ポケモンをやったのは小学生の頃、親戚の兄ちゃんに古くなったソフトとやたらでかくて重いGBを貰ったからだった。 あれは確か初代の赤だったと思う。なんやかんやで一番印象に残ってるのはシオンタウンのポケモンタワーで遭遇した『ゆうれい』だ。すげぇ不気味だった。 それはさておき、当時の俺としてはかなりやりこんでハマった方だったと思うけど、周りの奴らはポケモンやってたとしても新作の方で、『通信ケーブル?なにそれウケる』状態だったものだから自然と熱も冷めてしまった。 その後もいくつかソフトが出たけど、高校からは断然モンハン派だったし、白と黒で最新作が出たのくらいは知ってたけど、まさか、こんなことが、 自分が、ポケモンの世界にトリップすることになるなんて、夢にも思っていなかった。 (――いや…!も、もしかしたらマジで夢かも!) 電車に乗ったまま転寝して、俺はただ夢の中にいるだけなのかもしれない。 きっと、次に目が覚めたらそこはいつも通りの電車の中で、不機嫌そうな車掌さんに起こされて、慌てて電車を降りて反対の路線に乗り換える。鞄の中から携帯を取り出して、乗り過ごしたから遅くなるって母さんにメールして、もう一回電車に乗って、街灯に照らされた見慣れた道を小走りに辿るんだ。もちろん男の俺のまま。 「ッ、い!」 「バチュ!」 現実逃避しかけた俺の頬に、またパリッと静電気(のようなもの)が走る。どうやらこの黄色いポケモン――『バチュル』のせいらしい。 痛ぇ。地味に痛ぇ。――痛い、ってことはつまり、ゆ…夢じゃ、ないってこと…なのか……(う そ、だろぉ……っ) 「あの、ナマエ様?本当に顔色がよろしくないようですが、どこか体調が優れませんか?」 「バチュル、こっちおいで」 ノボリさんが心配そうに声をかけてくれて、クダリさんは気を遣ったのか、バチュルを自分の手の上に呼んだ。 そのささやかな重みが無くなって、なのに、重い。頭が、肩が、胸が――ずんと重い。 一体俺はこれからどうすればいいんだ。どうしろって言うんだ。 (誰か、教えてくれよ……!) 「ナマエ様」 落ち着いた、声が――胸にストンと落ちてきた。 顔を上げれば、俺を見る灰色の瞳。 無表情で、口はへの字だけど、その眼差しはぐちゃぐちゃになった胸を凪ぐような不思議な力がある。 惹きつけられたみたいにノボリさんから目を逸らせなくなった俺に、ゆっくりと伸ばされた掌は優しく頭を撫でた。 「――大丈夫で、ございますよ」 「そうそう!大丈夫!」 バッと立ち上がったクダリさんがこっちに来て、何をするのかと思ったらいきなりぎゅむっと抱きしめられた(なっ…!) ノボリさんが「クダリッ!」と少し大げさなくらい声を荒げてクダリさんを引き剥がそうとしたけど、俺を抱きしめる――というか、抱きつくクダリさんの力は異常なほど強かった(つか苦しい!) 「だーいじょうぶ!僕たちがついてるからね」 「っっ……!」 トン、トン。 背中に回ったクダリさんの手が、ゆっくりとしたリズムで背を叩く。 子供どころか幼児扱いだ、こんなの――でも、どうし、よう。 (また、泣く……っ) 「あり がと、ぅ…ござい、ます……っ、でも、」 ダメだ。さすがにこの人たちでも、俺の帰るべき家を見つけることなんてできやしない。だってこの世界にはそんなもの、はじめから存在しないのだから。 (――このままここにいたら、ボロが出る。そしたら今度こそ、不審者だ) 確かポケモンの世界にも警察はあったはず。きっと俺はそこに突き出されるだろう。取調べを受けて、俺の証言はおそらく虚言だって思われる。頭のおかしい奴だって。それで――それから、どうなるんだろう。 予想もできないけど、これ以上この人たちに迷惑をかけるのも、警察に連行される姿を見られるのも嫌だと思った。 「すみません、ちょっと俺…っじゃなくて、わ、ワタシ、寝ぼけてたみたい、で…あの、ちゃんと、一人で家に帰れます、から…っ」 「――ですがナマエ様、先程おっしゃったご住所はこのイッシュには、」 「あ、あれはそのっ!間違えましたワタシ…えっと…!そう、引っ越してきたばっかり、で!思わず引っ越す前の住所を…!」 「だったら今の住所は?ちゃんと言えるの?」 「っっ――そ、れは……っ」 クダリさんが、じっとこっちを見る。その目は完全に俺のその場しのぎの嘘に感づいている目だった。 ちゃんと答えなければ。そうだ、さっき見た路線図の駅の中から適当なのを―― 「ナマエ。ウソはよくない」 「ッ!!」 「大丈夫だから、ほんとのことを――ぐぇ!」 俺の言葉を先回りして遮ったクダリさんが潰れたような声を上げながらようやく俺から離れた。 どうやら後ろからノボリさんがクダリさんのコートの襟を思い切り引っ張ったようだ。か、かなり苦しそうだったけど大丈夫なの、か? 「ナマエ様、どうか恐がらずに、本当のことをおっしゃってくださいまし」 「――わたくしは、あなた様のお力になりたいのです」 クダリさんを引き剥がして、俺の両肩を掌で包んだノボリさんが、真面目な顔で言う。 俺をまっすぐに見つめる眼差しはどこまでも真摯で、この人が、本気でそう言ってくれているんだということがひしひしと伝わってきた。 「っ……!」 「信じていただけませんか?」 でも、なんで。 なんでそこまで言ってくれるんだろう。優しくしてくれるんだろう。 泣き出したりしたから、情けなく見えるのか。危なっかしく見えるのか。 社会人の世間に対する義務感なんてもんが過剰に働いてるのか。 ――でも……でも、もしもそうだとしても。 追いつめられた今の俺には、向けられた優しさをつっぱねることができる余裕なんてなかった。 「お、っ…俺……!ほんと、は……!帰る、家、なく、て……!」 バカ。泣くな。 これ以上困らせるな。 震えんなよ、声。かっこ悪ぃ。 ――だけどもう、限界だ。 「どっ、どうし、たらっ い、のか…わかんな……!お、ねがっ……!」 「たす、けて……!」 「――はい」 「もちろん!」 もうそれ以上、顔を上げていることができなくて、涙の止まらない目を覆って俯いた俺を、今度はノボリさんがやわらかく抱きしめた。 トン、トン。また背中を叩かれる。兄弟揃って、ちくしょう。幼児じゃねぇんだぞ。 そんな、頭の中では可愛くないことを思いながらも身体は正直で、気づけばノボリさんのコートをぎゅっと握り締めてしまっていた。 (ああ、どうして、だろ……) ついさっき会ったばかりの他人なのに。 ほんの数分前まで絶望に打ちひしがれていたのに、どうにかなるんじゃないかって。 『大丈夫』だって、思えたんだ。 「ぐずっ…そ、それから俺…っ、お、男だから……!」 「え゛」 「マジでか」 むにゅ。 「ひぎゃっ?!」 「ええ?おっぱいあるよ?ちっちゃいけど!」 「クダリィィィ!!!」 ――前言撤回。 やっぱ割と大丈夫じゃないかもしれない(おおお、おっ、ぱい…とか、言うな!!)
(12.01.12)
|