりながら言った私を見て、何かに納得したようにふっと小さく笑ったクダリさんの表情が、瞬きひとつでがらりと変わった。
「……そうだね、まどろこしいのは抜きにしよう」
急に、どこか吹っ切れたような顔でそう言って、クダリさんの手が徐に私の手を取る。 「え」と思った時には、まるで物語の中の王子様がするように、恭しく片膝をついたクダリさんが、引き寄せた私の手の甲に静かに、やさしく、唇を押しつけて、いた。
「――君に、情けない奴だと思われたくないんだ」
「ぇ、ッ――!!?」
そ、れって、つまり、!
「……だから、ね。これから先は、もう遠慮しないから」
『覚悟しといて』
――なんて。赤い顔で言っても決まっちゃうんだから反則だ。
(12.09.24)
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