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内心はもう死んでもいいくらい舞い上がっていた。
電話番号をゲットしたくらいで二十歳を超えて少し乙女過ぎるけれど、正直恋なんてほとんどしたことがないのだから仕方ない。
「今日はありがとう、財前くん」
「ええて。奢てもろたし」
「ううん、幸せだったから」
そう言うと財前は簡単なやっちゃなぁ、と呆れた。
簡単、だとは自分でも思う。
これまでこんな風に自分から動いたことなんてなかった。
誰かといてこんなに笑えないのは初めてだった。
いつも誰といても笑顔を作るのが当たり前だったから、誰かと一緒にいて緊張するなんてことはほとんどない。
彼の前だと作り笑いも上手くできないなんて、どんな乙女だ。
それもなんだか幸せだった。
乗り換えの駅で財前と別れる。
私はショートメールで白石さんに簡潔なお礼とアドレスを送った。
何度も何度も文章を確認して。

見返りを望んでいないとは言わないけれど、だからと言ってどうこうするつもりもなかった。
白石さんに彼女がいるならそれを邪魔するつもりはないし、私を好きになってほしいなんてなんだかとても大それたことに思えた。
こうして勝手に盛り上がって勝手に盛り下がっているだけでも十分な気がした。
だってどうしたって白石さんが素敵なことに変わりはなかったのだから。
憧れるように恋をしていられたらそれだけでふわふわとした幸福感。
手の届くところにいる彼なんて想像ができなくて、だから降って湧いたようなあの瞬間は今もまだ夢だったのではないかと疑っている。

明け方近く、白石さんから返信があった。
朝、目が覚めて携帯を見て、瞬時に覚醒した。
二度寝しようと思っていたのにそれどころではなくなってしまった。
もちろん内容なんて昨日はありがとう、また来てな、くらいのものだったけれど。
好きだと自覚してしまうともう白石さんのことしか考えられなくなって、講義やテストやバイトや、今重要なことが何も手に付かなくなった。
さすがにまずい。
毎日がふわふわして、でもそれを表に出さないようにひたすら押し殺しながら先の見えないこの繋がりにほんのちょっとだけ、蜘蛛の糸を掴むような、そんな気持ちだった。


それから半年の間に二度程白石さんのバイト先へ遊びに行った。
一度は財前と、もう一度は一人で。
他愛のない、それでいて核心には触れない探り探りの会話を交わすだけでも胸が一杯で、私の気持ちはどんどん膨らんでいった。
傍目に見ても分かるくらいに。

「今度財前たちと飲むんやけど、自分も来るか?」

そんな風に誘われて私は一も二もなく頷く、前に『いいの?』と確認をいれて、そして首を縦に振った。
「その『白石さん』いうのもやめよか。なんやこそばゆいわ」
「じゃ、じゃあ、く、蔵ノ介くん、で」

私の方がこそばゆい。
でも満足気に頷かれてしまっては後戻りできない。
恥ずかしい。
でも嬉しい。
蔵ノ介くん。
誰かの名前がこんなに特別に響くなんて知らなかった。
わりと人の名前は覚えられない質なのに。

「あ、友達連れてきてな。失恋した男励ます会やねん」
「そうなんだ」
「おお。場所と時間決まったら連絡するな」

まるで友達みたいな会話。
白石さんから見たら私はただの友達なんだろうけど、私は決してそんな風には見られなかった。
恋をしているからというのを差し引いても、白石さんはどこか少し、違った。
上手く言えないけれどとても、特別だった。

その日またお礼のメールをすると、また朝方の返信だった。
けれど今度のメールは語尾にいくつかクエスチョンマークの着くもので、メールを繋げるというごくありふれた行為にとても心臓が跳ねた。
電車の中で返信して、いつ返事がくるかそれはもう一日そわそわしっぱなしだった。
そして結局、返事が来たのは真夜中だった。
もっとも、それだけで簡単な私は飛び上がるくらい喜んだのだけれど。
その日から約束の日まで、一日一通という驚く程のスローペースでメールのやり取りが展開された。
私もメール不精だったので助かったと言えばそうだけど、でも白石さんにだけは即レス。
どんなに遅くたって返信があるだけで十分だった。
我ながら健気だ。
どんなに相手がダメ男でも献身的に尽くしてあげちゃう女の子はこんな心理なんだろうか。
白石さんは決してダメ男なんかではないけれど。
(盲目的だ)

