「こっ、んにちは!」 最初の一声が裏返って、ナマエちゃんは相当恥ずかしそうに顔を赤らめながらぺこりと頭を下げた。 そんな姿に隣のノボリが一瞬ブルリと全身を震わせる。 ……多分、心の中では『スーパーブラボー!!!』と快哉を叫んでいるんだろう。 ノボリの内心が手に取るようにわかって(――だって僕も、『可愛いな』って思ったから)小さく鼻で息をつき、顔を上げたナマエちゃんに向かっていつも通りの笑顔を向けた。 「こんにちは。ごめんね、僕も一緒で」 「いえ!全然っ、全然平気です!」 「…それはよかった。ではさっそく参りましょうか」 「はっ、はい!」 ノボリの声に小さく肩を跳ねさせて、ナマエちゃんは赤い顔のまま、ノボリから少し視線を逸らして返事をした。 とってもわかりやすい反応。 僕とノボリ、どちらの隣に並ぶか、戸惑ったすえ遠慮がちに僕の隣に落ち着く。 正直嬉しかった――けど、同時に胸がシクリと痛む。 ナマエちゃんは明らかに、ノボリを意識し始めている。だけど僕は、そうではないということだ。 『わたくし、ナマエ様に口付けいたしました』 昨日の夜、ナマエちゃんの家から帰ってきたノボリが言った言葉がまだ胸の底に沈殿している。 思い出せばまた胸を締め上げられたみたいで、自然と眉間に力が入った。 『え、……』 『――とは言っても、頬に、ですが』 『っっ…そう。良かったね、進展して』 『クダリ。本当に、そう思っていますか?』 『………なに、どういう意味?』 『わたくしは、ナマエ様を一人の女性としてお慕いしております。あなたはどうですか?クダリ』 (『正直に、本当のことを言ってくださいまし』……って、言われてもなぁ) 緊張しているのか、きゅっと唇を結んで俯いたまま歩くナマエちゃんを横目に窺う。 そうすると、見すぎてしまったのか顔を上げたナマエちゃんとパチリと視線が絡んで、不思議そうに小さく首を傾げた仕草に思わず目を細めた。 「――今日も洋服、可愛いね。とってもよく似合ってる」 「う、ぁ…ありがとうござい ます!」 「ね、ノボリもそう思うでしょ?」 「ええ。勿論でございます。ナマエ様は何をお召しになられても大変お可愛らしい」 サラリと盲目発言。 ナマエちゃんはますます赤くなって、今度は消え入りそうな声でもう一度お礼を言う。 そのナマエちゃんを見つめる、ノボリの顔と言ったら。 (これもう、『愛してます』って告白してるようなものでしょ) 残念ながら当のナマエちゃんはやっぱりノボリを見る余裕がなくて、また俯いちゃってたけど。 ・ ・ ・ 「さぁ、どれから乗ろうか!」 「ナマエ様はなにか希望がございますか?」 「!!えっと…っ」 目的地の遊園地に到着して、キョロキョロと周りを見渡していたナマエちゃんに訊ねればハッとして僕たちに向き直る。 それでもまだ妙に落ちつかない様子で視線だけあちこちに動かして、遠くから聞こえるジェットコースターの音にそわそわしているところを見ると、これは単にノボリに対しての緊張だけではないみたいだ。 「もしかしてナマエちゃん、ライモンの遊園地はじめて?」 そう言えば半年前にライモンシティに越してきたばっかりだって言ってたような。 「あ、はい!そうなんです…だからあの、どんなのがあるか知らなくて…」 「でしたら、こちらのパンフレットをどうぞ」 「!あ、りがとうございます……っ」 「いえいえ。ほら、こちらなんてどうでしょう。人気のアトラクションですよ」 入園受付の時にもらったパンフレットを広げて、二人で仲良く眺める。 赤い顔したナマエちゃんと、いつもの無表情を崩して微笑むノボリ。 きっと傍目に見れば初々しいカップルだろう。 それを意識すると、また胸にチクチクとした違和感。 (……なんだか、なぁ) 「クダリさん!最初はこれでもいいですか?」 「!うん、大丈夫。僕それ得意だよ」 「ほんとですか?それじゃ早く行きましょうっ!」 テンションが上がってきたのか、ナマエちゃんは目をキラキラさせて小走りに駆け出す。 そういう素直で無邪気なところが――嬉しそうに笑った顔が、可愛いなって、改めて思って…… そんな自分に、少し呆れた。 「クダリ、行きますよ」 「あぁ…うん」 『――わからない』 昨日の夜、ノボリに返した曖昧な回答。 その答えは既に出ているんじゃないかって、自分でも本当は、わかっていた。 ・ ・ ・ クルクル回るレトロなコーヒーカップ。 エキセントリックなジェットコースター。 恥ずかしがるナマエちゃんを半ば強引にメリーゴーランドに乗せて、ゴーカートでノボリとカーチェイス(本気になりすぎてスタッフさんに怒られた) お化け屋敷では入った直後に動けなくなったナマエちゃんの耳を僕が塞いで、ノボリが手を引いてどうにか外に出ることができた(でもあれほんとはノボリも恐かったんだよ。