気付いてしまった おぞましくすらある事実。
この10年、私は復讐のためだけに生きてきた。
蓄えたあらゆる知識も、体技も、銃の腕も、何もかも、全てはあの男に復讐するため。全てを奪われた恨みを晴らすため。
そうしたいと思う心に戸惑いなんてなかった。 そのために生きている自分に疑問も抱いていなかった。 ――けれどあの瞬間、気付いてしまったのだ。
復讐を誓ったあの日から、私は――……
「スクアーロ!」 「…あ゛ぁ?」
昼過ぎにやっと任務から帰って来て屋敷の長い廊下を自室へ向かって歩いていたところ、背後からルッスーリアに呼び止められた。 任務自体は大したランクじゃねぇってのに移動にやたら時間がかかる場所で、正直今はコイツの相手をするよりも少しでも早く部屋に戻ってベッドでぐっすり寝てしまいたい気分だった俺の返事は自然と無愛想なものになる。 が、両方の眉尻を下げて情けない表情で駆け寄ってきたルッスーリアはそんなことは欠片も気にしていない様子だった。
「あなた、ナマエがどこにいるか知らない?」 「……知らねぇぞぉ。つか俺はたった今帰ってきたばっかだぜぇ?」 「あら、そんなの知ってるわよ。でもあなたならナマエの行きそうな場所を知ってるんじゃないかって思っただけ」
「あなた達、仲良いから」と続けたルッスーリアの言葉はあえて聞かなかったことにした。 会議の席で幾度となく衝突する俺とナマエも傍から見れば仲が良いの言葉で済んでしまうらしい。……まぁ仲が悪いのかと訊かれれば違うと答えるだろうし、俺はアイツを…憎からず思っているが向こうが俺をどう思っているかなんてわかりゃしねぇ(アイツ基本無表情だしなぁ) そりゃあ、ベルやレヴィの野郎に比べれば懐かれてるとは思う、が……どっちかっつーと俺よりルッスーリアやマーモンのが仲良さそうに見え――って、う゛お゛ぉい!!んなこたぁどうだって良いだろぉが!!
「どっか出てるんじゃねぇのかぁ?」 「あの子が外に出なきゃいけないような任務は回ってないはずよ。門衛も見てないって言うし……」
人差し指を顎に当て首を捻るルッスーリアの姿は一見ふざけているように見えるが本人は至って真剣なんだろう。コイツはナマエのことになるとまるで母親にでもなったかのようにあれこれ気を回す。まぁ……アイツを放っておけない、ってのは何となくわかるけどなぁ。
「あなたは任務に出てたから知らないかもしれないけど、最近あの子ちょっと変なのよ」 「変?」 「一人でボーっとしてて、話しかけても中々気付かないし、ご飯もあんまり食べてないわ。今朝も朝食の席にいなかったし、お昼もまだ食べに行ってないみたい」 「……」
思い当たるふしは、あった。が、それをルッスーリアに――他人に言うのはなぜか憚られた。 脳裏にあの夜、俺の腕の中で微かに震えていたナマエの姿が浮かぶ。
気付かないうちに強く握り締めていた掌に爪が食い込んで手袋越しにも痛みを感じた。理由はハッキリわからないが、俺は焦燥に駆られていたのだ。
『早くナマエを見つけなければ』
そんな想いが頭を占めていた。
「スクアーロ」
背を向けた俺を再びルッスーリアが呼ぶ。振り向かず足を止めて続きを促すと、背後で小さく苦笑する声が聞えた。
「ナマエ見つけたら、ご飯はちゃんと食べないとダメよって伝えといてちょうだい」 「……あぁ」
俺の考えはお見通しだったようだようで、思わず苦虫を噛み潰したような顔になる。コイツの察しの良さは偶に鬱陶しいんだ(女の勘……に、なるのかぁ?)
* * *
ナマエの部屋、談話室、資料室、図書所蔵庫、射撃場。ナマエの行きそうな場所は全部探したがどこにも姿がない。
眠気なんかとっくに吹っ飛んで、いつの間にか早足気味に屋敷中を歩いていた。 馬鹿でかい屋敷の敷地と見つからないナマエに苛立ちと焦燥感が増していく。窓の外はいつの間にか雨が降り出し、長い雨粒が庭に植えられた木の葉や地面を穿つ音が聞えてきた。
「ったく、どこ行きやがったんだアイツは…!大体この屋敷は無駄に広すぎんだよ!!」
苛立ちに任せて思わず大声で一人毒づく。
震えていたナマエは、ほんの少し触れ方を間違えてしまえば簡単に壊れてしまいそうで、あの場で何があったかなんてとても聞き出せず、その後俺は任務続きで屋敷を空けていたからあれ以降まともにナマエと顔を合わせていない。 しかしルッスーリアの話を聞く限りやはりあの日、俺と離れていた数時間の間にナマエに何かがあったのは最早明らかなことだった。
考えてみればあのナマエが標的に捕まり、挙句売り飛ばされそうになるなんてヘマをすることがそもそもおかしい。そんなのはアイツらしくない。
(それほど動揺してた、ってことか?)
