復活 | ナノ


「――このお嬢さんが?」
「えぇ、貴方を狙っていたようですが…ご存知ありませんか?」

両足と、後ろ手に両手を縛られ意識を失っている少女の顔を、ギーは改めて見つめた。つい先ほど軽く言葉を交わしたばかりのあの少女だ。

「………」

今は伏せられたその瞼の向こう。微かに震えながらギーを見つめていたあの瞳を思い出すと、彼の中に芽生える不思議な懐かしさ。
背丈も、声も、口調も、瞳の色さえ違うと言うのに、色褪せ始めた記憶の底にいる幼い子供をなぜか彷彿させる。

(生きていたなら、丁度このくらいの年齢、か?)

「……いえ、生憎見当がつきませんよ」
「左様ですか」
「ええ。何せこんな生業ですからね」

そこで一度言葉を区切ったギーは仄暗い瞳で苦笑した。

「どこで恨みを買ったかなんて、一々覚えていられない」



* * *



『――さて、次の商品は……』


「……ん、」

遠くでぼんやりと聞えた男の声とざわめきの音にナマエの意識が浮上した。
重たい瞼をぐっと押し上げると辺りは薄暗く、目の前には鉄の柵。
痺れてあまり感覚のない体をどうにか起すと、自分が両手足を拘束された状態で小さな檻に閉じ込められていることがわかった。

(そう、か…薬を嗅がされて、それ、から)

クラクラと襲う眩暈が思考の邪魔をする。
暗さになれた瞳にはナマエと同じように檻に閉じ込められた子供や女性の虚ろな表情が映り、大体の状況を理解した彼女はふっと苦々しい笑みを浮かべた。

(悪趣味だな)

不審者と判断されたナマエもまた彼らの商品の一つとされたようだ。
背中を柵に預け楽な体勢を取りつつ膝を擦り合わせてみるが、やはりホルスターと拳銃は取り上げられてしまっている。
取引前の商品を傷つけたくないのか、手首を拘束するベルトの素材は柔らかいが強度は高く、あいにく力技で外せるような代物ではない。発信機も兼ねたイヤリングは…――あった。

(結局一度も連絡をいれてないな……流石にスクアーロも気付くだろう)

ふぅ、と息を吐いてナマエはゆっくりと目を閉じた。

ヴァリアーはお世辞にも情け深い組織だとは言えない。
弱い者、使えない者は即刻切り捨てるスタイル、それが最強の暗殺部隊と呼ばれる所以。
そして今回のことは完璧にナマエの失態だ。
無意識のうちに任務より私情を優先させて勝手な行動をとった挙句、この始末。見捨てられても文句を言えない。

そしてスクアーロはあれで意外と剣士らしく、忠誠心の高い几帳面な男だ。ナマエの異変に気付けば、発信機の跡を辿りこの闇オークションの会場を突き止めて任務を遂行するだろう。しかしその際ナマエを助けるか、あるいはそのまま見捨ててしまうかはわからない。

(私もアイツを見捨てたようなものだしな)

こんな状況であるにも関わらず、きゃいきゃいと騒がしい娘達に囲まれて焦るスクアーロを想像してナマエは小さく笑った。
明確な根拠はない。しかしどうしてか彼がナマエを見捨てることはないように思えたからだ。

責任感が強いのか、それとも単に世話焼き体質なのか、スクアーロは何かと彼女を気に掛けて、時には保護者のようなことさえ言い出す。始めのうちは、暗殺部隊の、しかも幹部のくせにおかしな奴だと思っていたが、いつの間にかそんな彼の心遣いが心地よくなっていた。

(……兄がいたら、あんな感じなのだろうか)

ふとそんなことを考えた時、ナマエの入った檻がガタンと音を立てて動き出した。
舞台そでからスポットライトの当たるステージの中央へと移動させられる。
パーティーの主催者兼このオークションの司会役はナマエと一瞬目が合うと厭らしくニタリとした笑みを浮かべた。

『さぁ!続いての商品はこちらのお嬢さんです!!』

マイクを使った司会の声が薄暗い会場に響く。自分へ集まる無粋な視線とざわめきにナマエは顔を顰めた。

『ご覧の通り、気の強い瞳も、顔だちも、なかなか美しいとは思いませんか?愛玩するもよし、――』

聞くのも嫌になる下劣なスピーチにため息が出る。しかしその時ナマエは自分へ集まる視線の中で一つだけ異質なものが混じっているのを敏感に感じ取った。

「……ッ」

ドクンと跳ねた心臓と共に体もまた小さく跳ねた。
吸い寄せられるように顔を上げて、視線だけで会場を見渡す。
照明を落としてあるので一人一人の顔がハッキリ見えるわけではない。だが辿った視線の先、奥の壁に半身を預け腕組みをしつつ彼女を見つめるその男を、ナマエが見間違える筈はなかった。

(ギー…!)

