復活 | ナノ



「――待て、カス」
「……う゛お゛ぉい、まだ何か用かぁ?」

任務の報告を済ませ踵を返して執務室を出て行こうとしていたスクアーロをザンザスが珍しく呼び止めた。
長い髪を翻して振り向いたスクアーロはいつになく不満げだ。その理由を知っているザンザスは呆れたようにフンと鼻を鳴らす。

ナマエが入院してから二月が経とうとしていた。
その間暇さえあれば彼女の元へ通うスクアーロのことは既にヴァリアー幹部内で周知の事実になっている。今日も今日とてナマエの元へ行くつもりなのだろう。とは言っても与えた任務はしっかりやり遂げているので、ザンザスもそのことに関して特には口を出さない、が。
今回は少々事情が違う。

「ナマエの退院は3日後だったな」
「?あ゛ぁ、そうだが、」

それが何かあるのか、とスクアーロの言葉が続く前に一つ瞬きをしたザンザスから発せられた言葉。全くの不意を付いたその内容にスクアーロは思わず自分の耳を疑った。

「命令だ。ミョウジナマエを抱いて来い」



* * *



コツン、と、窓ガラスに何かが当たった音に気がついてナマエは視線を手元の本から窓へと移した。

既に夜の帳が下り、月明かりが辺りを弱く照らす青白い世界の中。病室の向かいにある木の枝に銀を纏った人影を見つける。

きょとんと一瞬だけ驚いたように瞳を瞬かせ、しかしすぐに苦笑を浮かべながら、ナマエは真っ白なベッドを降りその足で窓辺へ近づくと鍵を外して静かに窓を開けた。
彼女が身体を脇へ避けたのを確認してから人影は足のばねだけで枝から窓へ飛び移り、易々と室内への侵入を遂げる。靡く髪を目で追った後、ナマエから小さなため息が零れた。

「閉院時間はとっくに過ぎているだろう?今日はもう来ないんだと思っていたぞ」
「…いや、ちょっと……野暮用があって、なぁ」

歯切れの悪いスクアーロにナマエは微かに首を傾げる。それにどうもスクアーロの視線が泳ぎ気味だ。不思議に思いつつもベッドに腰をかけると、スクアーロは一瞬ギョッと目を見開きあからさまに顔を逸らされた。

「……スクアーロ。何かあったのか?」
「…別、に」
「(……わかりやすい奴め)何だ、言ってみろ。本部で何か問題が起こったのか?」
「そんなんじゃねぇ…つか、ほんとに何も、」
「――そうか」

どうやら言いたくないらしい。彼の態度や口ぶりからそれを悟り、ナマエはもう一度ため息を付いた。

(まぁコイツにも言いたくないことの一つや二つあるだろうしな)

「野暮なことを訊いて悪かったな。こんな時間に来るのは珍しいから、少し邪推してしまったんだ」
「…もう寝るとこだったかぁ?」
「そろそろ、な。でも話し相手はいつだって大歓迎だよ。いい加減本ばかり読むのも飽きてきたところだしな」

だがそれももう少しの辛抱だ、とナマエが小さく微笑む。
ベッドの横にあるライトスタンドの橙色の柔らかい灯りと月影に照らされたその横顔からスクアーロは目が離せなくなった。吸い寄せられるように足は自然とナマエのいるベッドへ向かい、座ったままの彼女の正面に立つと、月光を宿して輝くブラックオニキスの瞳がスクアーロを見上げる。

「スクアーロ?」
「――…」

ナマエの呼びかけに応える代わりに、スクアーロは右手を上げ、白い頬を掌で包み込むようにして触れた。





「う゛お゛ぉい!?何の冗談だぁそりゃぁ!!」
「冗談じゃねぇ。命令だと言っただろう」

そうは言っておきながらザンザス自身不本意なのか眉間の皺はいつもより多い。慌ててザンザスの幅広なデスクに引き返し、説明を求めてそこへ両手を強く叩きつけると、引き出しから一枚の書類を取り出した彼はそれを億劫そうにデスクへ投げた。

「総本部からだ」
「は、ぁ゛?それとナマエに何の関係、が――…!!」

書類にザッと目を通したスクアーロが思わず目を見張る。頬杖をついてその様子を眺めるザンザスから吐き出すようにして出された声は苦々しい。

「アイツのコレまでの功績が老いぼれの耳に入ったらしい。総本部への誘いが来ている」
「なん、だと……?」
「――ただし移籍は本人の意思に任せる、とのことだ。ハッ、偽善者ヅラしやがって強欲じじぃが」

