復活 | ナノ


ノックをする手が、らしくもなく緊張に細かく震えていた。
どうぞ、と、中から聞こえたナマエの――いつものナマエの声に、スクアーロは自然と喉を鳴らす。

ついさっき、この病院に向っていた間まではとにかくナマエの顔を見たくてたまらなかったのに、いざ会うとなるとどんな顔をして、まず何と声をかければいいのだろうと躊躇う足。しかしドクドクといつもよりも大きく脈打つ心臓は早くドアを開けてしまえとスクアーロを急かす。

(…クソッ!どうにでもなれぇ!!)

半ば自棄になりながら勢いよく病室のドアを開けた彼の目に飛び込んだのは、白い病室の中で、今まで見たこともないほどに穏やかな瞳でスクアーロを見つめるナマエの姿だった。

「入らないのか?」
「……い、や…入る」

驚いたように瞠目したまま立ち尽くすスクアーロにナマエが軽く首をかしげながら尋ねて、漸くスクアーロは一歩病室に入り、後ろ手にドアを閉めた。
そのままの足でナマエのベッドまで行き、パイプ椅子に腰を下ろす。何を言えばいいのかわからず、間を持たせるためにギシッと椅子を鳴らしてナマエの表情を窺うと、なかなか言葉が出てこないのは彼女も同じな様子で、スクアーロから軽く視線を逸らし気味に微苦笑していた。

「……傷の具合は、どうだぁ?」

たっぷりの間を置いてやっと相応しい言葉が出てくる。
しかしそれが彼に似合っているかどうかというのは別の問題で、ナマエは意外そうに一度瞳を瞬かせ、やがてふっと笑みから苦みを消した。

「今は薬が効いているから、大したことはない」
「…そうかぁ」

らしくない台詞だったと自分でも気がついていたのだろう。スクアーロの頬は普段より少しばかり血色が良く、視線はどこか落ち着きが無い。そんな彼に気がつきながらもナマエは不意に笑みを消し、白いベッドカバーを強く握り締めた。
戸惑いに近い色を浮かべたその眼差しはシーツに覆われた自らの膝あたりへ落ちる。


「――ギー、の…ギルブレイズの、遺体は」


逸らしていたスクアーロの視線が再びナマエへ向かった。
軽く俯いてしまっているせいで前髪が垂れ、スクアーロからナマエの表情は読み取り辛い。

「気になるのかぁ?」
「……あぁ」

スクアーロの声がそれまでよりも冷たかった。それでも呟いて頷くナマエに彼の整った眉がぎゅっと眉間に寄る。

死んで尚、ナマエの心を捉えている男の存在。
先日の一件でナマエへの想いを自覚した彼にとって、それは酷く目障りだった。

「遺体はいつも通り死体処理班が持ってったぜぇ。今どこでどうなってんのかは知らねぇなぁ」
「……そう、か」

マフィアの世界だ。
遺体の行方などわかる方が珍しい。どこかの海に沈められているかもしれないし、もう存在すらしないのかもしれない。

呟いたナマエが軽く首を傾け、零れた前髪の隙間から覗いた瞳は悲しげだった。
それを認めてハッとしたスクアーロは、途端に冷たく言ってしまった自分を後悔する。ナマエにそんな顔をさせたいわけではなかったのに、と。
そして同時に、これほどまでナマエがあの男に拘る理由を尋ねずにはいられなくなった。

「――訊いて、いいかぁ?」
「うん?」
「…お前と……ギルブレイズのことだぁ」

プライベートなことに首を突っ込んでいるなんて承知の上。しかしやはり気後れから歯切れが悪くなってしまう。
ナマエはそんなスクアーロを少しの間じっと見つめ、最後には目を細めた。

「少し長くなるぞ?」
「かまわねぇ」

即答したスクアーロに苦笑してナマエはゆっくり目を伏せる。
遠い日のことを語ろうとするその瞳からは、かつてザンザスに垣間見せたような怒りの炎は消え、ただ寂しげに、そして切なげに揺れる灯りがあるだけだった。

「私は昔、ロゴスにいたんだ。父はロゴスの次期ボス候補で…ギーはその父の部下の一人だった」

ロゴスは完全実力重視のファミリーで、ボスは世襲制ではない。付け加えるように言ってナマエは続ける。
まだ幼かったナマエの面倒をよく見てくれたのがギーで時には庭で遊んでもらい、時には銃の扱い方を教えてもらっていたらしい。


「――好きだったよ、ギーのことが」


囁くようなナマエの言葉と、その表情にスクアーロの胸が締め付けられた。
一度瞼を下ろしたナマエの睫がかすかに震えたように見える。掌はまたシーツを強く握り締めて、布の擦れるキュッと乾いた音が静かに響いた。

