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ロフトに上がってみれば忍足くんは私の友達の膝枕で正しく『ゴロニャン』状態だった。
寝ているんだか起きているんだか分からないけれどとにかくぐでんぐでんになっているらしい。
いいな、膝枕。
ちびちびカクテルを舐めながら見ていると隣に座った白石さんと目が合う。
「…なんか、グダグダな飲み会になってまったな」
綺麗な眉を下げてそう言った。
どうせグダグダなら、私も少しくらいグダグダしたっていいだろうか。
「私も、眠くなってきちゃいました」
眠くなるどころか心臓が痛いくらいにドキドキしているというのに。
白石さんの前で眠れるわけなどないのに。
白石さんがふと笑って甘く囁く。
「ええよ、寝て。おいで」
そっと腕を引かれて、白石さんの膝に頬を乗せた。
ああ、死んでしまう。
そんな気持ちだった。
どうしよう、どうしよう。
何も考えられない、考えたくない。
白石さんの指が私の髪を撫でて頬を滑る。
「自分、肌つるっつるやなぁ」
柔く、何度も頬を指の背が滑っていく。
女の子にそんなに簡単に触っちゃだめなんじゃないんですか。
胸が一杯でそんなことは言えない。
このはち切れんばかりの感情は説明しきれない。
幸せとも切ないとも嬉しいとも苦しいとも違う、よく分からない気持ちが複雑に絡み合って。
私は何も言えないまま目を閉じた。
「ええ子やな、自分」
白石さんが静かに呟く。
ほんの少しだけ顔を動かした。
聞こえていると伝わるように。
白石さんはそれきり何も言わなかった。
いい子ってどういうことだろう。
『どうでも』いい子、『都合の』いい子、『ただの』いい子。
白石さんが私をどう見ていようと、もう私の気持ちは大きくなりすぎてどこへもいけない。

「言うたんやろ、財前」
しばらくして、白石さんの声が掠れ気味に聞こえた。
動くのも億劫で私は黙ったままいた。
「言うたりましたよ、最初に」
ぽんぽん、と頭を撫でられる。
「どないするんすか、完璧溺れとりますけど」
「……んー…」
「『彼女』も」
財前の言葉に白石さんは答えなかった。
隠す気なんてさらさらなかったからバレてるのも全然問題はないけれど。
違うんだ、困らせたかったわけじゃない。
私を見て欲しいと、願ったけど望んだわけじゃない。
優しくされるともっともっと甘やかしてほしくなる。
その溶けてしまいそうな優しさを肺一杯に吸い込んで生きているみたいな、そんなふうに大げさで馬鹿みたいな感情。
もうどうしたらいいか分からない。
どうにもしなくていいんだ。
ただ、ただ、好きなだけだった。

髪を揺らされて、名前を呼ばれる。
私は重たい瞼を持ち上げた。
複雑な気持ちで、でもそれを出さないように一度固く目を閉じて、そして再び開ける。
「そろそろ電車、ヤバいんちゃう?」
低い声がゆっくりとそう言った。
上から間近で見下ろされて胸がぎゅっとなる。
もう本当何これ。
起き上がって時間を確認すると、終電まであと15分といったところだった。
財前が忍足くんを蹴り飛ばしながら起こしている。
膝を貸していた友達が痺れた足をひくつかせながら立ち上がった。
「今日はほんまありがとう。また飲み行こな」
白石さんが私たちにそう言った。
「電車、ヤバいやろ。もう行き」
駅までの帰り道も財前が送ってくれ、残った二人はそのまま白石さんのアパートへ向かったらしい。
財前もこれから行くとのことだった。
「ほな」
「ありがとう、財前くん」
財前と別れ、女三人できゃあきゃあ言いながら改札へ向かう。
そんなつもりはなかったけれど、結局当たりなコンパのような体になってしまった。
まあ、私も含めみんな楽しんだならそれでいいのだけど。
磁気カードで改札を通り過ぎる友達に続こうと鞄の外ポケットを探り、そして私は立ち止まった。
ない。
定期がない。
「え、嘘」
鞄を引っくり返す勢いで探すが、どこにもない。
いつも同じ外ポケットにしまうから失くすことなどほとんどないのに。
そうこうしている間に本日最終電車がホームに滑り込んでくる。
切符を買おう、と思った瞬間に、邪な考えが頭を過った。
「ふ、二人とも、電車来てるから行っていいよ!私、明日講義ないし、定期探しに戻るから!」
慌てる二人に手を振って元来た道を戻る。
もしかしたら、まだ皆残ってるかもしれない。
そしたらきっと一人でオールなんてことにはならないはず、なんて。
こんな計算高い真似、わざとじゃないって言ったって信じてもらえなさそうでちょっと複雑だった。
とにかくさっきのお店まで自力で戻って定期は見つけよう。
それからは、見つかったら考えよう。