何かに――それとも
……誰 か に ?
『赦さ、ない…!アイツは……ッ!!』
涙に濡れた悲痛な叫び声が不意に蘇り、俺は思わずその場に立ち止まった。
ナマエをこの屋敷に連れて来た日。 震えていた小さな背中、白い頬を伝った涙の跡、ナマエの言う “アイツ”。 ナマエが俺の前で取り乱したのはアレが最初で最後だった。
(まさか、――…)
雨音が強くなり、引き寄せられたように窓の外へ視線を移した。 暗殺部隊であるヴァリアーの屋敷の裏庭にひっそりと存在する、誰もが忘れてしまった小さな花壇。その前にポツンと置かれた色褪せた木製のベンチに、
ずぶ濡れのナマエが座っていた。
「な゛……?!」
(何やってんだ、アイツは……!)
考えるよりも早く俺の脚は裏口に向かって走り出して、傘を2本引っ掴むと、雨の中へ飛び出していた。
* * *
「う゛お゛ぉい!!何やってんだテメェは!」
開いた傘でナマエがこれ以上濡れないようにしてやりながら、俺はもうそんなことは無駄だと悟った。 月も星もない夜空のような漆黒の髪は既にぐっしょりと濡れてポタポタと大粒の雫が伝っていたし、着ている服に濡れていない場所など見つからない。 膝の上に広げられていた文字の多い本に至ってはインクが滲んで、最早何が書いてあるのか判別できなかった。
「聞えてんのか!あ゛ぁ?!」 「――……」
俺の声が雨音に負けているわけじゃない。だがナマエには届いていなかった。
俯いたまま本を読むでもなく、ただ一点を見つめる瞳は焦点が合っていないように思える。それが酷く俺を焦らせて、咄嗟に自分へ差している傘を離し、その手で乱暴にナマエの肩を掴んだ。
「ッ、ナマエ!!」 「!」
ビクッと大きく体が跳ねて、ナマエの瞳が漸く俺を映した。 驚いた様子で数度瞬きを繰り返すその前髪からまたポタポタと雨粒が落ちていく。
「ス、ク…アーロ…?お前、濡れて」 「濡れてんのはそっちだアホがぁ!まんま濡れ鼠じゃねぇか!」
差し出していた傘を俺に押し返そうとするナマエに半ば強引に傘を持たせ、少し離れた場所に転がった自分の傘を拾いながら、やっとナマエから反応が返ってきたことに安堵のため息が出るのを禁じえなかった。 ナマエはまだ呆然としたまま俺に指摘されずぶ濡れな自分を改めて見つめる。
「あぁ…本当だ。しまったな、借り物の本だったのに」 「ッ、そうじゃねぇだろ!!」
怒鳴りながら俺はまた強引にナマエの腕を掴んでベンチから立ち上がらせる。勢いに付いて来れず、一瞬ふらついたナマエは不思議そうに俺を見上げる。そんな反応に舌打ちし、腕を掴んだまま踵を返すと有無を言わせぬ力で屋敷へ向かいナマエを引っ張って歩いた。
服越しに触れていてもナマエの体が芯から冷え切っているのがわかる。顔色にしても、白いと言うよりもむしろ蒼白。 こうして俺に引き摺られているとは言え自分の足で歩けていることが信じられないくらいだった。
「………いつからああしてたんだ」 「朝から、かな」 「雨が降り出したの、気付かなかったのかよ」 「…本に夢中になってしまったんだ」
(――嘘つけ)
本なんかまだ最初の2、3ページだったじゃねぇか。
「取り合えず、部屋に戻ったらまずシャワー浴びろ」 「あぁ」 「……ルッスーリアがちゃんと飯食えって言ってたぞぉ」 「あぁ、わかった」 「…それから、」
「スクアーロ」
『あの夜、何があったんだ?』
そう訊ねようとした俺に感付いたようにナマエが言葉を遮って立ち止まる。 未だにナマエを掴んだままの俺もつられて足を止め、2歩分ほど後ろにいるナマエを振り返れば、ナマエは淡く微笑っていた。
「 ありがとう 」
呟いた小さな声は雨音にかき消されて俺まで届かない。 ――なのに、どうしてだ。 胸が締め付けられて、大地が揺らいだように思えた。
細い腕を握る力をいくら強めても、お前はこの雨の中に消えていってしまいそうだ。
(→)
(07.09.08)(12.11.14 修正)
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