復活 | ナノ


たった一つの願いが叶ったら

その時は





「ギルブレイズを見た奴はいるか?」
「いえ、自分は」
「自分もです」

首を振る部下にスクアーロは長い横髪を乱暴にかき上げて小さく舌打ちした。
ナマエが当てを付け、スクアーロを向かわせた場所にいたのは数人の幹部メンバーだけで、先ほどスクアーロが斬り殺した男がその最後の一人だ。しかし肝心のボスであるギルブレイズの姿がどうにも見当たらない。

(隠し通路でも使われたかぁ…?)

だとしたら面倒だ。
もしそのまま逃げられでもしたらこちらのあの恐ろしいボスからどんな仕打ちを受けることか。想像しただけで気が滅入りそうで、スクアーロはそのことについて考えるのは止そうと心の中で自分に言い聞かせた。
丁度そんな時、新たに二人の部下が闇の中から現れる。

「カルロ、ミケーレ、戻りました」
「あ゛ぁ?」

ミケーレと云う名前に反応し、スクアーロはその青年を振り向き不可解そうに顔を顰めた。確かこの青年はナマエと組んでいた筈だ。なのになぜ、ナマエがいない。

「う゛お゛ぉい!!テメェ、ナマエはどうした!」
「はっ…それが出撃直前になって、個人的にやらなければならないことがあるから、自分にはカルロの元へ行けと」
「――何だと?」
「任務遂行後にナマエ様が戻っていなければあとの指示は隊長に従うようにとも…それから、」

深刻な面持ちで一度言葉を切るミケーレに、スクアーロの胸を不安が過ぎる。

「……それから後、ナマエ様との連絡が取れません。発信機も切られているようで――」
「――な、に…?」

嫌な 予感。
脳裏に蘇るのは雨に濡れながら微笑ったナマエの顔。
あの時と同じ、大地が揺らぐ感覚。

「ッ……テメェらはここで待機だ!それと、医療班を呼んでおけ!!」

言い終わるが早いか、スクアーロは再びロゴスの屋敷の中へ駆け出した。
彼自身どこに怪我を負っているわけでもないのに、なぜだかまた胸が苦しい。
廊下を覆いつくす酷く生臭い血の臭いも、人形のように横たわる無数の死体も、今のスクアーロには何の感情も呼び起こさない。大の大人である上、一流の暗殺者ですらあるというのに、たった一人の少女を探して薄暗い屋敷を奔走するその表情は焦燥に満ち、同時に不安げで――まるで迷子のような、必死な瞳をしていた。



* * *



「ッ――!!」

通路に響く銃声の中、傷口に焼け付くような痛み。
ドクドクと、その場所自体が脈打っているかのように鮮血が溢れるわき腹を掌で押さえ、衝撃で後方へバランスを崩しかけていたナマエは何とか踏み留まったが、あまりの激痛にすぐ膝を付いてしまう。

「ギー…!!」

しかしギリッと歯を食いしばったナマエは今しがた彼女に撃たれて倒れた男に向かい、額に脂汗を滲ませつつ自分の体を引き摺るようにして膝でにじり寄った。

「ギー…ッ、どうして、貴様、わざと……!!」
「っ…し、んがい、です…ね……わざと…外した、のはッ、あなたの、方」

絞り出したような声で言って、ギーは徐に激しく咳き込む。
確かにナマエの撃った弾は彼の心臓から微かにずれていたが、致命傷であるのには変わりない。ほんの少しだけ苦しむ時間が増えただけだ。

「楽には、し、なせて…くれません、か」
「違、う!それは、お前が…!」

漸くギーの元へたどり着き、その顔を覗き込んだナマエは言葉に詰まった。
咳き込んだ所為で気管に血液が入り込み、相当苦しい筈だ。それなのに、口の端から鮮血を零しながらも彼は――彼は、微笑っていたから。

「なんて、顔を…してる、んです?あなた、は…賭けに、か、った、のに、もっと…よろ、こんで」
「ッ!お前は、私の心臓を撃てた、はずだ……!」

ナマエには見えていた。ギーが彼女の心臓を捉えていたのが。
そして笑んだ後に、わざと狙いを外したのが。

ヒュウ、ヒュウ、とギーの呼吸音が乱れ、か細くなっていく。荒い息の中でその瞳はもはや焦点が合っているのか、どこを見つめているのかわからない。それでも尚、彼は微笑う。
困ったように片眉を下げる、あの表情で。

「言った、で、しょう…?あなた、の」



あなたのいのちが おしかった


い と お し か っ た



「ギ、イ…っ」

ボロリと遂に、耐えていた涙が零れた。
頬を伝って落ちたその雫は透明な球形を取り、やがてギーの頬で弾ける。焦点の合わないヘーゼルの瞳は、それでもナマエを見つめようと瞼を震わせていた。


