「よろしくお願いしますね、ナマエちゃん!」 (――あ、) そう、か。ナマエ『ちゃん』、なのか。 シキミさんのその言葉で、浮ついていた気分が急激に萎んでいくのがわかった。 (そうだ…俺、今『女』なんだ……) シキミさんの目に俺は、『女の子』としてしか、映っていないんだ。 そう思うと、一時は忘れかけていた憂鬱さが倍の重さを伴ってもう一度圧し掛かってくる。 だってあんまりだ。好きになった人に、本当の意味で異性として見てもらえないなんて。 (告白もしないまま失恋とか……) こういうこと考えたくないけど、やっぱり俺、結構『カワイソウ』なんじゃないだろうか。 やばい、かなりへこむ。不毛すぎる。 シキミさんの顔が見れなくなって、項垂れたいのを我慢しながら味のしなくなったクレープをもそもそ食べていると、俺の内心を感じ取ったのかバチュルが心配そうに肩口から顔を覗き込んできた。 「そのバチュル、ひょっとしてナマエちゃんのパートナーですか?」 「――え、あ…いえコイツはその……わ、ワタシのポケモンでは、ないんですけど…えっと、わけあってお借りしている、と言うか、」 「『わけあって』!?」 俺の一言に異常な食いつきを見せたシキミさんがガタンとベンチを鳴らして急に立ち上がる。 ビックリして見上げると、なぜか目の色を変えたシキミさんがパクパクと残っていたクレープを一気に食べ切って、さっき俺が拾ったあのネタ帳と万年筆をどこからともなく取り出した。 「あのですねっ、ナマエちゃん!」 「はっ、はい?」 「アタシ、アナタを一目見た瞬間に、何かビビッと来るものを感じたんです!何て言うか…言葉にするのは難しいんですけど、こう――『この子はきっと、一際特別な物語を持ってる』って……!」 「!!」 ドキリとした。 こういうのを観察眼、と言うのだろうか。とにかく、俺の『異常性』を見抜いているような口ぶりに驚かされた。 小説家ってこんなすげぇんだ。そう思いつつ背中に伝う冷や汗の嫌な感覚を追っていると、更に興奮した様子のシキミさんがズイッと遠慮なく顔を近づけてくるものだから、今度は別の意味でドキドキさせられた。 「ナマエちゃん、アナタのこと、もっと知りたいんですっ!!」 「ッ!!う、ぇ…っ!」 「ぜひぜひ、取材させてください!」 まだ出会ったばかりとは言え、密かに好意を寄せてる相手に『アナタのことをもっと知りたい』だなんて言われて、断れる奴が一体どれくらいいるだろう。 宝石みたいにキラキラ輝く目に熱く見つめられて、気づけば俺は、コクリと頷いてしまっていた。 ・ ・ ・ シキミさんの言う『取材』っていうのは、結構プライベートなことにまで突っ込んだ過激なものだった。 どうやらシキミさんの書く小説は、実際の話を物語にしたセミフィクションものらしい。 とは言っても、まさか唐突に『実は俺、異世界からトリップしてきたんです』なんて言えるはずもなく、その辺りは記憶喪失ということで曖昧に誤魔化して、俺はある日、気づけば見知らぬ電車に乗って、知らぬ土地に迷い込んでしまった、ということにしておいた。 ……いや、俺だって正直そこまで言うつもりはなかったんだけど、出だしの「どこから来たんですか?」の質問でいきなり躓いてしまい、白状せざるを得なくなってしまったんだ。 「ふむふむ…!それで、ナマエちゃんは今、記憶を取り戻す手がかりを探しながら、その恩人さんと一緒に暮らしているわけですね!」 「……そんな感じです」 ――それと、俺がもともと『男』だったってことも、言わなかった。 そんなこと言っても信じてもらえないだろうし、引かれたりしたらそれこそショックだ。 「〜〜〜ッッごめんなさい!こんなこと言うの不謹慎だって思うかもしれないけれど、でも……っ!」 