【02】
少しくたびれた深緑色の制服を着こみ、キツくし過ぎた黒いネクタイをちょっとだけ左右に弛めて息をつく。 つけっぱなしの腕章をおざなりに整えて、白い手袋をぐいぐいと嵌めて。
「今日も頼むよ」
仕事仲間を腰のホルダーに移して、指差し確認。 ロッカーの鍵閉め、よし。忘れ物、なし。
通勤中のリスニングに疲れた耳を手の平で擦ってから制帽と合図灯と鞄を小脇に抱えて廊下に出た。 進みながら、時刻表にもう1度目を通す。
ガチャリと事務所の扉を開けた。
「おはよ〜ございま〜、」
「やっと来たか! 待ちくたびれたでナマエッ!」
「おわああ!? なな、なんですかクラウドさん!?」
一歩踏み込むと同時、仁王立ちで待機していたクラウドさんに捕まりそうになって思わず飛びすさった。 間一髪。 腕を大振りさせたままクラウドさんが私を睨みつけてくる。
なに……? なんでクラウドさんがいきなり私を捕まえようとするわけ……?
(も、……もしかして、出勤時間間違えた!?)
冷や汗を掻きつつもクラウドさんを刺激しないようゆっくりと視線を動かして、腕時計と壁掛け時計を見比べる。 ズレてない。 もう一度見比べて、ついでにもう一度見比べて……眉をひそめた。 何度見ても秒針までぴったりシンナマエナイズ、惚れ惚れするほど狂いはない。
「なんだ脅かさないでくださいよクラウドさん。問題なしの余裕出勤じゃないですか! ったく、遅刻したかと思った」
「なんやぁ、頼りんなるナマエちゃんにはよ来てほしい思ったらあかんのか!?」
「頼り?……もしかしてクラウドさん、またなにか変なこと企んでるんじゃないでしょうね」
「なんやまたて! またってなんや!? 人聞き悪いなぁ!」
「心外やで!」と憤るクラウドさんに、私はハテナと首を傾げた。
「なら、なにかやらかしちゃったとかですか? いやいや、私巻き込んで隠ぺい計るより早く謝っちゃった方がいいですよ。こういうのは勢いが大事で、」
「なんの話をしとんねんお前は! ……せやのうて、ほれ!」
時刻表を取り上げられて代わりに差し出されたのはA4サイズの書類束。 制帽と合図灯と鞄を机に置いて、どれどれと両手で受け取って――――目ん玉をひん剥いた。
「クラウドさんっ、こ、これは……!」
「お陰でえらい肩こったわ〜、ホンマ感謝せぇよ!」
ぐりぐりと肩を回してニィと豪快に笑う精悍な男前に、惜しみない賛辞の拍手と尊敬の眼差しをこれでもかと浴びせかけた。 受け取った書類……バトル業務にかまけて先送りしていた、私が仕上げるべき書類の数々、数々。 それらが全て、素晴らしくキレイに出来あがっている。
「ありがとうございますクラウドさん! さすがですクラウドさん! かっこいい!あとで愛のコーヒー差し入れさせてください!」
「いやいやええてええて! ……なんや愛のコーヒーて! んなん気にすんなや!」
「え?……そうですか? ……じゃあいいか」
「いいわけあるかい真に受けんなやアホ! ほな、1個お願い聞いてもらおーか?」
「え、お願い? 何でうわぁっ!?」
ガシリと肩を組まれて、「耳貸せ」と、乱暴なナイショ話に持ち込まれる。
「ちょ、クラウドさんセクハラ、」
「けったいなこと言うな! ええからお前、今すぐそれ持ってボスんとこ行ってこいや」
「え? ……今ですか?」
「せや、今すぐや。そんでな、確認してこい」
「何をです?」
「そらお前、ガイジンしかおらんやろ。ほれ、前言っとった視察の!」
思わずクラウドさんの顔を二度見してしまった。
「今日来るなんて話、聞いてませんけど」
「わしかて聞いとらん。だーれも聞いとらん! けどな見かけたゆう奴がおんねん! ……横柄な奴っちゃ、大方抜き打ちのつもりなんやろ、いやらしいなあ」
「クラウドさん、今は外国人って言わないと差別になるっていいい痛い痛いっ!」
クラウドさんのアイアンナマエーが私のこめかみを襲う。 私の仕掛けた論点のすり替えは、失敗に終わった。
「うぐぐ、暴力反対ッ……!」
「やかましや! そんなんどーでもええ」
「ちくしょう、そのためのお手伝いだったんですね!?」
ようやくこの流れの合点がいった。 書類の代理作成は単なる布石だ、私を斥候として放つための。
よく見れば書類の文字も私の筆跡に酷似している。 こんな器用なこと、クラウドさんはできない。
(ジャッキーもグルか……!)
器用貧乏ジャッキーの方を睨みつけようと顔を上げれば、事務所に居た全員の顔が一斉に下を向いた。 ……どうやら私が思っていたよりも犯行グループは大規模なようだ。
面白くない。
こうなっては何を言っても無駄かもしれないが、ただ言いなりになるのは嫌だ。 抵抗は試みてみなければ意味がない。
「私、次スーパーシングルの乗務なんですけど?」
「かまへんかまへん、ちょろっと様子見てきたらええねん、な?」
「別に急がなくてもそのうち紹介されるんじゃないですか?」
「与えられる情報なんぞ欲しないわ、ええか、情報っちゅうのは鮮度や! こういうんは自分から取りに行かなあかんねんで!」
「だったら自分の目で確かめに行ったらいいじゃないですか!」
「アホやなナマエ、よお考えてみぃ。むっさい男が行くよりお前の方が敵の気ィも緩むやろ? わしはそういう話しをしとんねん」
「………………どういう情報を期待してるんですか」
腹の底から溜め息を吐き出してそう言ったら、「ええからええから」と背中をバンバンどつかれて、「行ってこい」と押し出された。
……避けては通れぬ道か。
仕方無しにトボトボと歩きながら、けれども心の準備はまっっったく整っていなかった。
(だって! い、いきなり話しかけられたらどうしよう!? 英語で挨拶しなきゃだめかな)
胸中に押し寄せてくるのは、未知なる恐怖と若干の気恥ずかしさ。
(ハロー? グッドモーニング? それともハーイ、かな)
何度シュミレーションをしてみても、フランクに話しかける自分が滑稽で仕方ない。
(うぅ……で、でもまぁボスたちも、居るし? ただのバトル社員がそんな、ねぇ? 偉い人と喋ったりなんて、ないよね? ないない!)
ないないない。
ありえない。
……なんて、半分以上は自分への言い聞かせ。
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