「……」 「……」 「……」 「……(う゛お゛ぉい…なんかコレは、切ない、ぞぉ)」
ナマエの部屋、ソファに並んで腰掛けているのは非常に喜ばしい状態。だがそれにも関わらずスクアーロはひっそりと寂しさを感じていた。
「………」
チラリ、とスクアーロはすぐ隣にいるナマエの顔を盗み見た。細かい文字でびっしりと埋まった書類と向かい合うその顔に表情は見て取れないが、それは彼女が真剣になっている証だ。
次のターゲットであるファミリーの膨大な情報を漏れなく頭に叩き込み、その頭の中で様々なシミュレーションを繰り返し最善の策を練る。
例えば、任務に向かわせるには誰が適切か、どのタイミングでしかけるか。ターゲットの武装力、ファミリーの人数、アジトの構造、ボスの性格、その他にもありとあらゆることを計算に入れて彼女は隙のない策を作らなければならない。 真剣になるのは当然だ。それがヴァリアーで策士としての地位を持つ彼女の役割だから。 けれど、
(生殺し、つーのはこのことかぁ?)
ナマエはすぐ傍にいる、それは間違いない。 なのに、ひどく遠くに感じる。それはとても寂しくて、虚しいことだ。
部屋に入ってから交わした会話といえば最初のほんの二言三言。「忙しいからろくにもてなせないぞ」と、あらかじめ言ったナマエにスクアーロはそれでもいいと答えた。……確かに、それでもいいと言った。言ったけれど。
(…キツいぜぇ)
気付かれない程度にため息をつく。 せっかく傍にいられるのに、相手にしてもらえない。ナマエの意識は全部書類と仕事に向けられていて、ひょっとしたら今隣にスクアーロがいることなんて忘れているのではないだろうか。 そう思ってしまうほど彼女は見事にスクアーロをないものとして扱っていた。
(仕事中に来た俺が悪いんだけどよぉ…でもなぁ)
少しくらい構ってもらいたいのが本音。 もっと言えば、その瞳に自分を映してもらいたい。愛らしい唇で名前を呼んでもらいたい。 意識してもらいたい。
「――スクアーロ」
「ぅ、お゛?!(は、え?俺ひょっとして口に出してたかぁ?!)」
思った矢先に視線を向けられ、名前を呼ばれ、スクアーロは一瞬口が滑ったのではと焦り口元を手で隠す。 しかしナマエはそんな彼を不思議そうに眺めた後すぐにまた書類と睨めっこを再開してしまった。
「もう少しで考えが纏まりそうだから、チラチラ見るのはやめてくれ」 「ッ……わ、悪ぃ(つか見てたのバレてる!)」 「いや、こっちこそ折角来てくれたのに悪いな」
視線は書類から離さなかったがナマエは苦笑していた。彼女を困らせているのがわかって、スクアーロはもう少しの辛抱だと密かに気合を入れなおす。 だがそんな時に限ってナマエが耳にかけていた髪の一筋がはらりと零れ、白い頬に掛かるのがスクアーロの視界に入ってしまった。
(あ、)
考えるよりも先に体が動く。 殆ど無意識と言える状態で彼の指はナマエの頬に伸ばされ、零れた黒髪を掬い上げ再び耳にかけていた。
「!スク、アーロ……?」 「――…!」
(なっ…な、何やってんだ俺はぁ!!)
零れそうな瞳を更に大きく見開いてスクアーロを凝視したナマエが、珍しく動揺した様子でおずおずと彼を呼んだとき、スクアーロは漸く自分のしたことを理解し、一瞬で赤面した。
「い、や…これは、あの……じゃ、邪魔になると思ってだなぁ…!」
大慌てで弁解しつつも、むしろ邪魔をしているのは自分じゃないかと彼は心の中で自分を罵倒する。そんなスクアーロにつられたのかナマエも頬を染めていた。いつもまっすぐ向けられる視線が今はおどおどと泳ぐ。
「そ、うか…ありが、とう」
俯き具合に消え入りそうな声で礼を言う姿にスクアーロは自分の胸が早鐘を打っていることを自覚せずにはいられない。
(マズイマズイマズイ、この雰囲気はヤバイぞぉ……!)
