一切合切容赦なく、クダリは拳を振り上げた。ひく、と震えた黒衣に向かってにっこり笑う。顔に向かって真っ直ぐやってくる、固い拳。
「と、見せかけてーの、」
咄嗟に顔を庇ったノボリを、クダリは嘲笑う。ただでさえ悪かった顔色は、更に悪くなっている。腹にゆるやかに食い込む拳の感触がした。
「っぁ、がふ、!」
あまり強くしたつもりは無かったが、重々しい悲鳴、というより呻きがクダリの耳に届いた。強情だなあ。呟く。
「我慢が一番身体によくないんだよぉ」
「………ぅ、ぐ、ふぅ、うぅぅぅう」
口元を押さえる手袋にも負けないくらい、顔が白い。だらだらと流れる脂汗と、生理的な苦痛により滲み始める涙。銀灰色が淡く揺れて、こんな時だというのにクダリは欲情した。
目元に溢れる涙を舌で掬って、その後に手を無理に口から放して唇へ口づけた。
「んむ、っ、ぐ!」
「うわ、」
強く肩を押されてクダリは尻餅をついた。ほぼ同じタイミングでノボリも蹲る。次いで響くびちゃびちゃという水音と呻き。
「っえぅ………あがっ、ぉええ、ぇ、ぐぅ………」
「あー、よしよし」
背中をさすりながらクダリは苦笑する。だからさっさと吐けばよかったのに。喉を逆流する胃酸とつんと鼻にくる独特の臭い。ノボリはぼろぼろと涙を零しながら胃の中身を出していく。えづく様子にすら欲情するなんて末期だなあぼく、など考えながら、クダリは優しく背中をさすり続ける。
ノボリは潔癖症という訳ではなかった。アレルギーも、何かに対する恐怖症もない。クダリは最後までノボリに致したし、ノボリもクダリを受け入れた。ただ、ただ一つ。
ノボリはキスができなかった。キスだけが、できなかった。
バードキスで喉奥に違和感を感じ、プレッシャーキスで胃が煮え繰り返り、ディープキスなどしようものなら、クダリも共に吐瀉物に塗れる事を覚悟しなければならない。故にセックスの最中、彼らはキスをしない。できない。クダリも、ましてやノボリだって酷く寂しいし物足りない。ノボリに至っては自分に原因があるのだから、あの兄の事だ、少なからず責任を感じているに違いない。けれど。
「ふっ………ぅう、ぇ、ぐ」
「落ち着いた?」
声が出し辛いのだろう。こくりと首の動きだけで首肯するノボリに、クダリはまたしても欲が煽られるのを感じた。同時に沸き上がる嗜虐心。
クダリはノボリに口づけた。舌を入れると、苦いような酸っぱいような甘いような味がした。ノボリの身体が戦慄く。離せ、と腕が暴れる。
口の中に侵入してきた胃液を、クダリは喉を鳴らして飲み込んだ。






密やかにナイフ