苛立たしげに言い捨て、ザンザスは舌打ちをした。


「アイツはこの先も使える駒だ。おいそれと手放す気はねぇ」

“駒”、と、ナマエをそう呼ぶザンザスにスクアーロの眉が微かに跳ねる。
しかしこの男にとっては己以外の者全てが彼の野望を叶えるための駒でしかないのだ。それはスクアーロにしても同じこと。今その発言について言い争ったとしても詮無いだけ。
そう自分に言い聞かせ、スクアーロは小さく頭を振った。


「それ、で…なんで俺が、ナマエを…?」
「肌を合わせちまえば女には少なからず情が湧く」

それにアイツは見るからに男の経験がねぇ、とザンザスが続ける。

「テメェと一度でも関係を持てば、離れがたくもなるだろう」
「う゛お゛ぉい!!ちょっと待てぇ!無理矢理んなことしたって逆効果に決まってんだろぉ!!」
「誰が無理矢理しろと言った。丸め込んで和姦にしとけ」
「(丸め込めれるかぁ!)アホかテメェは!無茶苦茶言ってんじゃね―ぐぁ゛!!」

スクアーロの言葉を遮って目にも留まらぬ速さで伸びてきた掌が、彼の頭を鷲づかみデスクに叩きつける。
幸い鼻血は出なかったようだが、脳に直接響くような酷い痛みに耐えながら顔を上げたスクアーロに、ザンザスはまるで犬や猫にでもするようにシッシッと手を振って退出を促した。

「ツベコベ言ってんじゃねぇ、カスが。言われたことをやりゃあ良いんだ」
「っ…お前、なぁ!」
「テメェだってナマエを他にやるつもりはねぇんだろうが」
「――ッ」






「スクアーロ、やっぱりお前何か、…――!」

不意にスクアーロの親指に唇をなぞるように撫でられ、ナマエの言葉が途切れる。
途端に訪れた静寂の中、動揺の色を隠しきれていないその瞳をスクアーロは目を細めて見つめた。

「なぁ、ナマエ……もし、」
「…なん、だ?」
「………」

移籍の誘いの話を聞いたなら、彼女はどうするだろう。

ナマエがヴァリアーに入隊した理由は自らの手でギルブレイズに復讐するためだ。それが彼女の唯一であり、そして既に叶えられた望み。
ナマエがヴァリアーに拘る理由は、最早無い。

(ボンゴレ総本部ともなれば、少なくとも暗殺部隊よりは身の安全も保証されるしなぁ……)

それに現ドン・ボンゴレは人格者であり好人物だ。ナマエのことを決して悪いようにはしないだろう。彼女のこれからを考えるなら、今回の誘いを蹴るのはあまりに惜しい。

頭ではそうわかっている、けれど。心が、理解を拒む。



『テメェだってナマエを他にやるつもりはねぇんだろうが』



(……そう、だ)

手放すつもりは、ない。
今更自分の目の届かないところに行かれては堪らない。


「ス、ク…?」
「……ん゛?」
「…いや、あの、今日……何だか、おかしくない、か?おま、え」
「……そう、かぁ?」

頬と唇に触れられたままなのでナマエは少し喋り辛そうだ。
それがわかっていながらスクアーロは離してやろうとはしない。それどころか、もう一度柔らかさを確かめるように指の腹が唇の上を滑り、細い肩がピクリと跳ねた。
ナマエのそんな反応に、身体の奥からジリジリと熱が生まれるを感じ、喉が小さく鳴る。

ザンザスの言葉に従ってしまえと、蜜のように甘い声が耳元で囁くのが聞こえ、スクアーロは実際にはもう感覚のなくなっている自らの左手をそれでも強く握り締めた。

強姦なんてものはマフィアの世界ではちょっとしたおふざけのようなものだ。
気に入った女が一般人だったなら誘拐して手篭めにし、既成事実を作ってしまう。
そんなことはごく有り触れた日常茶飯事であるし、スクアーロ自身そういう輩にとやかく言うつもりはない。
それが表社会では非常識であったとしても、裏で生きる彼らにとっては常識。運が悪かったなと、ただそう思うだけだ。――その対象がナマエ以外であったならば。

(…――エゴ、だな。俺の、完全な)

フ、とスクアーロの口元に微かな笑みが浮かぶ。
自嘲的ともとれるその苦い表情に、ナマエは尚更不思議そうな顔をして何か言いたげに口を開く。
その唇から何か言葉が零れる前に、スクアーロは頬に触れていた手を滑らせ、丸い頭を少々強い力で押さえつけながらクシャリと撫でて、視界を塞いでしまった。

「っスク、アーロ!」
「う゛お゛ぉい!!ナマエ!」
「――だからっ、何なんださっきからお前は!」

何がしたいんだ、と不機嫌そうな声で言ってスクアーロの手を外そうと身をよじるナマエの頬が微かに赤くなっている。
それに気がつくとスクアーロの中でナマエを愛しいと思う気持ちがどうしようもなく膨らんで、堪えきれずククッと喉を鳴らし、スクアーロは笑い声を上げた。