こんなナマエを前にすれば何をしてしまうかわからない。 現にスクアーロの手は気を抜けばまたナマエに伸ばされかねない勢いだ。しかもこの沈黙は精神的にも身体的にも健康的でない。何か言わなければと、スクアーロは咄嗟に思いついたことをそのまま口に出した。
「か、髪…黒いのに柔らかいんだなぁ!」 「……黒い髪は硬いと思ってたのか?」 「ボスの髪は見るからに硬そうじゃねぇかぁ?」 「――確かに」
ふ、とナマエが淡く笑う。 妙な緊張感が消えたことにスクアーロもまた安堵して、肩の力を抜いた。
「……私も、触っても良いか?」 「あ゛?」 「髪。お前の」
書類をソファーの前にあるテーブルに置いてからナマエはスクアーロの顔を見上げた。じっと見つめるその瞳に促され気がつけば頷いている。
細い指が自身の銀髪にそっと絡められて、そこでやっとスクアーロの脳にナマエの言葉が到達し、彼はまた頬が熱くなるのを感じた。
「……仕事、良かったのかぁ?」 「誰かさんのお陰で集中力が切れたから休憩だ。責任とって付き合ってくれよ?」 「……」
そう言われてしまうと二の句が告げない。 他人に髪を触られるのは本来好きではなかったが、不思議とナマエになら平気だ。
半身を捻ってスクアーロの髪で戯れるナマエにスクアーロの手は何となく行き場がない。 ここで自然と彼女の腰や肩を抱けようものなら良かったのだが、生憎今の彼はそこまでの度胸を持ち合わせておらず、迷った末にソファーの背もたれに腕を回した。
「やはりサラサラだな、流石ヴァリアークオリティ」 「う゛お゛ぉい、男は髪褒められたって嬉しかねぇぞぉ?」 「だが素晴らしいものは褒めたいじゃないか――ああ、そう言えばお前と初めて会った時も、私は一瞬この髪に目を奪われたよ」
半年以上前のその日のことを思い出しているのだろう。指の隙間から銀髪を零しつつ語るナマエは懐かしげに目を細めていた。
「また少し伸びたな、だが変わらず……綺麗だ」 「(………アホがぁ)」
スクアーロは咄嗟にフイと視線を逸らして心の中で盛大にため息をつく。 彼にしてみれば、『綺麗だ』と、そう言って微笑むナマエの方がよっぽど、
「――お前の方が、」
「ナマエー、ボスがお呼びだぜー」
計ったかのようなタイミングでドアが開き、そこから顔を覗かせたベルフェゴールにスクアーロは思い切り脱力した。
「なに?なんでスクアーロがここに居んの、ムカつくんだけど」 「…ッ、そりゃこっちのセリフだ邪魔しやがって!!」 「は?何王子相手に逆切れ??ウゼー」
白を切りつつもベルフェゴールは悪戯が成功した子供のようにうししと笑う。その悪戯がスクアーロには少々性質が悪すぎるものなのだが。
「私の部屋で喧嘩するのは勘弁してくれよ」
沸々と湧き上がる怒りにスクアーロが拳を握り締めた時、ソファーから腰を上げたナマエがやれやれと言いたげにため息をつき、ベルフェゴールのいるドアへと向かった。
「ベル、わざわざ伝えに来てくれてありがとう」 「うししっ、報酬はキスでいーよ」 「な゛っ……?!(コイツマジで活け造りにしてやる!!!)」 「食堂の冷蔵庫にお前が気に入ったと言っていたプリンが置いてあるから、それで手を打ってくれ」 「マジで?王子ラッキー!」
言うが早いかパタパタと食堂へ向かって走っていくベルフェゴールを見送り、ナマエは未だに怒りのオーラを垂れ流すスクアーロへと振り向く。
「すまないなスクアーロ、私はボスのところに行ってくるが……何か言いかけて」 「な、何でもねぇぞぉ!!もう忘れちまったぜぇ!」 「…そうなのか?」 「あぁ、良いから早く行ってこい!」
納得しかねているようにナマエは少し渋い顔をしたが、それでもボスの呼び出しに逆らうわけにもいかず部屋を出てドアを閉めた。 軽い足音が遠ざかっていくのを確認してスクアーロは盛大にため息をつく。後ろ頭をガシガシと乱暴に掻き毟り、「あ゛ー!」と吼えては先ほどの自分の思考を追い出そうと試みる。 けれどそんなことで彼の頭から先ほどのナマエの笑顔を消せるわけもなく、ベルフェゴールの邪魔がなければ続いていたはずの自分のセリフまで思い出してしまった。
まさか、自分が
『お前の方が、綺麗だ』
――なんて、そんなキザなセリフをつい言いかけてしまう日が来るなんて。ナマエと出会うまでは考えられなかったのに。
「…ったく、どーにかしてるぜぇ」
今度は弱々しく息を吐いて、スクアーロは熱の引かない自らの頬を手袋をした片手で覆った。
もしそのセリフを口に出せていたなら、お前はどんな顔で何を言ったのだろう
(07.04.04)(12.11.14 修正)
|