※海外サブマス注意 たん、と軽い音がしたのを真後ろで聞いた。音を聞くや否やノボリは飛び出す。自らの革靴の音が高く反響するのが頭に痛い。踏み出した足の裏はじんじんとした感覚が残っていて、額からはじわじわと汗が滲んだ。 「…………っギギギアル」 ぽん、と音がして、ボールから歯車が絡み合った様な形態のポケモンが現れる。後ろから響く足音は酷く落ち着いていて、等間隔だ。焦燥と恐怖ばかりを刻み込む足音。 「大変申し訳ありませんが、足止めをお願いします。いざとなったら、逃げて下さいまし」 返事を聞くとノボリはまた駆け出す。広いギアステーションの中を、関係者だからこそ判る道を駆使して、複雑に、複雑に逃げる。金属質な高い音が耳を掠めた。 ごめんなさい。唇を噛み締め、暗闇の中を黒衣が駆ける。ただただ、この場から去る為に。 事務室に駆け込み、鍵を取り去った。明かりは居場所を特定されかねないので、一つ一つ消しては逃げている。勿論、それだけでは見つかるので、ドリュウズに撹乱の為に他の場所の明かりも消させている。 「っは、ぁ、はっ………」 息が荒い。きっと今頃彼はギギギアルを倒してしまった頃だろう。己のした事の卑劣さと相手の実力を改めて痛感した。向き合うならば負けない自信はある。しかし勝率は五分五分で、勝てる自信もある訳ではない。 何より今。ノボリは追われる立場だ。足を叱咤して動かす。 膝が笑う、とはこの事だろう。疲れだ。くらり、と頭に酩酊感も感じる。壁に肩をついて、ノボリはゆっくり歩いた。動かずにはいられなかった。 暗闇のせいで、視界は非常に悪い。それでも何処に何があるのかは、長年の記憶と感覚が教えてくれる。 「………………ふ、ぅ」 こんな事になった理由は何だろうか。初めて考えた疑問だった。この逃亡ごっこが始まってから、そんな余裕は存在しなかったのだ。 ずる、かつ、ずる、かつ、交互に高い音が響いていく。頬を伝う汗は、冷たい。 片割れの事を思い出した。吊り上がった唇。白いコート。鈍色の瞳。やや高めの体温か、酷く恋しい。 「……………クダリ、」 ぽつり呟いた名前は誰にも拾われる事なく溶けていく。 「みつけた」 聞き覚えがあるのに、明らかに異質な違和感を感じる声にノボリは目を見開いた。モンスターボールにかけた手は押さえ込まれ、駆け出しかけた足は引っ掛けられて無様に転んだ。強かに背中を打ち付け、ノボリは顔を顰めた。 「足速いんですね。意外です。手間取ってしまいました」 言いながら、彼はにこりともしない。馬乗りにのしかかられて、ノボリは苦しさに喘ぐ。 紫煙が鼻を掠めた。染み付いたそれは、ノボリのコートには絶対に無い匂いだった。よく似たコートとよく似た容姿。明らかな違いは、それだけ。 「っ、はなし、て、下さいまし………!」 「それはできかねます」 がちゃがちゃと音がして、ベルトが抜かれたのに気付く。連なる様に下がっているモンスターボールを見て、ノボリはじわじわと選択肢が奪われているのを痛感する。 「さて、ノボリ」 「……………嫌、です」 「ノボリ」 「……………クダ、リ」 「……………私はクダリではございません」 手袋越しの手が首を掴んだ。喉仏をごりごりと押されえづいた。 「インゴ、です」 捕まえた、と零された言葉は奈落への道標の様だった。 ロストガーデン |