復活 | ナノ



目の前に翳しているはずの自分の手すら見えない、真っ暗な闇の中。
このまま闇に融けていってしまうのだろうかと身を震わせたそんな時。
間延びした声に名前を呼ばれると同時に、鮮やかな銀(ひかり)が差し込んで、

私は『私』を取り戻した。






ヴァリアー専属の医療班によって治療と輸血を受けたナマエは点滴の管に繋がれたまま2日ほど眠り続け、目覚めた時にはベッドの傍らにルッスーリアとマーモンの姿があった。

「ナマエ――ッ…!!もぅ、バカバカバカ!!心配かけて、この子はホントに…!」
「やめなよルッスーリア。ナマエの傷口が開いちゃうだろ」

看護師に支えられてやっと上体を起せるナマエをルッスーリアが涙ながらに強く抱きしめて頬ずりするものだから、ベッドの端にちょこんと座っていたマーモンがため息をついてそれを諌める。抱きしめるルッスーリアの脇の下から腕を上げてナマエはそんなマーモンへ「平気だ」と合図した。
強く抱きしめられてはいるがそこは気配りのできるルッスーリアだ。傷を負った脇腹には痛みが回らないようにきちんと配慮してくれている。

「ああ、そうだわ……ナマエの意識が戻ったらすぐに連絡しろってボスに言われてるの。…ちょっと行って来るわね」
「…すまないな、ルッスーリア」

グスグスと鼻を鳴らしながら抱きしめる腕を解いたルッスーリアにナマエは苦笑まじりに謝った。サングラスの奥の彼の瞳はやはり涙で少し潤んでいる様だが、その顔にはすぐに優しい笑みが浮かぶ。

「今度、一緒にお買い物に行きましょ。それでチャラにしてあげるわ」

ルッスーリアの手がナマエの頭を優しく一撫でして離れる。その仕草に母性的な愛情を感じて微かに俯いたナマエの口元には淡い笑みが浮かんだ。

マーモンに「後は頼んだわよ」と言い残して病室を出て行ったルッスーリアの背中を見送ると、突然ナマエの前に花束がポンと音を立てて現れた。どうやら術士のマーモンが出したようだ。


「僕からのお見舞いの品だよ。心配しないで、金は取らないから」
「……幻術なのか?」
「ううん、それは本物」

フワフワと手元に下りてきた花束を受け止める。
ピンクのガーベラをメインに据えたなんとも可愛らしい小さめの花束だ。金に汚いマーモンがタダでくれると言うのだから、そこがまた嬉しい。

「――ありがとう」
「……お返しは生クリームがたっぷり乗っかったプリンで良いよ。もちろん君の手作りの」

ナマエの素直な感謝の言葉が照れくさかったのだろうか。マーモンは丸い頬を微かに染めながら早口気味にお返しをせがむ。一度だけだが、おやつが食べたいと言っていた彼へ作ってやったプリンを気に入って覚えてくれていたらしい。大人びた言動をするマーモンの、偶に見せるそんな子供らしい一面が憎めない。
後で花瓶を用意してもらおうと思いながら花びらの淵に指先でそっと触れた時、小さく咳払いをしたマーモンが唐突に言った。

「スクアーロは、」

ピタリと、ナマエの動きが止まった。それを見たマーモンは何かを納得したように「ウム」と一人で頷いて続ける。

「スクアーロは、ずっと君の傍についてたよ。見かねたボスに殴られて今朝屋敷に強制送還されたけど」

ちなみにベルフェゴールは昨日から遠方に任務なのだと続けたマーモンにナマエは「そうか」とだけ応えた。
何となくだが、ナマエにはわかっていたのだ。
スクアーロが傍にいてくれたこと――手を握って、頭を優しく撫でていてくれたことが。

「ボスに連絡が行ったならスクアーロも飛んで来るだろうね。君を一番心配していたのは彼だから」
「――…」

マーモンがクスリと笑い、ナマエはくすぐったい気持ちになった。頬が熱いのは、また傷口が熱を持ち始めたからだろうか。それにしてあまり痛みという痛みを感じてはいなかったけれど。



* * *



マーモンと話をしているところにヴァリアー専属の医者と看護師がやってきて、一通りの簡単な検査と容態の説明を受け終わった時、それを見計らったかのように病室の外が騒がしくなった。

「う゛お゛ぉい!ちょっと待てぇ!!先に俺が」
「黙れカス」

言い合う声に続く、ガスッ!という聞きなれた、しかし病院で聞くには些か凶暴すぎる音。呻き声を背後にナマエの病室のドアを開けたのはザンザスだった。

「…マーモン」

紅い瞳がナマエを一瞥して、その後にマーモンへ移される。彼の意図するところを正しく理解したマーモンは「うん、わかってるよ」と言ってベッドからひょいと飛び降り、チラリとナマエを振り向いた。小さな口は音を発さないまま「またね」とかたどり、次の瞬間にはその場から姿が消える。

途端に生まれた静寂と、ただそこに居るだけでザンザスから放たれる威圧感にナマエは思わず表情を硬くする。ナマエが何かを言おうとして口を開いたが、それよりも先にザンザスの冷たい声が白い部屋に響いた。


「――なんだ、このザマは」


ヒヤリとした声と視線に、呼吸さえ満足にできないような錯覚に陥る。
ヴァリアーに弱者はいらない。弱い者は容赦なく切り捨てられる――死をもって。

震えだした掌を握り締めて、しかしナマエは言葉を発するために息を吸い込んだ。


「ボ、ス…私、は」


だがそれさえ遮るように、大きな掌がナマエへ向かって伸ばされる。彼の意思によって、その掌から自在に破壊の光球が生まれることを知っていたナマエは身を強張らせ咄嗟に身構えた。

「――次はない。わかったな」

しかし、その手はナマエの髪を少々乱暴に乱しただけに終わった。
ぽかんとしてザンザスを見上げるナマエに、彼はフンと鼻を鳴らしてさっさと踵を返す。

「ギルブレイズは死んで、テメェは生き残った――負けたわけじゃねぇ」
「ぁ…、」
「とっとと傷を治して復帰しやがれ。快気祝は山盛りの仕事にしてやる」

乱された髪に触れて、ナマエはやっと彼は頭を撫でたつもりだったのだと気がついた。ドアを開けて出て行こうとするザンザスの背中にナマエは慌てて声を掛ける。

「ありがとう、ごさいます」
「…――」

一瞬だけ足を止めたように思えたザンザスだが、しかし彼女の言葉に何も返さないままあっさりと病室を出て行く。
その口元がほんの微かにだが、緩く弧を描いていたなんてことは誰も気がつくことはない。
部屋の外で不服そうな顔をしながら壁に凭れかかっていたスクアーロが「もう良いのかぁ?」と声を掛けた時には既にいつも通りの表情で、いつもの様に彼の鳩尾へ重く鋭い蹴りを一発お見舞いしてやるのだった。






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(07.10.24)(12.11.14 修正)