そう思ったものの。
「…道、間違えた?」
歩いて5分もかからない場所だったのに、すでに10分近く歩いている。
「あれぇ??」
自分の間抜け加減に凹んだ。
いくら暗くて分かりにくいとはいえ、あんなに近い場所にも行けないとは。
定期もどこかへ失くしちゃうし、浮かれすぎなんじゃないの。
あーもうダメかも。
そんな風に考えたら、もういっそ、ダメな自分でも仕方ないかななんて開き直る。
携帯で教えてもらった番号に初めて電話をかけた。
コール三回、ブツリと途切れた後一瞬の空白に私は息を飲んだ。

「も、もしもし…く、蔵ノ介くん…?」
白石さんは勢い込んで私の名前を呼んだ。
『自分、今どこにおるん?定期忘れてったやろ、追いかけたんやけどおらへんし!』
定期見つかった…とホッとして、そしてハタと自分の今の状況を思い出した。
「あの、道に迷ったみたい」
『は?』
「定期がないのに気が付いて、さっきのお店に戻ろうとしたんだけど、どこかで道間違えたみたいなの」
深いため息が電話口から聞こえてきた。
ああ、呆れてるのかな。
『駅まで、戻れるか?』
「が、頑張ります」
『駅で待っとる』
うん、と一言伝えると通話を切った。
緊張で声が上擦った。
もしかしてもう少し一緒にいられる?
嫌われなければなんでもいい。
どんな意味の『いい子』でも構わない。
ちょっとだけ、そばにいさせてくれたら。
ほろ酔いなんてとうにスッキリしていた私は駆けるように駅へ向かった。


合流した白石さんに連れられてやってきたのは白石さんの住むアパートだった。
二階の奥から二番目の部屋までやってくると、ドアノブにコンビニのビニール袋が掛かっていた。
ここが白石さんの部屋らしい。
「なんや、これ」
ビニール袋を取り上げて中を確認した白石さんは、入っていたメモを見て少しの間固まった。
「…帰りよった、あいつら」
ビニールの中から鍵を取り出す。
私はイマイチ状況が飲み込めないまま、とは言え財前が気を利かせたのかと考える思考能力は残してただ白石さんの動向を待った。
「どないする?入る?」
?入る以外に何かあるんだろうか。
こくりと頷くと追い討ちを掛けるように白石さんが言う。
「オレも同じ部屋で寝るけど、ええ?」
こくりと頷いた。
ここはあなたの部屋ですし。
ほなら、と呟いて白石さんが玄関の鍵を開けた。
むわ、と昼間に温められた温い空気に包まれる。
よくあるワンルームで、狭い玄関の正面に扉、左手にはユニットバスがあった。
部屋に招かれ、所在無く周りを見回してそして私はやっと状況を理解したような気になった。
どういうこと、何これどうしてこうなった?
オレモオナジヘヤデネル?
それはどういう意味なの?ただ寝るだけ?それともそれはそういうことになっても文句言うなよってこと?
白石さんがどういうつもりでいるのか全く検討もつかないままただ鞄を握りしめて突っ立っていると、白石さんが背中で『適当に座ってええよ』と言う。
座るってどこに?どうやって?
「あ、シャワー浴びるか?」
「だ、大丈夫、です」
「ほーか?」
白石さんの部屋でシャワーなんて浴びたら私は溺死する。
「寝ててええから」
それだけ言い残し、白石さんはユニットバスへ消えた。
………死ぬ。
部屋の端に鞄を置いて私はスカートの裾がめくれないようにベッドの奥に転がった。
壁に顔を向けて目を閉じる。
シャワーの音。
シーツからは少し独特な薬品のような匂い。
何を考えているんだろう、私のことどう思ってるんだろう、私が恋をしていることをどう思ってるんだろう。
彼女は。
携帯にはさっき別れた友達からメールが入っていた。
状況をメールで説明するのは酷く面倒でそのまま放置する。
胸の前で両手を固く握ってなんとか自分を落ち着かせようと試みるけれど、そんなの無理。
どうしようもなくいろんなことを考えた。
考えたってもうどうしようもないのに。
シャワーの音が止まる。
程なくしてドライヤーの音が聞こえてきた。
白石さんの生活音。
彼はどこか私のなかで完成された存在でいたから、少しだけ不思議な感覚だった。
ガチャリ、部屋の扉が開く。
ギシリ、とベッドが背中で軋んで私は動けなくなった。
「おやすみ」
白石さんの囁く声が届いて、私は引きつる喉をなんとか開いて振り絞るように返事をした。
「おやすみなさい」
どくり、と心臓が鳴る。
腰を引き寄せられて、そのまま後ろから抱きしめられた。
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