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恋をしたのは初めてだった。

誰かを好きになるのに理由も時間もいらないのだと知ったし、それが本当の恋なんだと今では思っている。
そんなのはもう一生ない。
「蔵ノ介くん」
誰かの名前がこんなに特別だなんて思ったことはないし、彼に呼ばれるまで自分の名前がこんなに鮮やかな響きを持っていることを知らなかった。
彼に関することは全部、今でも、硝子のジュエリーケースにキラキラと反射する宝石のように奥底にしまっている。
指紋やキズが着くのが嫌で、大切過ぎて触れられない。


学祭の総実行委員会の役員になったことがそもそものキッカケだった。
数百を数えるサークル、同好会、研究室、学科が参加するそれこそあちこちにあるキャンパスで催されるイベント、発表を取り仕切るそれはそれは面倒な仕事だ。
元々イベント事を企画・運営していくのはとても好きだったから下地の何もない場所から果てしなく壮大な『お祭り』を創造していくのは何にも代えられない楽しさだった。
数ヶ月かけて計画していく学園祭は想像以上の大変さで、本番二ヶ月前からは毎日息つく暇もなく何かしら動いていた。
そして迎えた本番。
そこで私は大げさではなく運命と出会う。

総実行委員会が主催するイベントはたったひとつしかなく、私たちの仕事はイベントのタイムスケジューリング、会場管理、告知、当日のゲスト案内等々の雑務が主である。
そんな中、そのひとつしかない主催イベントがミスコンだった。
大々的に一大イベントとして学祭とは別枠を設ける大学が多い中、私たちの大学は学祭とまとめて開催している。
運営側唯一にして学祭内最大のイベントは参加者を立候補者の中から事前投票により二十名に絞り当日を迎えた。
私はと言えば、控室でミスコン候補者のスタンバイをしているスタッフとインカムでタイミングを計っていた。
音響・照明、MCの準備を確認して時計を見る。
午前十一時ジャスト。
屋外ステージの前に設置された臨時アリーナは満員。
「では皆さん、準備はいいですか?!」
インカムに向かって話しかける。
次々にスタッフから返事が来るのを確認して、
「みんなで最後まで盛り上げていきまっしょう!ミュージック、スタート!!」
イントロ14秒でMCにキューを出す。
こうしてミスコンは順調に滑り出した。

ところが、小さな問題はイベントには付き物だった。
それをいかに上手く乗り越えていくかも醍醐味で、そのアクシデントがあったからこそ今の私があると言っても過言ではない。

『エスコート役の男の子が足りないです!』
突如、後輩がインカム越しに焦った声で私に伝えた。
ミスコンのラスト、ミスと準ミスに選ばれた三名にはこちらで用意した男の子にそれぞれ舞台上でエスコートしてもらう演出があるのだが、その男の子が一人出られなくなったとのことだった。
「誰か代役頼めそうな人いない?!」
幸いまだイベントは中盤、ラストまで小一時間はある。
最悪代役が見つからなければエスコートの演出は無しでもいい。
「顔はこの際いいや!今空いてる人は用意したパンツとジャケットのサイズを優先に心当たり当たって!それでダメなら演出そのもの無しにするから」
ほぼオンタイムで展開していく舞台の上を私は脇から見守る。
エントリーナンバー9番の少しキツ目な印象の美人がMCと掛け合って自己PRをしている。
BGMのボリュームが下がった。
マイクの音が上がる。
声の小さい彼女に合わせたのだろう、適切な処置だ。
ありがとうと言おうとして振り向いて、私は一瞬動きを止める。
そして一拍のち、インカムにまた声をかけた。
「音響の財前くん、身長いくつ?」
彼は確か実行委員会のスタッフではなかったのだが、スタッフの一人の友人らしくイベントの音響を手伝ってくれている。
口数の少ないタイプで、打ち合わせで何度か話したことがある程度の仲だった。
ツカツカと音響デッキの前ですでに嫌そうな顔をする財前に近付く。
インカムを付けている彼にもちろん事態は筒抜けだった。
財前は冷静に「嫌っすよ」と首を振った。
「大体、PAどないするんすか」
「私がやるよ。指示書と音源あればできるし。誘導は空いてる子連れてきてインカムで指示すればいいし控室にも流れ分かってる子一人いるから。で、身長いくつ」
「だから、嫌だ言うとるんすけど」
「お願いだよ財前くん!!」
「無しでもええ言うとったやないですか」
「それは最悪の話。せっかく企画したんだからできるだけ完璧に近い形で成功させたいじゃない」
そこで舞台上での会話が止まり、参加者の女の子が客席に向かってはにかむように話し出した。
慌ててインカムのスイッチを入れる。
「次の子スタンバイできてる?」
『オッケーです』
「じゃあMCに合わせて出しちゃっていいから」
ぺこりとお辞儀をした女の子が司会と客席からの拍手を背に舞台袖に戻ってくる。
お疲れ様でした、控室に戻ってくださいと声をかけてMCにゴーサインを送ると次の候補者の紹介が始まった。
財前がMCに合わせてBGMの音量を上げ下げしている。
「…頼むよ、財前くん。せっかくみんなで考えたんだ。できればちゃんとやりたいんだよ」
パチン、と顔の前で両手を合わせた。
そして数拍のち。
諦めたような長いため息と共に「しゃあないなぁ」とぼやきが聞こえた。
「ちょっと待っとってください。このコメントの間に済ませて来るんで」
「やってくれるの?!」
財前は答えることなく携帯を片手にひらりと袖の奥へ消えて行った。

