ポケモン | ナノ



【07】

正直に言おう。

調子に乗っていた、と。

ハピナスを倒した瞬間、イケると思った。
あまりにも作戦通りにコトが運んだので、いい気になった。


(バトルビデオって、勝手に消去できないのかな?)


できるわけない。
黒い物の横を通り過ぎ、階段を登って、事務所に続く長い廊下をトボトボと歩きながら、そんなどうしようもないことを考えていた。


「戻りましたぁ〜……」


覇気の無い態度で事務所のドアをガチャリと開けると、丁度目の前にキャメロンが立っていた。


「オー、ナマエチャン! オ疲レ、サ……ンン!?」


その視線が私を捉え、それからゆっくりと持ち上がる。


「? キャメロン?」


同僚の不可解な行動に首を傾げる。
ひとまず入口の前から退いてくれないかな。
そう思っていたら、警戒した顔のキャメロンが、じりっと一歩下がった。


「ナマエチャン、ソチラノ 大キイ オ兄サンダケド……オ知リ合イナノカナ?」

「へ?」


私の遥か頭上を凝視するキャメロンに釣られて振り返る。
バチッ、と目があった。


「あっ! インゴさん!」

「お疲れ様ですナマエ様」


いつからそこに居たのか、相変わらずの冷ややかな視線がじっと私を見下ろしていた。
相変わらず不機嫌そうな顔だけど、どことなく柔らかい感じが見受けられる。
顔見知りになったからか、不思議と恐くない。

大きな手が伸びてきて私の顎にそっと触れた。
そうして、ちょっとだけ横に倒される。


「傷が、ついています」

「傷? あ、」


思い出した。
バトル中の攻撃の余波で傷つけてしまったことを。
意識した途端、ぴりぴりしてきた。


「う、まだちょっと痛いですけど、でも大丈夫ですよ」


太い手首に手を添えて、問題ないとポンポンと軽く叩いて伝える。
ニッコリ笑ってみせれば、インゴさんの眉がちょっとだけ寄った。


「……手当ていたしましょう」

「いやいや平気ですって。こんなのすぐ治って、」

『ワタクシが平気でいられません』

「え? っと?」


急に投げかけられた早口の英語に戸惑う。
分からないと首を傾げれば、小さい舌打ちのあと、掬い上げられた。


「っ、」


さっきも同じ事をされたから今回はそれほど驚かなかったけれど、せめてひと言断って欲しい。
子どもじゃないのにこんな扱い……けれども何も言えずに今回もインゴさんの襟を咄嗟に掴んだ。


「医務室に行きます、いいですね」

「……はーい」


ここまでしといて良いも悪いもあるまいが、これがインゴさんの優しさなんだと思って受け入れた。
事務所の扉から顔を出してるキャメロンにひらひらと手を振る。

しかし、視点が高い。

これは確かに、背の低い私なんて跳ね飛ばしちゃうな。

知らなかった。
こんなに照明が眩しいだなんて。

面白い。

くふふ、と笑い声が喉からこぼれた。


「何を笑っているのです?」

「いや、インゴさん大きいなあって。だって天井があんなに近い。普段の私じゃ床の方が近いんですよ。だからついつい下ばっか見て歩いちゃって」

『……先ほどの素通りは、故意ではなかったのですね』

「? なんですか?」

「イエ、……楽しんで頂けたのなら安心しましたと申し上げただけです」

「なるほど」


うんうんと頷いて、もっと真剣に英語の勉強をしようと心に誓う。

歩く速度も、視線の高さも、何もかもが違うから心臓がドキドキしてしまう。
こんなおかしな状況だというのに。


「すいません、笑ったりして」

「構いませんよ。 『お望みでしたら、いつでも見せて差し上げます』

「? えーっと、ワ、ワンモア? もっとゆっくりお願いします」


天井に向けていた視線をインゴさんに戻してそうお願いしたら、インゴさんは、ふっと笑って私の髪を撫でた。

ドキッと心臓が跳ねて、慌てて顔を伏せる。


(なんで、)


急に心不全みたいに……?
いきなり髪を撫でられたから? インゴさんの雰囲気が、さっきと違うから?


『ナマエ様、』

「はい?」


ついと顎を持ち上げられて視線が絡んだ。


『やはりアナタを手放しては帰れません。ワタクシにはアナタが必要です』


異国の言葉が、低く甘い声音でゆっくりと囁かれる。


『何も恐れることはありません、どんな障害も撥ね退けてご覧にいれます』


大きな手が、慈しむように私の前髪を掻き分ける。


『ナマエ様はただひと言、「ワタクシの傍にいる」と言えばいいのです。簡単でしょう? 可愛い小鳥さん』


インゴさんが首を傾げた。
けれど、何を問われているのか分からない。


「インゴさん、アイ、キャント、スピーク、イングリッシュ、です」

「存じております。ですが、あちらに住んでしまえば言葉などすぐ覚えますよ」

「あちら? ああ、ホームステイとかですか? うーん、1ヶ月くらい休みがあればいいんですけど」

「ご心配なく、ワタクシがついております」

「お、頼もしい」


そう言って笑ったら、インゴさんも笑って、整った顔が近付いてきた。
青灰色だと思っていた目の色が、実はよく見ると緑がかった青だった、……とか、そんな世界ふしぎ発見。


「――――あ、」


小さく声を上げたら、インゴさんが止まった。


「どうしました?」


尋ねられて後ろを指差す。
インゴさんの肩越しに、見えたもの。


「ノボリボスがすごい形相でこっちに……あ、クダリボスとエメットさんもいます」

「そうですか」


インゴさんは1つ頷くと、おもむろに歩くスピードを上げた。
あと少しで到着するはずだった医務室がみるみる遠ざかる。


「インゴさん、通り過ぎてますよ医務室」

「頬のケアは本国に帰ってから致しましょう」

「えっ?」


日本語だったけど、聞き返した。


「お待ちなさいっ! これは立派な誘拐罪ですよ!?」


ノボリボスが、何か叫んでいる。


「もしもしジュンサーさん? あのね、ギアステーションにすぐ来て!!」


クダリボスが、どこかに電話を掛けている。
エメットさんがお腹を抱えて爆笑しながら彼らの後ろをついてきている。
器用な人だな。


「インゴさん、……これってドナドナですか?」

「ドナドナ? なんですかそれは?」

「いや、なんでもないです」


異人さんに攫われているんだから、売られる仔牛じゃなくて赤い靴かと1人ごちる。


「黒い靴、履いてるのになぁ」


インゴさんの肩にしがみつきながら小さくぼやいた。

さて、

スタッフオンリーの通路から出ちゃう前に、この強引で優しい腕から逃げるとしようか。





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ねこじた様からのお誕生日プレゼント!
『小鳥さん』にすべてを持っていかれました……!