「はぁ、怖い話」
珍しく釈然としない様子でノボリが言った。
「だって暑いじゃないですか」
「涼しさを求めてるんです、私たち」
にっこり、いい笑顔でトウヤとトウコが言った。
「はぁ」
またしても曖昧にノボリが返事をする。あまり怖い話は期待できませんよ、と彼は言うが、二人は中々にお構いなしだ。
「そうですね………」
何かないか、と頭を巡らせてもめぼしい話はない。そもそも、何年もこのギアステーションの車掌を勤めているが全くそんな話を聞かない。ぐるぐると、絶え間無く記憶を辿る。
「んー………あ、ありましたね、そういえば」
「「どんなっ?」」
中々の食いつきだった。むしろ好奇心で動いているのではないか、この二人。
「少し前、今ほど禁煙が徹底されていない頃の話なんですが………。ここ、ギアステーションは一応通常ダイヤの運営も行っています。その時、一人の男性が煙草を吸おうとライターを取り出したそうです。………今にして考えれば些かマナーに欠けますね。当時は喫煙所もきちんと配置してあったはずですが」
ノボリは多少まなじりを吊り上げた。その様なマナー違反があった事が許せなかったのかもしれないし、それに気付けなかった己の過失も許せなかったのかもしれない。
こほん、と一つ咳ばらいをしてノボリは「すみません」と言った。トウヤとトウコは苦笑していた。話を続ける。
「それからですね、その男性の元に若い女性がやってきたらしいです。女性はふらふらと寄ってきたかと思うと、男性に向かって一言、『ライター貸して頂けませんか』と仰ったそうです。男性はそんな事なら、とライターを女性に渡したそうです。その女性はにっこり笑った後、いきなり自分の髪を燃やし始めたそうです。男性は勿論驚いてライターを取り上げようとしたのですが、女性はけたけた笑いながらそれをかわし、ライターを線路に投げました。女性はひらりとそれを追って線路の下へ降り、男性は呆然としていました。その時、終電のアナウンスが流れました。男性は焦り、早く上がれと叫んで下を見たのだそうです。

そしたらば女性がホームの下の窪みから仰向きに頭を出して笑っている!

電車がやってきます。男性はあの人が死んでしまう、と周囲を見たそうです。皆さん、素知らぬ顔で携帯などをいじっている。そこで男性は気付きます。あの窪みは、人が一人仰向けになって頭が出せる程の隙間があっただろうか、と。夢でも見ていたのかとそのままお帰りになったそうですが、ライターは彼のポケットから失くなっていたんだとか」
お終いです。トウヤとトウコは顔を見合わせる。背筋が肌寒いを通り越して粟立っている。
「………なんでノボリさんはそんな話知ってるんですか?」
「何故、と言われましても。その終電の運転は私でしたし、男性にライターを落としたかもしれないと相談され、探したのも私でございましたし。他の鉄道員も、手伝って下さいましたが」
ライターは見付かりましたか、とトウコが好奇心を抑え切れないかの様に言った。瞳はホームをちらちら見たり見なかったり忙しない。
ノボリはこう答えた。
「見付かりませんでした」






ライター





洒落怖Part270、ライターを借りる女より。
自己満。