復活 | ナノ



キラキラと眩いばかりに輝くシャンデリア、耳に付くお上品なクラシック音楽。立食ブッフェの形式を取ったこのパーティー会場では色とりどりの様々な料理と談笑が溢れている。
スクアーロには馴染めない、居心地の悪い雰囲気だ。

(――くだらねぇ)

上質のワインが注がれたグラスを傾けながらスクアーロはフンと鼻を鳴らした。
その微かな音は会場に満ちた音楽ですぐにかき消されてしまうが、辛うじて隣にいたナマエには伝わったようだ。皿の上のものを口に運ぶ手を休め、ヒールのため普段よりも目線が高くなったナマエがスクアーロを見上げた。

「どうしました?気分が優れませんか?」
「……別に。つかお前なぁ」

いつもの雰囲気と違うナマエに調子が狂う。だかそれ以前に彼女へ視線をやった途端視界に入った不快な光景にスクアーロは思い切り顔を顰めた。

「いくらなんでも食いすぎだろぉ」
「あら、甘いものは別腹、という言葉をご存知ではありませんか?」

にこりと微笑んだナマエがまた一口、果物とクリームがふんだんにあしらわれたケーキを頬張る。
所狭しとケーキを敷き詰めた皿を片手に微笑を絶やさないその姿にスクアーロの方が胸焼けしてしまいそうで慌てて目を逸らした。
彼の記憶に間違いが無ければこれでもう3皿目だ。だと言うのにナマエのペースは落ちることなく、ヒョイヒョイと次々ケーキを平らげていく。
会場に入った当初はどこか作り物めいた笑顔だったが、実は今は本気で楽しんでいるのではないだろうか――そう思ってしまうほどにケーキを頬張るナマエは、普段の比ではないほどイキイキとしているように見えた。

(女は甘いモンが好きだとは知ってたが…この甘党ぶりは異常じゃねぇのかぁ?)

まさかこの会場に潜り込んだ当初の目的を忘れているのではないだろうな、といよいよ邪推したくなってきた頃、最後の一切れを平らげたナマエがふぅと小さく息を付いて空いた皿を給仕に渡し、徐にスクアーロへ甘えたように身を寄せてきた。

「な゛…っ!」
「いいから、聞け」

突然のナマエの行動と、彼女からふわりと優しく香る甘い香りに動揺するスクアーロを他所に、いつもの口調に戻ったナマエは視線をスクアーロには向けないまま緩く腕を絡め内緒話をするように小声で喋る。
傍から見れば恋人同士の戯れだろう。そのことに気がついて顔を赤らめるスクアーロだったがナマエはそれを綺麗に無視して話を続けた。

「オークションで見た顔が数人退室し始めている、私もそろそろ動くぞ」
「(……任務を忘れたわけじゃなかったのか)あ゛、あぁ」
「何かあったら随時連絡する、お前は――」

言葉の途中で何かに気がついたようにナマエが一瞬視線を動かす。
スクアーロがその先を追いかける前に絡めていた腕をするりとほどいて彼女は悪戯っぽい意味深な笑みを浮かべた。

「あなたはあちらのお嬢様方のお相手をしていてください」
「……は?」
「では後ほど」

微かな花の香りだけ残してスクアーロに背を向けたナマエは会場の人ごみの中に紛れていく。
彼女の言葉と笑みの意味を量りかねてその背を見送るスクアーロが首を傾げていると不意に横顔に不躾な視線を感じ取った。先ほどナマエが一瞥した方向からだ。

「………」

どことなく嫌な予感を感じながらそちらへ視線を移す。
流行りものの華やかなドレスと髪飾りで着飾った若い女性が3人、頬を紅潮させながら彼をチラチラと見つめていた。
その内の一人と視線が合った瞬間、きゃいきゃい騒ぐ声が一際大きくなり、思わずスクアーロの足が一歩逃げる。
正直なところこのタイプの女性の相手は彼の苦手とするところだった。

(アイツ、気付いてて見捨てやがったなぁ……!!)

なんとか顔に貼り付けた引きつる笑顔の裏でナマエへの恨み言を盛大に叫ぶも、まさか逃げ出すわけにも騒ぎを起すわけにもいかず、数分後スクアーロは彼女達の好奇の視線と質問の嵐の餌食となるのだった。



* * *



(さて、と)

一方スクアーロを見捨てたナマエはそ知らぬ顔で会場となっているホールの外へ出ていた。
給仕や他のスタッフは殆ど会場の中なので広い通路はドアを隔てた向こうから漏れてくる音楽が聞える程度で閑散としたものである。太腿の拳銃を服の上から軽く撫でて確認し、なるべく足音を立てないようにしてナマエは足早に歩き出した。

闇オークションと言えばセオリーは地下だろうか。
生憎プラチナチケットの偽造は出来なかったので正面突破は出来ないが、紛れ込む手段はいくつかある。
例えば好色そうな男性を一人捕まえてうまいこと同席してしまうのも一つの手だ。
しかし今回の任務はわざわざオークションに潜り込まずとも、先に証拠を掴んでしまえばそれまででもある。

(やはり保管室を見つける方が楽だな)

屋敷の関係者らしき者を見つけて跡を尾行るか、等と考えながら適当にいくつか角を曲がっているうちに、奥から数人の話し声が聞えてきた。更に足音を殺し、そっと物陰に身を潜め顔だけ少し覗かせそちらを探る。

ホールのそれと比べれば小振りな両開きの扉。しかしその脇には警備員と見られる男が二人。更には燕尾服を着た執事風の男が客の一人と見られる中年の女性のチケットを受け取って目を細め確認している。

(――会場に当たった、か)

覗かせていた顔を引っ込め、壁に背を預けたナマエが小さく息を吐く。
今来た道を少し戻って、余裕があればスクアーロに一度連絡を入れ、それらしい男を適当に捕まえよう。そう思って壁から背を離したところでナマエはこちらに向かってくる足音に気がついた。

すっ、と不自然ではない動作でそちらを向く。
向かってくる相手も今ナマエに気がついたように顔を上げて、視線が絡んだ。


背の高い痩身気味の男。肌は浅黒く、髪はゆるく波打つ闇色。
そして瞳は――金を思わせるヘーゼル。



ドクン――!