「ど、しま…した?…泣い、て…?」
「っ、…っ!」
「ああ、……なかない、で、ください…かわい、ぃ…おじょ……さ、ま」

遠い日を思い出すように目を細めて、最後の力を振りしぼるように血だらけの腕を持ち上げたギーはナマエの頭を撫でるような、ぎこちない仕草をした。

「お、れの…おじょう、さ…いっしょ、に……にわ、で」



『 俺と、庭で遊びましょう? 』



微笑みの表情を残したまま、ギーの瞳は静かに閉じられた。
ナマエの頭に触れていた手も力なく落ち、呼吸音はナマエ一人分だけのものとなる。

「――ギー、…わた、し……は」

体温を失いつつある頬にナマエはそっと触れた。白い指先は彼の口元を汚す血を優しく拭い取り、やがて戸惑いつつも頬を包み込む。瞳が熱すぎて、目の前はぼやけていた。


「っ…たし、は、おまえを……ッ!!」


グラリと体が傾く。
忘れかけていた傷口の痛みが今更ながら激しさを増し、肩で息をしながら壁へ体を預けても力が入らずズルズルと滑り落ちていく。わき腹を押さえていた手をゆっくりと外せば腰から下は血塗れで、ナマエは眩暈に顔を顰めながらも苦く笑った。

急所を撃たれたわけではない、けれど出血量は多いようだ。
このまま放置すれば危ないということは考えなくともわかる。
現に徐々に体の力が入らなくなってきていた。それに少し、寒い。

ゆっくりと視線だけ動かして、ナマエは再びギーを見つめた。
溢れる涙の所為だけじゃない、すでに視界が色を失って、彼の顔が良く見えない。

(最後に見たのは、この男の死に顔、か)

悪くはない。きっと。

ハッと自嘲気味に笑ってナマエは全身の力を抜いた。

不思議な気分だ。
満たされているような、空っぽのような。
――けれどほんの少しだけ、寂しいと思うのだ。

それはどうしてだろう。


(――あい、たい)


『――誰に?』

(最後に、もう一度だけでいいから)

『――本当に?』

自分の中で異なる自分が問いかける。
そして答えはわかっていた。

「…く、ぁ……ろ」

わかりきっていた。


「すくあー…、ろ」





「――ナマエ!!!」





求めていた人が自分を呼ぶ声に、ナマエは閉じかけていた瞼を押し上げた。
冷たいモノクロの世界の中、輝く銀(ひかり)が見える。


「っ、あ…ろ……」


無意識のうちに伸ばした手をしっかりと握り締める大きな掌の力強さ。冷えた指先に手袋越しのぬくもりを感じて、無性に泣きたくなった。

「な、に…やってんだ!!怪我してんならなんで通信機使わなかった!!」

普通ここはまず「大丈夫か?」とか「何があった?」とかじゃないだろうか。
そうは思うけれど、第一声に怒鳴ってしまうのが何よりもスクアーロらしくてナマエは微かに笑うように唇の端を上げた。

「探しに来て、くれた、のか?」
「当たり前だろうがぁ!発信機まで切りやがってどうゆうつもりだ!!」
「悪い、な…だったらお前は、無駄足、だ」
「――なん、だと?」

スクアーロの瞳が鋭く細められる。彼の視線を感じつつ、ナマエは淡々と続けた。

「置いていって、くれ…わたしは、ここ、で…死んでも、かまわな、い」
「なっ……!?」

顔がはっきり見えなくても彼が目を見張ったのは雰囲気でわかる。自分達がまだ手を繋いだままなことに気がついてナマエはそれが少し滑稽だと思った。

「わたしの、たった一つの、望み…かなった、から………だから、もう」



死んだってかまわない



――パシッ!

乾いた音と同時に頬に痛みを感じてナマエの言葉が途切れる。
繋いだ手は離されていた。そしてその手が、ナマエの頬を打ったのだ。

「う゛お゛ぉい!!甘ったれたこと言ってんじゃねぇぞぉ!!!」


「誰がテメェの言いなりになってやるかぁ!!このまま楽に死ねるなんて思ってんじゃねぇ!――ッ、テメェは俺に借りがある筈だろうが!!」


頬を叩かれ呆然としたままスクアーロを見上げるナマエに彼はとにかく言葉を続けた。そうしていないとナマエがこのまま消えてしまいそうだと思ったから。

「テメェをヴァリアーに連れてきてやったのは俺だ!ルッスーリアに抱き潰されそうになってるのを助けてやったのも!ベルの野郎のちょっかいから守ってやったのも!……っこないだテメェが風邪ひかねぇで済んだのも!」

酷い言い分だ。
殆どが「それはお前の押し付けだ」と言い返されてしまえばそれまでになってしまう、身勝手な言い分。そうだとわかっていてもスクアーロにはそうする他になかった。
ナマエを、どうしても自分に繋ぎ止めておきたかった。
彼女が受け入れようとしている死を、スクアーロは阻みたかった。

どこにも行ってほしくないから。

――…愛しいから。


「それを返さねぇまま死ぬなんざ、俺が許さねぇからなぁ!!」


叫んで勢いのままナマエの体を抱き上げた。
驚いたように一度大きく身を震わせたナマエは、しかしやがて小さなため息をつく――泣き出しそうな、笑顔と共に。

「そうだ、な…借り……は、返さないと…な」

抱きかかえられたスクアーロの腕の中、むせ返りそうな血の臭いと、心を締め付けるぬくもりに包まれ、ナマエはゆっくりと瞼を閉じ、眠るようにして意識を手放した。






(→)

(07.09.29)(12.11.14 修正)