そして言った通りに、10番目の女の子とMCの掛け合いが間も無く終わるかという頃に財前は戻ってきた。
「170後半くらいでええんすよね」
「え、あ、身長?!うん!」
「このタイムテーブル通りの時間やったらあと40分くらいやんな」
「そうだね」
「ほな、代役来ますよって。白石言うのが裏来たら通したってください」
代役?
「ちょ、財前くん…!?」
私は体格と見た目で財前を指名したのだ、それなのに本人が代役を頼んでしまうとは。
「無しよりええんやろ?」
そう言われてしまえば黙るより他ない。
「…エスコートの代役見つかったから、白石さんっていう人が裏に来たら準備して。役割は空いた人の仕事をそのまま代わってもらいます。あ、来たら報告して」
イヤホンを耳から外し、財前にありがとうと告げる。
そしてこのささやかなアクシデントは解決した。
予想以上に。


三日間続いた学祭が幕を閉じても元気の有り余った学生たちは眠らない。
後片付けは明日以降で、なんて言いながら前以て予約していた居酒屋に駆け込んだ。
乾杯の音頭に合わせてビールやらカクテルやら果実酒やらが弾ける。
私は席の隅でちびちびとピーチウーロンを口にしていた。
三十名程度の内輪の飲み会だが、それでも座敷一室借り切る大掛かりなもので、わいわい騒ぐ皆を見ているだけで満足した。
出される大皿の料理を人数分に捌いていく。
その円の真ん中には私たちの数ヶ月かけて作り上げてきたイベントで、あっという間にスポットライトを奪っていった彼が笑っている。
財前が連れてきた白石さんである。
彼はまごうことなきイケメンだった。
面食いの私が言うのだから間違いない。
彼と最初に接したのは、彼の準備が整い舞台に上がる直前だった。
「白石さんですよね?これ仕切ってる日下部です」
「あ、どうも白石です」
「やー白石さんかっこいいですね!突然で申し訳ないんですけど、よろしくお願いします」
「あ、いえいえ」
簡単に挨拶を済ませて仕事に戻る。
本当にかっこいい。
元々出演予定だったのは地域雑誌の読者モデルをしている学生で身長もスタイルもわりとこだわって頼んだ男の子だったが、その子の為に用意したジャケットとパンツを難なく着こなす白石さんは代役と呼ぶには失礼な程だった。
ヘッドホンで音源の確認をする財前の肩を叩く。
「財前くん、ありがとう!白石さんかっこいいよ!」
「そら良かった」
おまけに優しそうだ。
絶対美人な彼女とかいるんだろうなぁとか邪なことを考え、そして頭を切り替える。
「さあ、準備はいいかな!?ラストスパート頑張ってこう!」
インカムに向けて声を張り上げ、そしてMCにキューを出した。
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