心臓が痛いほどに大きく脈打った刹那、ナマエは目を見開き、言葉を失った。


知っている。
覚えている。
忘れるはずなど…忘れられるはずなどない、あの 瞳。

ナマエから居場所を、家族を、幸せを――全てを奪った男。


(ギー・ギルブレイズ……!!)


予期していなかった、この世で最も憎い男との再会にナマエの心臓は狂ったように早鐘を打った。
彼から目を逸らせないまま喉はカラカラに渇いて、握り締めた掌は細かく震える。

ナマエの存在に気付いて尚、歩調一つ乱すことのないギーが一歩また一歩と近づいてくる度に、ナマエの頭には彼と過ごした日々が、そして彼と決別したあの日の光景が鮮やかに蘇った。

「……ッ」

溢れ出す。

かつて抱いていた彼への親愛の情が。
それを裏切られた瞬間の底知れない哀しみが。
そしてこの10年、決して薄れることのなかった憎悪の念が。

ゴチャゴチャに混ざって、苦しいほどに。



「可愛らしいお嬢さん、こんな所でどうしました?」

ナマエの数歩前で立ち止まったギーが、冗談めかした口調で人好きのする笑みを浮かべ、軽く肩を竦めてみせた。


『おいで、小さなお嬢様。俺と庭で遊びましょう?』


その姿に記憶の中のギーが重なる。
彼はあの頃のままだ。笑った顔も、仕草も、纏う雰囲気も。
一瞬、幸せだったあの頃に戻ったような気がして、訳もわからぬままナマエの瞳が熱くなった。

「顔色が優れない様ですが…」
「い、え…平気、です。パウダールームをお借りしたら、道がわからなくなってしまって」
「ああ、そうでしたか。それでしたら、ホールはあちらですよ」

なんとか笑顔を貼り付けて、途切れてしまいそうな言葉を必死に紡げば、ギーはにこやかな笑顔を浮かべ、スッと差し出した掌でナマエへホールへの帰り道を示す。
彼は自分に気がついていないのだと確信し、ナマエは気付かれないように震える息を吐き出した。

「ご親切に…ありがとうございます」
「いえ、このくらい構いませんよ。……さぁ、早くお戻りなさい。貴方のようなお嬢さんはココには似合わない」

最後の方は少し声を潜めて意味深に微笑ったギーが不意に何かを懐かしむように目を細めてナマエを見つめる。数秒の沈黙の後、優しい動作でそっと伸ばされた彼の手を、なぜだかナマエは避けようと思えなかった。

骨ばった大きな掌がナマエの頭を撫でるようにして触れる。
昔彼がよく、幼なかったナマエをそうしてあやしたのと同じ様に。

「――…失礼。少し髪が乱れていたようでしたので」
「ッ…!」

胸を締め付ける感情の渦に飲まれ、咄嗟に言葉が出てこず、ナマエはただギーを見つめることしかできない。その眼差しの先でギーは困ったような苦笑を浮かべ、やがて小さく会釈した。

「それでは」

カツン、と足音を一つ響かせて踵を返したギーが背中を向けた。


『――消えろ』


(ギー…!!)

あの日の 冷たい背中。
またしてもピタリと重なる、過去と現在のビジョン。

気がつけばナマエは震える手でホルスターから拳銃を引き抜き、遠ざかるギーの背中へ照準を合わせていた。


(ギー、私、は……!)


いつもの冷静な彼女だったなら背後の気配に気付けていただろう。
しかし今のナマエには欠片の冷静さも残っておらず、ただ目の前にいるギーのことで頭が一杯だった。
忍び寄る手に彼女は気付けない。

「随分と物騒なモノをお持ちですね?」
「ッ?!!」

拳銃を持つ震える手を背後から一瞬にして捻り上げられる。
いきなり頭上で聞えた声に振り向こうとしたと同時に口元へ布が押し当てられた。息を呑んだ瞬間、独特な臭いが鼻を突く。

(クロロホルム……!しまっ…)

「悪い子には罰を与えなければ、ね?」

いやらしい笑みを浮かべ、猫なで声で囁く男はこのパーティーの主催者。
彼の拘束を解こうと身を捩るも既に嗅がされた薬の効果でナマエの視界は歪み、体からは徐々に感覚が消えていく。朦朧とする意識の中、最後の力で顔を上げたナマエはギーの背中を捜した。

(く、そ…クソ…ッ!ギー…!!)


あの日と全く同じだ。
どんどん遠く、小さくなっていくその姿。
ギーは振り向かない、ナマエがどんなに叫んでも。

(滑稽、だな…わた、し……も)

自嘲気味に小さな笑みを浮かべ、項垂れたナマエは意識を手放した。




(→)


(07.08.29)(11.11.14 修正)