手首の拘束ベルトがギシッと音を立てる。
交わった視線に向こうも気付いているだろう、しかし互いに逸らそうとはしない。
ナマエの頭の中は瞬時に真っ赤に染まり、怒りと憎しみでギラギラと燃える瞳でギーを睨み、歯噛みした。


どうしてあの時、撃たなかったのだ。


ギーはこちらに背を向けて、完璧に無防備で、千載一遇のチャンスだったではないか。
――なのに、どうして。

どうしてあんなにも、体が、心が、震えてしまったのだ。


(あの時、終わらせてさえいれば……!)


そうだ。
ギーさえ殺してしまえば、
復讐さえ成し遂げてしまえば。

(そうすれば、私は――……!!)


ワタシ ハ  ?


目の前が唐突に真っ黒に染まる。

ビクリと身を強張らせ息を詰めたナマエにあの主催者の耳をつんざかんばかりの悲鳴が聞えた。
誘発的に至る所で悲鳴の上がる中、何事かと闇の中で目を凝らすと視界の端で一瞬白銀が煌く。


「何やってんだぁ、お前」


ガキィッと鉄を絶つ金属音の後に、呆れたような、しかしどこか得意げな声。
目の前に立つ彼の影をナマエは呆然と見つめる。
足元にヒュッと微かな風を感じ、両足首を拘束していたベルトが外れた。背中を向けろと指示する声に従い、思い通りに動かない体をどうにか捻ると間をおかず両手が自由になる。

「す、く……」
「任務は終わりだぁ――帰るぜぇ」

言うと同時にスクアーロの腕がナマエを抱き上げた。

あ、と咄嗟に小さく声漏らし、ナマエはギーの居た方へ身を乗り出すが、スクアーロは彼女を抱えたまま信じられないようなスピードで駆け出し、あっという間に会場を、そして屋敷を後にする。
スクアーロの腕の中で強く目を閉じ、ナマエは自分の掌をぎゅっと握り締めていた。



* * *



「う゛お゛ぉい!これでランニョの時の借りは返したからなぁ!」
「――あぁ、そうだな」

部下と車を待たせてある場所まで少し距離があったので、スクアーロはまだナマエを抱えて林の中を走っている。幾分か落ち着きを取り戻し始めたナマエは小さく息を吐いて彼のネクタイを控えめに引っ張った。

「スクアーロ、降ろしてくれ。自分で走る」
「ダメだぁ。どうせ薬でも使われてまだまともに歩けもしねぇんだろ」
「……だったらせめて背負ってくれないか。誰かに見られるのは流石に恥ずかしい」
「バッ…!んなことしたらスカート捲れるだろうがぁ!!」

「そっちのが恥ずかしいぞぉ!」となぜかスクアーロの方が赤くなって怒鳴りだす。そんないつも通りの彼にナマエはふっと苦笑して、すぐ近くにあるその胸元に顔を埋めた。
「う゛、お゛ぉい?!」と頭上でスクアーロの焦ったような声が上がる。
しかしその声はナマエが無言のまま彼の襟を握ったことで途切れた。

「ナマエ――?何かあったのかぁ?」

スクアーロには彼女の肩が小さく跳ねたように思えた。
自分の腕の中で俯き、身を小さくするその姿がまるで幼子のようにか弱く、不安げに見える。

「……何でも、ない。少し…疲れただけだ」

絞り出したような声でそう応えながら、しかしナマエの手は縋るように彼の襟を掴んだまま。
まるであの日――ナマエをヴァリアーに連れてきたあの夜のように儚げな姿に、スクアーロはどうすればいいのかわからず。ただ彼女の肩を抱く手をぎゅっと強くして「そうかぁ」と呟いたきり、それ以上は何も尋ねなかった。――否、尋ねられなかった。

強く抱きしめた腕からは、ナマエが微かに震えていることが伝わってきていたから。





たった一つの望み
10年越しの悲願

それが叶ったなら、私は――……?





(→)

(07.08.30)(12.11.14 修正)