ガタン ゴトン 意識の片隅で自分の身体が僅かに揺られるのを感じる。 それがとても心地よく感じられて、自然と重くなる瞼に抗わず目を閉じた。 ガタン ゴトン 眠気に引き摺られた意識がふっと遠くなる。 電車の揺れが、周りの雑音が、薄いカーテンを幾重も重ねた向こう側の出来事のように、遠退いていく。 ああ、眠い。ダメだ。降りる駅はあといくつ先だったか。車内のアナウンスも全く頭に入ってこない。それくらい、ひたすらに眠い。眠い。どうしてだろう。すごく、眠い―― (や、ば……) ねむい 「お客様」 「――ッ!!!」 ビクリ。肩を揺すられて、心臓が飛び上がった。 うわ、今、ダセェ。すげぇビビッた。カッコ悪ぃ。 まだドキドキと活発な収縮を続ける心臓を服の上から思わず押さえて、ふと感じた違和感。 (ん――?) なんだ、今、何かありえない感触があったような。 確認するため視線を下げようとした瞬間、また頭上からかけられた無機質な声がそれを遮った。 「お客様、終点でございます」 「へ?え――え、あ……しゅう、てん……?」 「はい。申し訳ございませんが、降りて頂けますでしょうか」 「あ。はい…どうも、すみません」 顔を上げたそこに居たのは、随分とまた個性的なコートを着た外人の車掌さん(多分)だった。 一瞬コスプレかと疑ってしまうほど奇抜な格好だ。こんな派手なコート着た駅員見たことないぞ。 でもまぁ口ぶりからして関係者には違いないだろう。近頃は鉄道会社も色々な試みに取り組んでるのかもしれない。 長い付き合いだけど、知らなかったなぁ。その試みが迷走のちに黒歴史にならないことを祈ろう。 「お気をつけて」 ……無表情のまま気を遣われてしまった。いやマニュアルなんだろうけど。 それでも何も返事しないってのはどうかと思うので、一応へこりと会釈だけ。 そのまま電車を降りて、くあと大あくび。やっちまったなぁ。終点だって。どんだけ疲れてんだよまだ高校生だっつーのに。 (で、何駅戻れば良いんだ?) そもそも終点まで乗り過ごしたのなんか初めてで、ホームに見覚えはない。 とりあえず目の前に時刻表があったのは良いんだけど…なんだこれ。 (……イタズラ?) 困ったことに全く読めない。暗号か何かだろうか。いやそれにしたってなんで暗号。 理解不能なそれを解読するのは早々に諦めて、今度は駅員さんを探すことにした。とにかく早く帰らないと門限に間に合わない。ていうかマジでここどこだ。えらい田舎に見えるんだけど。 「あ、すみません」 「はい、どうかされましか?」 階段を昇ると運よくすぐそこに駅員さんがいて(さっきの人とは違って今度は普通の制服だ)声をかければ愛想の良い笑顔が返ってきた。よかった。親切そうな人だ。 「あの、ここって何駅ですか?」 「?カナワタウンですよ」 「……カナワタウン?」 どこだそれ。 不思議そうに、口元で笑みを作ったまま首を傾げた駅員さんにつられて自分も首を傾げる。 そんな駅――と言うか、そんな土地があっただろうか。一度も引越しなんてしたことないから地理に明るくないわけじゃないし、終点とは言ってもいつもと同じ電車に乗ったわけだから知らないなんてことはない、はずなのに。一体全体どういうことだ。 「え、と……じゃあ、新宿まではどうすれば戻れますか?」 「シンジュク?えーと…そんな駅あったかな…」 「(えええー)」 いやいや。『あったかな』じゃなくて駅員だったら把握しとこうぜ。てか新宿わからないとかどこの山奥から出てきた田舎者だ。 なかなか思うように行かない苛立ちを内心の愚痴に込めて駅員のお兄さんが胸元から取り出した手帳をペラペラ捲るのをじっと黙って見守る。 そうすると、不意に駅員さんの向こうから「おーい」と明るい声が聞こえた。 「カズマサ、何してんの?」 「ああ、ボス!丁度良いところに!」 「ッ??!」 ど、ドッペルゲンガー?! 現われた『ボス』とやらは、さっき電車で俺を起こしたあの無愛想な車掌さんと瓜二つの容姿をしていた。違うのは、着ているあの奇抜な制服がさっきの人とは対照的な真っ白で統一されてることと、口元に絶えず笑みを浮かべていること。 同一人物かとも思ったけど、多分、違う。 