ナマエちゃんがいるから平気なふりしてたけど、地味に肩がビクビクなってた) そんなこんな、何だかんだで僕たちも何年ぶりかになる遊園地を満喫して、そろそろ日も暮れてきた。 ――残すのは、この遊園地のシンボルでもある、あの観覧車だけだ。 「そう言えばこれ、二人乗りなんだっけ」 運よく混んでなかったからすぐに乗れそうだったけど、その直前で看板の『二人乗り』の文字に目が行く。 ――だったらここは、ノボリとナマエちゃんを一緒に…… そう思った時、背中をトンと優しく押された。 「お二人で乗ってきてください!私、ちょっと喉が渇いたので飲み物買ってきます」 僕と同じく背中を押されたノボリがきょとんとして目を見開く。 咄嗟に引き止めようと思ったけど、ナマエちゃんの方が早くて、パタパタと駆けていく背中はすぐに見えなくなってしまった。 「………」 「……乗る?」 「……ええ」 いい年で同じ顔をした、長身の双子が狭いゴンドラの中に無言で乗り込む。 その様子を係りの人はなんとも言えない目で見ながら、「いってらっしゃいませ!」と営業スマイルで見送ってくれた。 「――あ、ナマエちゃんだ」 「どこでございますか?」 「ほら、あの青いベンチ」 半分くらいまで登った時、ベンチに座ってこっちを見上げてるナマエちゃんを見つけた。 試しにひらひらと手を振ってみると、向こうからもそれがわかったみたいで、大きく振り返してくれる。 ……今のはちょっと、キュンとした。 「……クダリ、答えは出ましたか?」 「――……」 一瞬、シンと響いた静寂が耳に突き刺さった。 どんどん小さくなっていくナマエちゃんから僕もノボリも目を離さないまま、沈黙を守る。 こんな時でも、たくさんいる人の中で、たった一人のあの子を見失いたくなかった。 特別な、あの子を。 「ノボリ、僕は……」 声が、らしくもなくつかえて上擦る。 だけど、言わなくちゃいけない。 答えはとっくに、出ていたんだから。 「――僕は、ナマエちゃんのことが」 ・ ・ ・ 「おかえりなさい。ノボリさん!クダリさん!」 「……ただいま、ナマエちゃん」 じっくり時間をかけて一周した観覧車が地上に戻って、開かれたドアから降りればナマエちゃんが迎えてくれた。 その笑顔につい頬が緩む。 すると、ナマエちゃんはそんな僕の顔をじっと見つめて、ほっとしたように小さく息をついた。 「よかった。仲直り、できたんですね」 「え?」 「だってクダリさん、今日はずっと元気がなかったみたいだから」 ノボリに聞こえないように、内緒話をするみたいなひそひそ声で言ったナマエちゃんがまた安心したようにふんわり笑う。 (――敵わない、なぁ) 素直にそう思って。 その瞬間、なんだか胸が晴れたように気持ちも身体も軽くなった。 ねぇ、やっぱり、君は特別な子だった。 そんな君だから――そんな君にだから、こんなにも純粋に、その笑顔を守りたいと願うことができる。 君の幸せを祈ることができる。 「――じゃあ次は、ナマエちゃんの番」 「っ、ぇ?」 「ノボリと二人で、乗っておいで!」 「!!え、やっ?!それは…ッ、クダリさん?!」 「僕は先に帰ってるから、ゆっくり楽しんできてね!」 さっきナマエちゃんがそうしたように、小さな背中をグイグイ押して係りの人にフリーパスを見せると、あわあわと慌てるナマエちゃんの手をノボリがしっかり掴んで、もう一度ゴンドラに乗り込む。 ドアが閉められる寸前、目が合ったノボリが敬礼のポーズを取ったから、僕も真似して笑いながら同じポーズを返した。 『――好きだよ。一人の、女の子として』 『でもさ、言ったでしょ?僕は、あの子の笑った顔が好きだって』 『気づいたんだ。ポケモンバトルに勝った時のナマエちゃんも、嬉しそうに、幸せそうににこにこ笑うけど、』 『だけどナマエちゃん、ノボリのことで笑ってる時が、一番可愛いって』 好きな子と、双子の兄。 ノボリの気持ちがナマエちゃんに届けば、大切な二つを一度に失ってしまうかもしれない。 そんな不安がなかったわけじゃないんだ。 だけど、 『だってクダリさん、今日はずっと元気がなかったみたいだから』 ――あんなこと言われたら、降参するしかない。 それでもまだ、未練はないと言い切れないざわめくこの恋心が、いつか穏やかな愛に変わったなら。 その時は君に伝えさせてほしい。 「ノボリに負けないくらい、君が好きだよ」 二人を乗せたゴンドラに向かって呟いて、ゆっくり背を向ける。 霧の晴れた胸の内は妙にガランと寂しくて――だけどあの笑顔を思い出すだけで、ほんのり灯りが燈ったようにあたたかかった。
(11.12.02)
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