ザンザスの命令には 従えない。
彼女の心が無いのに行為に及ぶなど、自分にはできはしないのだ。

自らの主と定めたザンザス以外に、初めて守ってやりたいと思った少女。
そんなことを言えばまたナマエは「頼んだ覚えはない」と憎まれ口を叩くのかもしれないが、そう思ってしまうのだからしかたがないだろう。

(コイツを傷つける輩は、俺が赦さねぇ)

――例えそれがスクアーロ自身であろうとも


だからと言って彼はナマエを神聖視しているわけではない。ナマエの心があるなら、スクアーロだって迷いはしない。けれどきっと、今はその時ではないから。

「……お前に一つ、伝えとかねぇとならないことがある」
「?」
「重要な話だからなぁ、よぉく聞いとけよぉ」

スクアーロの手が漸く離れ、ナマエが顔を上げた。
夜空の黒と、月の銀の視線が繋がる。彼女の瞳の中に自分が映っている、たったそれだけのことでもスクアーロの胸は満たされていくようだった。

懐かれている自信はある。他の誰よりも近いところにいる自覚もある。
ザンザスの言う通り、もしも関係を持てばナマエの中に情が湧くのかもしれない。
だがそれは、スクアーロが本当に求めるものとは違う。

ほしいのは情けではなく、ナマエの愛――心だ。


「お前に、ボンゴレ総本部への移籍の話が来ている」
「……総、本部?」
「あ゛ぁ。悪い話じゃねぇ、向こうは俺らのとこよかは安全だろうよ」
「………」
「どうするかはお前の自由だ。誘いを受けても良いし、こっちに残ってもかまわねぇ」


「――だがなぁ、お前がヴァリアーに残るって言うなら、俺は」


俺は意地でもお前を守って、幸せに――



「残るよ」



「…あ゛?」

スクアーロが最後まで言いきらないうちにナマエはあっさりと応え、スクアーロから思わず間の抜けた声が出た。
彼のその様子を見てナマエはクスリと小さく笑いもう一度繰り返す。

「私はヴァリアーに残る」
「う゛…お゛、ぉい…おま、そんな簡単、に(いや、嬉しいけど、なぁ……!)」

あれだけ悩んだ自分は何だったんだと素直に喜べないスクアーロに、ほのかな笑みを湛えたままのナマエが目を閉じて続ける。

「本部へ行ったら、お前への借りを返し難くなるだろう?」
「!あ、れは…あの時の、は、言葉のアヤって奴で、本気で、言ったんじゃ」

自分の言葉を引き合いに出されスクアーロは焦った。
本当にあの時はただナマエを繋ぎとめるのに必死で、その場凌ぎの言葉に過ぎなかったのだ。実際にナマエに貸しがあるなど、挙句それを返してもらおうなどと彼は思ってもいない。
ナマエだってそれくらいわかっている筈。

「う゛お゛ぉい…ナマエ、わかってて言ってんだろぉ」
「……さて、何のことだ?」

チラリと目を開けたナマエは恨みがましい目で自分を見ているスクアーロを認めると今度こそ耐え切れず、肩を竦めて微かに声を漏らしながら微笑った。『早く帰って来い』と、そう言っていたくせに移籍を止めようとしてくれない彼へ少し仕返しをしたかっただけなのだ。

「まぁ、それを抜きにしてもだな、私はヴァリアーに残りたいと思っているんだ」

漸く笑いを治めたナマエが後ろ手を付いてベッドへ座りなおし、改めてスクアーロを見上げる。その瞳は穏やかで、それでいてどこか――愛しい者を見つめる熱を秘めているようで。
スクアーロの胸が一つ鳴り、途端に頬が熱を持った。

「お前、が…そうしたいなら、誰も文句は言わねぇ。だが……何で」

ヴァリアーに拘る理由は 無い筈、なのに。



「――傍に、いたい。離れたく……ないんだ」



ふわりと花開くように微笑んだナマエにスクアーロは瞠目し、それ以上の言葉を見失った。

やわらかく細めた瞳の中には、月の光を受けて銀に輝くスクアーロただ一人。
出会ったあの日から 瞼の裏に焼きついて離れない彼の色。暗闇に飲まれそうだったナマエの世界に差し込んだ 唯一にして絶対の灯り。

彼を望まずにはいられない。手放せる筈がない。


「だって、私は」




今、一筋の銀を

見つけたのだから。





「――そういうわけで、これからもよろしくな」
「お゛、ぅ…(う゛お゛ぉい…なんか、笑顔ではぐらかされた気がする、ぞぉ)(か、可愛いけどよぉ゛)」




(07.12.07)(12.11.14 修正)