ポケモン | ナノ


「今までありがとうございました。不甲斐ない兄でしたが、双子としてあなたと暮らしてきたこれまでの人生、とても楽しかったです」
「待って待って待って。どうしてそうなった!」

玄関から聞こえた大きな物音に何事かと駆けつけてみれば、ノボリが行き倒れていた。しかもマジ泣きしながら(ノボリが泣くとこ見るのなんて子供の頃以来だ)
僕としては、あの後ノボリがナマエちゃんに告白して見事ハッピーエンド――っていうのは覚悟してたんだけど、この様子を見る限りどうやらそうではないらしい。いや、むしろ正反対だったのか。
とにかく、ノボリはこの世の終わりのように青い顔をして、両目からボロボロと大粒の涙を零していた。多分、家に帰るまで必死に我慢した結果がこれなんだろうけど……こう言っちゃなんだけど無表情でそれはなかなか恐いよノボリ。

「わたくし、ナマエ様に……ふ、ふられてしまいました…!もう生きていけません!!シャンデラ!わたくしに向かって『オーバーヒート』!」
「シャンデラ!ストップ!ストップ!!」

ノボリの自暴自棄すぎる指示にさすがに戸惑うシャンデラをノボリからどうにか奪ったボールに戻すと、ドッと押し寄せた疲労感に全身の力が抜けた。
まったく……玄関で双子の兄が焼身自殺とか、ほんとカンベンしてほしい。
いまだに壊れた機械みたいにボロボロ涙を零し続けるノボリの頭を軽く握った拳でコツンと叩き、僕も半ば自棄になりながらも腹を決めてその場に腰を降ろした(まぁ、もともと乗りかかった船だし、ね)

「――で?言ってごらんよ。あの後、どうなったの?」
「ッ…あの、後……」









「め、んな……さぃ……っ」


頭が一瞬、真っ白になりました。
震えている。ナマエ様が。
今にも――泣きだしそうに。

そう思った瞬間、あたたかな頬に触れていた指先から、急にぬくもりが消えた気がした。

「 な、ぜ……?」

絞り出した声の、ああ、なんと情けなく掠れたことか。
けれどそんな声にもナマエ様はひどく怯えた様子で肩を跳ねさせて、スカートの上で握り締めた掌に更に力を込めたようでした(ダメです、そんな風にしては、あなた様の手に傷が、)

「わたっ…わたし、あの……っ、ノボリさんの、こと…そういうふうに、見たこと、ない…です……っ!」

まるでわたくしを拒絶しているかのように、俯いたナマエ様の表情は窺えない。
それでも、震えた声は確かに涙を孕んで、言葉よりも雄弁に訴えるのです。『これ以上は何も言うな』と。
ナマエ様のそんな声に、わたくしの心臓はわたくしを責めるように、痛いほど脈打って全身に響き渡りました。
ドクンドクンと、静寂の中自身の鼓動だけが頭の中で反響して、それ以上言葉を探すことができない。
乾ききった喉に引き攣るような痛みが走る。

そんな中、ゴンドラは狂いなく再び地上に近づいて、スタッフが重い扉を外側から開いたのと同時に、ナマエ様は弾かれたように外に飛び出して、わたくしを振り返ることなく走り出しました。

「――ッナマエ様!!」

もちろん、わたくしも急いで彼女を追いかけ、腕を掴みました。
とにかく必死だったのでございます。
もしもそのままナマエ様を行かせてしまったら、もう二度と、ナマエ様はわたくしに会いに来てくださらないような――いいえ、会ってすらくださらないような、予感ではなく、確信がありました。

「お待ち、ください…!話をっ、」
「っっだから!私は、ノボリさんのことをそういうふうにはッ」
「――でしたら!!」

情けない話、年甲斐もなく頭に血が上っていました。
ほんの少しでも、わたくしに対して特別な好意を寄せてくれているのではないかと予感させたあのはにかんだ笑顔を――愛しいこの少女を、失うくらいならばいっそ、
いっそ、強引にでも、と。

華奢な身体を自分に引き寄せ、もう一度頬を包んで。
涙の溜まった揺れる瞳を閉じた瞼の奥に追いやり、唇を重ねました。
ただ、思いの丈をぶつけるように、強く、押し付けるように。
強張るナマエ様の身体がビクリと跳ねても、尚。


「――これで、『そういうふうに』見て頂けますか?」


「 っ、ぁ……ぅ!」

酷いことを――最低なことをしたと、罪悪感を覚えたのはその瞬間でした。
触れ合わせたばかりの、互いの体温の名残が残る唇を震わせたナマエ様が見開いた瞳から、ついに一粒の涙がぽろりと転がり落ち、乾いた地面の上で小さく跳ねる。

その様が、あまりにも痛々しくて。
まるで鋭利な刃物で胸を抉られたように、激情のまま己のしでかしたことが、穢れない無垢な少女の心をどれほど傷つける行いであったか、今更ながらに理解して。
再び背を向けて駆け出したナマエ様を、今度は追いかけることができませんでした。









「それはノボリが悪い」
「うぐっ」
「しかも重い」
「お、重い…?!」

ガーンとショックを受けてまた蒼褪めたノボリに、心の底からため息。
ほんとなにやってんだか。せっかく僕が綺麗に身を引いて、お膳立てまでしてあげたっていうのに。これだからバトル廃人の恋愛オンチは。

「重いに決まってるでしょ。よく考えてみなよ、僕らはサブウェイマスター。イッシュ地方ではそれなりの有名人で、いい歳した大人。しかもノボリみたいな見るからにカタブツが『愛してる』なんて、普通の学生のナマエちゃんには重い。ノボリにそんなつもりがなくても、プレッシャー感じるに決まってる」

まぁ多分それだけじゃないって言うか、ナマエちゃんの性格を考えるとノボリのことふったのはそういう理由じゃないだろうけど、さすがに強引にキスして泣かせたとか僕も腹が立ったから腹いせ混じりにズバズバ言ってやると、ノボリは蒼白を通り越して魂抜けたんじゃないかってくらいに白くなった。

(――バカだなぁ)

そんなに好きなら、どうしてもっとナマエちゃんの気持ちを考えてあげられないんだろう。
――いや、もう好き過ぎて見えないのかな。
ノボリを見るナマエちゃんは、どう見たって恋してる女の子の顔なのに。

「……それで?ノボリはもうナマエちゃんのこと諦めるの?」
「ッ――それは…!」

僕の言葉にハッと顔を上げたノボリの目に、生気と、焦りが宿った。
なのに何か言いかけた唇を真一文字に結んで、躊躇うように視線を逃がす。
そういうの、まどろっこしい。答えなんて、でてるくせに。

「諦めちゃうなら、僕がもらうよ。ノボリにその気がないなら僕が遠慮する理由も、」
「――嫌でございますッ!!!」

ほら。

「いくらクダリにでも、ナマエ様は渡せません!!あの方は、わたくしが…ッ、泣かせてしまった分も、絶対にわたくしが!」


「笑顔に、してみせます――ッ!!」


ほらね。
やっぱり答えはでてた。

(――わかってたよ。だって僕たちは、双子だからね)

「あは!それでこそノボリ!」

バトル廃人で、鉄道オタクで、おまけに不器用などうしようもない残念系だけど、ナマエちゃんを想う気持ちは紛れもない本物だから。
自分の気持ちを信じて、突き進めばいい。
君の言葉をかりるなら、そう。


『ひた走れ!』



(11.12.09)