「ボス、ミョウジです」
入れ、と言うボスの声の後に重々しい扉を開ける。 大きな机に頬杖を付きながらこちらを見たボスと視線が交わった時、その紅い瞳が微かに嗤ったように細められ、ここ数日私の胸をざわめかせていた予感は確信に変わった。
「次の任務だ」
無造作に机に放られた書類を微かに震える手で受け取る。自分でも気がつかないうちに息を止めて、一番上のページを捲った。 ターゲットとなるファミリーの名前は “ロゴス”。任務内容はその壊滅。 写真に写っているのは――この10年、片時も忘れることのなかった男の顔。 ギー・ギルブレイズ。
「――お前も出ろ」
その声にハッと書類から顔を上げれば、ボスは口の端を歪めるようにして嗤う。全てを見透かしたようなその目はヒタリと私を見据えていた。
「テメェの敵(かたき)だろ」 「……ご存知だったのですか」
ボンゴレの血に伝わるといわれる超直感だろうか。私に応えることはなく、彼はフッと目を伏せて下がれと軽く手を振る。一歩下がってから頭を下げて、彼に背を向けた。
「スクアーロとアイツの部下を連れて行け――…清算して来い」
背中に投げかけられた言葉に一瞬足が止まる。雨の中で光っていたスクアーロの銀の髪が胸を過ぎり、何故だか胸が苦しくなった。この方はそれさえも気付いているのだろうか。
「……――はい」
答えた声は震えてはいなかった。 もう後戻りは出来ない。私もそれを望まない。 重い扉を再び開いた時、覚悟は既に決まっていた。
* * *
襲撃予定の時間にはまだ少しだけ間がある。最終確認も済ませていたので、私は遠目ながらにも懐かしい――かつては私の家でもあったロゴスの屋敷を眺めていた。 蔦に覆われた古くて大きな門も、庭に植えられた木も像も、その向こうにある屋敷の外観も、あの頃と何一つ変わりが無いように思える。
変わったのは私だけだろうか。
きっとそんな筈はないだろうに、もしも今、昔のようにあの門を開けて屋敷に入ったなら、優しい父と母に迎えられるような気がして。そしてそこには――昔のままの“彼”もいてくれるような、そんな気がして、自嘲気味に笑った。
感傷的になるのは止めよう。もうあの日々はどこにもないのだから。 私は、全てを終わらせるだけだ。
「ナマエ」
不意に名前を呼ばれて、不覚にも小さく肩が跳ねた。
振り向かなくてもわかる。背後にいるのはスクアーロだ。
「…何の用だ?」 「……いや、お前…あれから風邪とかひかなかったかぁ?」
また保護者のようなことを言い出す。そんな彼に苦笑してしまった。
「なんだ、気にしてくれていたのか?」 「ちっ…違ぇぞぉ!ただ最近あんま見なかったから……ちょっと気になっただけだぁ!」 「ああ、そうだったか?それはすまないな。お前のお陰で何もなかったよ」
スクアーロが私を見かけなかったのは当然だ。あの日以来、私が意図的に彼に会わないようにしていたのだから。
「…そうかぁ、なら良いんだが、な」 「歯切れが悪いな。何か言いたいことでもあるのか?」
首だけでスクアーロを振り向けば、彼は銀色の瞳でまっすぐに私を見つめていて、思わず軽く視線を逸らした。スクアーロがこんな真面目な顔をしているとは思っていなかった。
「お前、何か俺に隠してるんじゃねぇのか?」
「――…」
どうして今、こんなにも胸が苦しいのだろう。 スクアーロの前では、私はいつもの自分でいられない。
「………私だって人間だ。隠し事の一つや二つあるさ。お前にだって、」 「茶化すな」
(――頼むから、そんな風に私を見るのは止めてくれ)
覚悟も決心も、全部崩れてしまいそうだ。
「戦闘要員じゃねぇお前がこの任務に出てくることもおかしいだろ」 「……現場指揮だよ」 「そんなもんは俺一人で十分の筈だ」 「…どうしても私自身で確認したい情報がある。これなら満足か?」 「ッ、う゛お゛ぉい!!俺は真面目に訊いてんだぞぉ!」 「私だって大真面目に答えている」
口を噤んだ私とスクアーロの間を冷たい夜風が吹いていく。 細い爪痕のような月の明かりの中でもスクアーロはその身に淡い銀の光を纏ったようで美しい。 彼の姿を目に焼き付けておきたいと思った。
数秒の沈黙を破って腕時計が控えめな電子音で予定時刻を知らせる。 今度は体ごと振り向いてそのまま彼の脇を抜けようとしたが、通り過ぎる寸前にスクアーロの手が私の腕を掴んでいた。
「お前は俺の目の届く所にいろ」 「無理だな。私とお前は別行動だ」 「ナマエ!」
スクアーロの手に込められた力が強くなって、掴まれた腕が痛い。妙なところで勘が良いんだなと、内心で少し感心しつつも私はその手を振りほどいた。
「スクアーロ。私はお前に”守ってくれ”なんて頼んだ覚えはない」
苛立ちと怒りを込めた瞳が私を睨んだ。
――そうだ、それで良い。 お前は私のことなんか心配する必要はないんだ。
いくらヴァリアー幹部のスクアーロと言えど、迷いやお荷物は無いに限る。闘いに挑む時は自分の身だけを案じていろ。 お前が私の所為でいらぬ怪我をするところなんて、見たくない。
「早く持場に行け。何かあればまた連絡する」
背を向けて冷たく言い放てば、小さな舌打ちの音とほぼ同時に彼の気配が消えた。 思わず小さく息を吐いて、苦く笑う。私もいい加減素直ではないらしい。
言おうと思っていた言葉は、結局言えず仕舞いだ。
「ナマエ様、そろそろ我々も」
微かな風の音と共に現れたスクアーロの部下の一人、今回私と共に動くことになっているミケーレと言う名の青年だ。
「ミケーレ、いきなりで悪いですが、カルロと一緒に行ってください」 「は…?いえ、ですがナマエ様は?」 「私は少し個人的にやらなければならないことがあります。時間がかかると思いますので、カルロと合流して任務を遂行した後、私がまだ戻っていなければスクアーロの指示に従ってください」 「――了解しました」 「すみません。では頼みます」
ミケーレが行ったのを確認してから通信機を外し、発信機の機能を切った。 そして一人、始まりの場所に臨む。
(……ギー)
心臓が強く胸を打つ。じわりと汗の滲んだ掌を一度強く握り締めて、ホルスターから愛銃を抜いた。
さぁ 始めよう。 お前と私の終演を。
10年前のあの日から、幕は上がっていたのだから。
(→)
(07.09.22)(12.11.14 修正)
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