またしても待ち合わせは私鉄の小さな駅だった。
友達二人と待っていると、のんびり右手から財前がやってきた。
「こっち」
財前が指差したのは駅前とはとても思えない程閑散とした住宅街だった。
一本道を抜けると新興住宅街の建ち並ぶ中にスーパーやコンビニやドラッグストアが密集している。
その向かいに小さな看板の掛かる居酒屋があった。
「なんか、こういうとこ好きだね。隠れ家っぽいとこ」
「あの人の趣味やで」
そうなのか。
扉を潜ると薄暗い照明の店内にカウンター席しかなかった。
「おー来たか」
誰もいない店内にまだ来ていないのかと思ったら、上から白石さんの声が降ってきた。
見上げるとロフトから白石さんが顔を覗かせている。
「ども」
財前が会釈をする隣で私もぺこりと頭を下げると、白石さんが笑って『上がっておいで』と言った。

ロフトは背の低い私でさえ頭がぶつかるほどで決して広くはないが、一面にふかふかのマットレスが敷かれ居心地はとても良かった。
傷心の白石さんの友達は私たちが来た時には既に結構出来上がっていてグダグダと管を巻き始めていた。
「堪忍な、せっかく来てもろたのに」
その彼も真っ赤な顔をしてベロベロではあったけれど結構なイケメンだった。
締まった身体付きなのは白石さんたちと同じくスポーツマンだからなのだろう。
全然気にしないで!とイケメンには甘い女性陣に白石さんは『みんな優しいなぁ』と本気でそう思っているのか冗談なのか分からないことを言った。

「ほんま、いっつもいいとこ持ってくねんアイツ!」
ドン、と生ビールをテーブルに置いてその彼、忍足くんは言った。
女の子によしよしと頭を撫でられてちょっと機嫌が緩んだかと思えばそうでもなく、わりと根の深い話らしかった。
財前に至っては一通りつまみをつまむと付き合っていられないとばかりに席を立ってどこかへ行ってしまっていた。
甘いカクテルですでにほろ酔い気分で私もお手洗いに席を立つ。
用を済ませるとロフトに戻る前に店内をぐるりと見回した。
カウンター席には3、4人が座っている。
ロフトへ登る階段の真下にちょっとしたスペースが設けられ、ダーツが用意されていた。
財前はそこにいた。
「ここにいたんだね」
「あの人、話長いねん」
小さなテーブルにジーマの瓶が置いてある。
浅くスツールに掛けてダーツを投げる財前を後ろから眺めた。
「…やるか?」
「いいの?」
羽根のくたびれた矢を渡され、財前がやっていたように構える。
後ろで見ていた時より実際のラインに立つ方がダーツボードまで距離があるように感じた。
「ちゅーか、自分やったことあるん?」
「ううん、始めて」
こんなシャレオツなゲームやったことありませんよ。
財前が構える私の真後ろに立つ。
右側から同じく矢を持つ手が紙飛行機を飛ばすように動かされた。
「こう、手首で…」
音もなく放たれた矢はザクリ、とボードに刺さった。
案外簡単そうだと真似して投げた矢は、ボードに当たって跳ね返り間抜けな音を立てた。
「…難しい」
「……まあ、最初やし」
財前が刺さった一本を抜き、無残に落ちた一本を拾った。
「意外に優しいんだね。馬鹿にされるかと思ったら」
「下手くそ」
「褒めてるのに」
矢を握らされて手首を掴まれる。
「こう」
肘の高さは動かさないようにして、水平に。
「こ、こう?」
手から離れた矢は今度も跳ね返って落ちた。
「あー、要練習だなぁ」
「精々気張りや」
財前はテーブルに戻るとジーマを瓶から煽った。
渡された矢を手に私は黙々と投げる。
「あ、刺さった」
何本か投げてやっと一本が右下に突き刺さった。
コントロールはできそうだが、それでも刺さらなければゲームにならない。
もう少し練習、と思ったところで財前がまたすぐ後ろに立っていることに気付いた。
「ほら見て。刺さった」
「普通は刺さるもんやて。つーかアンタ、腰ほっそいな」
キュロットのウエスト辺りを財前の骨張った手が無遠慮に一周した。
「お、わ。ちょっと、あんまり細くないから」
「掴めそう」
余分な肉の付いた腰回りをぎゅっと両手で掴まれそうになる。
こういう時はつい茶化して色気も飛んでいく自分に苦笑した。
「さすがに掴めないから!くすぐったいしやめー!!」
「こら財前!セクハラはあかんわ」
ピタリ、白石さんの声に財前の手が止まった。
私たちの背後から呆れた表情をした白石さんが顔を出した。
「女の子にそない簡単に触ったらあかん」
「それ、部長が言うても説得力ないっすわ」
ひらりと財前が両手を上げて私から離れる。
白石さんはうっさいわ、と一蹴した。
「謙也さんは?」
「ゴロニャンや」
ゴロニャン?
首を傾げた私に白石さんはロフトを親指で示した。
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