スラスラと走らせていた万年筆を止め、顔を上げたシキミさんがまっすぐに俺の目を見る。 そして黒の手袋に包まれた繊細な掌が、不意に俺の手をとって強く握り締めた。 「アタシ、アナタに会えてとっても嬉しいです!!」 「――っ!!」 綺麗な笑顔だと、純粋にそう思った。 同時に、ジリジリした切なさが込み上げる。 「アナタの物語は、まだまだ始まったばかりです。これから先も、色んな困難や、挫けそうな悲しさにぶつかる事はあるでしょう。――だけどきっと、それ以上に素敵な出会いや、たくさんの喜びを見つけられるはずです!」 「アナタなら、きっと!!」 頬を僅かに紅潮させたシキミさんの、はじける様なその笑顔に、呼吸がすぅっと楽になった。 どうしてだろう。 今この瞬間、初めて俺はこの世界に受け入れられたような――いや。 『俺が』、この世界を受け入れられたような、そんな気がして。 目に映るもの全てが、頬に触れる風が、感じる緑の匂いが、 胸を衝くほど鮮やかに、自分の中に染みこんでいくのを、感じた。 「――シキミさ、」 言いかけたその時、シキミさんの腕につけたライブキャスターが控えめな電子音を鳴らして通信を知らせた。 そうすると、ハッとした表情を浮かべたシキミさんは慌ててそれを操作して、数秒画面を見つめた後に残念そうに息をつく。 どうしたのかと首をかしげながらそれを見ていると、顔を上げたシキミさんが眉を八の字に下げて苦笑した。 「そろそろお仕事に戻らなきゃ!ナマエちゃん、長く引きとめちゃってごめんなさい」 「っあ!いえ!こちらこそクレープ、ごちそうさまでした!」 気づけばそろそろ日が暮れる時間帯だ。 シキミさんに続いて俺もベンチから立ち上がり、へこりと頭を下げてお礼を言えばシキミさんがにっこり笑って肩を竦めた。 「アナタの物語が、素敵なものになることを祈ってます」 『それじゃあ』と、ワンピースの裾を翻してシキミさんが踵を返す。 離れていくその背中に俺は、本当に咄嗟に、追いすがるように声をかけていた。 「ッ――シキミさん!!」 「キャッ!はい!?」 思ってた以上に大きくなってしまった俺の切羽詰った声に驚いて、また悲鳴を上げたシキミさんがおっかなびっくり振り向く。 きょとんとした顔が、なんか、すごく――可愛いなって、思って。 つい緩んでしまう頬を抑えきれないまま、声を張って、ずっと言いたかったことを伝えた。 「――頭と服!葉っぱついてます!!」 「……っえ!?う、うそ!!早く言ってくださいよぉ!!」 「ッ それから……!!」 「また、どこかで会えますか――?」 ドクン ドクン ドクンッ 心臓が、胸の中で痛いほど暴れてる。 それを押さえて、目を逸らさずにシキミさんの顔をじっと見つめれば、返されたのは意外な台詞と、そして、 「――ナマエちゃん、ポケモントレーナーを目指してみませんかっ?」 「っ え?」 「そうすればきっと、また会えますよ!」 はじけるような、あの笑顔。 ( ああ、やっぱり俺、) この人のことが、好きだ。 例えばそれが届かない想いだとしても、報われなくとも、この世界は決して俺を苦しめるだけのものじゃない。 それを教えてくれたこの人と、出会えたんだから。 「――……帰ろうか、バチュル」 「バチュ!」 シキミさんを見送った後、肩に乗ったバチュルをひと撫でして夕暮れ色に染まる空の下を歩き出す。
――この時の俺は、まさかその後予想もしない出来事が自分の身に降りかかるなんて欠片も思わず、ただのん気に、淡い恋の余韻を噛み締めて感傷に浸っていた。 (12.04.06)
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