「でも、あの男は……私達を裏切った」

自らの失態をナマエの父に擦り付け、挙句父と母を粛正と称して殺めたのは他ならぬギーだった。

「そして私を見逃したのも…――」

そこまで言うとナマエは一度黙り込んでしまう。
何か言おうと口を開くのだけど、そこからなかなか言葉が出ないようだ。
数度それを繰り返したところでナマエは諦めたようにゆるく首を振る。どうして彼女だけが見逃されたのか、その理由は結局ナマエからは語られなかった。

「生き残った私は、だけど行くところなんてなくて」

飢え死にしそうになっていたところを教会の関係者に拾われたらしい。
しばらくその教会で世話になって、その後はハウスと呼ばれる特殊な孤児院に行くことになった。
ナマエはそこでセルペンテに入るまでの九年を過ごしたらしい。その間にあらゆる知識を得て、そして特別に銃の訓練を受けた。
――その全ては、

「全ては、あの男に復讐するために」
「……」

哀しく微笑ったナマエに、ヴァリアーへ来た夜「赦さない」と泣き叫んでいたギーに対する憎悪は既に感じられない。
ギーとの邂逅を終え、あるのはただ、計り知れない彼への想いだけ。

「愛して、いたんだ……ギーを、私は」


「だから憎くて…憎いからまた、愛しかった」


愛情と憎しみは表裏一体だった。
強く強く、相手を想う気持ちは変わらないから。

「復讐を誓ったあの日から、私にとってはギーへの想いが全てだった」

そしてあのパーティーでギーと偶然再会して、引き金を引けなかった自分に気付いた瞬間、ナマエは同時に知ってしまったのだ。


「私は――…空っぽだ」


この十年で蓄えた知識も、体技も、銃の腕も、何もかも。全てギーのため…ギーに復讐するため。だから。

「復讐が終われば…私には何も残らない。生きていく意味も、理由も。だったら――唯一の望みを叶えたあの場で、ギーと一緒に死ぬのも悪くないと思ったんだ」
「――ッ!う゛お゛ぉい!!ナマエ……!」



「でも、な」



思わず腰を浮かせ、口を挟もうとしたスクアーロを穏やかな口調で遮るナマエが彼を振り向く。
その瞳はもう遠いどこかを見つめるのをやめて、ただ目の前にいるスクアーロの姿を、まっすぐに映していた。


「お前に助けられて――生きたいと、思うようになった」


「!」

目を見開くスクアーロに、ナマエは口元にふわりと淡い笑みを浮かべる。

ナマエにとっても驚きだった。先程、ザンザスの前で命乞いをしようとしていた自分が。
悲願を叶えて、空っぽになってしまったはずなのに、いつの間にか新しい想いが――願いが生まれていたことが。

「――スクアーロ」
「あ゛ぁ?」

話に追いつけず若干戸惑ったような声で応えたスクアーロにナマエの瞳が自然と細まる。
窓から吹いた風がスクアーロの銀髪を揺らし、キラキラと輝きながら靡く様が無性に愛おしく思えた。


“生きていたい”


彼の傍に いたいから。

ナマエの中に新しく芽生えた想いは彼女を戸惑わせもしたけれど、ひどく心地よくもある、不思議なものだ。
だけどこれからは、この気持ちを大切にしたい。
できるなら、いつか事切れるその瞬間まで抱きしめていたい。

「……こっちへ来てくれるか?」
「?…お゛ぅ」

腰を中途半端に上げたままだったスクアーロが立ち上がり、ナマエのベッドの脇に立つ。
「ここへ」とナマエが自分のすぐ横をポンポンと叩いて座るように促すので彼が素直にそれに従うと、ナマエは彼の腕へもたれるように身を寄せてコテンと頭を預けてきた。

「っ、う゛お゛ぉい?!」
「少し疲れたんだ、暫くこうさせてくれ。ダメか?」
「だっ…べ、別にダメじゃ、ねぇ……!」

赤くなって慌てながらも必死にそれを隠そうとするスクアーロにナマエはつい小さく声を出して笑う。彼女のそんな笑い声を聞くのは初めてで、スクアーロは一瞬瞠目するもまたすぐに頬を染め、気がつけば彼の口元にも優しい笑みが浮かんでいた。

「…早く退院して、帰って来いよぉ」

そっと持ち上げられたスクアーロの右手が自分にもたれるナマエの頭を撫でる。
それは不意にナマエの中にギーの面影を蘇らせたけれど、似ても似つかない、ぎこちないスクアーロの手つきに胸の奥がじわりとあたためられ、10年消えることのなかった残雪がとけたように、ナマエの瞳からは涙があふれて止まらなかった。


「泣くな」と言って抱き寄せる腕は「泣いても良いのだ」と甘やかす




(→)

(07.11.17)(12.11.14 修正)