今の時間にスラックスまで着替えるのは恐らく無理だし、それにこの人は橋の向こう側から来た。 「ボス、『シンジュク』って駅わかります?」 「なにそれ。聞いたことない」 「ですよねー。いや、こちらのお客様がその駅まで行きたいみたいで」 「……ふぅん?」 パチリ。白いその人と視線がぶつかって、思わず肩に力が入った。 なんか――恐い。無遠慮な視線が、笑う口元とは違って、値踏みするようにこちらを見る目が。 同じ顔だけど、無表情だったけど、さっきの黒い人の方がよっぽど―― 「クダリ、カズマサ。どうされましたか?」 「あ、ノボリー!」 思ったちょうどその瞬間、タイミングよく後ろから声が聞こえて。 まさかと思って振り向いてみれば、予想通りさっきの黒い人がいた(やっぱ別人だったんだ) 「ノボリ、『シンジュク』駅、わかる?」 「『シンジュク』でございますか……?はて、聞いたことがございませんが、何か?」 リプレイか。心の中で突っ込みながら肩を落とす。ほんとにどこなんだここは。3人も大人がいるのに誰も新宿知らないとか。 密かにため息をついたその時、急にガシリと肩を掴まれて思わず悲鳴をあげかけた(ちょっ…!) 白い人が、俺の両肩を掴んで黒い人に突き出したのだ。 「この子がさ、そこに行きたいんだって!」 「――おや、あなた様は先程の」 「っ……ど、どうも」 黒い人が目を瞬かせてこっちを見る。その視線が、やっぱり痛い。 なんか、3対1にもなるとこっちが変なこと言ってるみたいな雰囲気になって嫌だ。しかもこの双子(多分)めっちゃデカい。挟まれると威圧感半端ないし、これ以上不審者を見る目で見られるのはご免だ。 「『シンジュク』、『シンジュク』……どこか別の地方の駅でしょうか…」 「ねぇ君、名前は?住所どこ?トレーナーカードある?」 「え?や……あ、あの、大丈夫です。なんとかして帰りますから」 駅員さんとは言え、このご時勢、個人情報を軽々しく口にするのは憚られる。 それにトレーナーカードってなんだ。学生証とか定期とかじゃなくて?それとも何かクレジットカードの一種だったりするのか。持ってないからよくわからないけど、もしかして今俺、ドサクサに紛れて金品巻き上げられようとしてる? いやいや、家まで帰れるかどうかって時に所持金ゼロはさすがに死亡フラグすぎるだろ。 駅員さんたちを刺激しないように曖昧に笑って誤魔化し、そろそろと後退する。 心の中で3つ数えたら、一気に走って逃げよう。 1…2の…ッ 「お待ちくださいまし」 「ッッ?!」 『3』の直前で、黒い人にガッチリと腕を捕まえられてしまった。 ドッドッドッ。心臓が激しく暴れまわり、背中に冷たい汗が滲む。 ――だけど、恐怖で完全に強張った顔をしてしまった俺に、黒い人はハッと息を呑んで慌てたように手を離し、「驚かせてしまって申し訳ございません」と丁寧に頭を下げられた(あ、れ……?) 「もう日も暮れて参りました。見たところ手持ちもないようですし、お一人で出歩かれるのは危険かと」 「え……?や、手持ちって……!」 「ノボリの言うとおり!」 『手持ち』って、え、やっぱりカツアゲだったのか――! 今度こそ引き攣った笑みを浮かべて後ずさる俺の鼻先に、白い人が「めっ!」と人差し指を突き立てる。 ――その口から続いて飛び出した言葉に、正気を疑った。 「君みたいな女の子が、ポケモンもなしに出歩いちゃダメ!」 「――……は、ぁ?」 『ポケモン』? いい大人が何言い出してんだ――いや、そうじゃ、なくて。 「お、んなの…こ……?」 俺が? 「――……」 おそる、おそる、視線を下に下げる。 そう言えばなんか妙に声高いなとは思ってた、けど、いや、嘘だろ。風邪とか、そんなんだろ。 いやいやいやだって常識的に考えて、ありえない! お、男が、女になるとか、そんな――! 「――!!!」 見慣れた制服の、ベストの胸部分に、ささやかな膨らみ。 反射的にそれを掌で鷲掴んで、今度こそ俺は声にならない悲鳴を上げた。 むにゅり。 やわらかい、未知の感覚が、一回り小さくなった掌にしっかりと伝わった。 (12.01.09)
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