ふ、とした瞬間によぎる何とも言い難い感情の発露にリヴァイは顔を顰め、理不尽な暴力によってそれを発散する。腰を強かに蹴られて、「ぎゃう」と何とも情けない声がエレンから漏れた。
「何するんですか兵長」
「何となく」
「何それ酷い」
「本当は痛くないんだろう、エレンよ」
エレンは、みるみるうちに顔をこわばらせた。唇を噛み締めて、歪んだ表情を見せる。何かを堪えているような、もしくは今にも泣き出しそうな。
自傷行為を引き金とする巨人化だが、これからこの少年はどうするのだろうか。ウォール・マリアを塞ぐという大義も、残らず巨人を殲滅するという生きる理由も、全てが水泡に帰したに等しい。
すら、と澄んだ音を立ててリヴァイは剣を抜く。
エレンがぎょっとした表情になって後退する。よくもまあくるくる変わる顔だ、などと考えながらその切っ先を首に向けた。
エレンが本格的に逃げようと動く。右足がぐっと後ろに動いて体を捻って、逃げよう逃げようと必死になる。その混乱と恐怖と困惑が入り混じった表情にリヴァイはぞくぞくと、何やら巨人を倒すのとは違う奇妙な興奮が背中を駆け上がるのを感じる。
ただの確認作業が娯楽になってしまう前に、リヴァイは身を半分捻った状態のエレンを切り裂いた。
正確には、エレンの足の腱をだ。
「いぎっ」
短い悲鳴をあげてエレンは床に這いつくばった。ずりり、と衣擦れのような体を引きずる音が部屋に響く。
リヴァイは顔を顰めた。エレンの足からは本来あるはずの出血が全くなかった。かけらも。
「……………なあエレン」
どういうことだ、と抑揚なく問う。びくりと反応する体に、そこまで怯えさせる様な事をしただろうかと眉を顰めたが、エレンはそれを見てい一層唇を震わせる。
「すみま、せん」
「謝ってもわからん」
「………………」
お次はだんまりか、とリヴァイは舌打ちする。エレンはぼそりと、「蟲に」と言った。
「蟲、みたいになってるって」
「虫ィ?」
「ハンジさんが、言ってました………」
あの変態マッドサイエンティストに先に相談したのかと思うと反吐が出そうである。
虫には痛覚がない。血管もなければ、勿論血もない。
あの虫か、とリヴァイは朧気に理解した気になったが、しかしよく判らないのが本音だ。
エレンの視線が彷徨う内にリヴァイはその足を見た。歯が折れた時のように、既に再生している。見えない様に細心の注意を払い、その足に剣を突き立てた。
かっ、と高い音がしてエレンがこちらを向き、「何するんですか!」と叫んだ。
「痛くないんだな」
「っ、」
「蟲、か」
これも巨人化が原因の一端を担っているのだろうか。リヴァイは短く、エレンに目を閉じろと言った。
「何、するんですか」
「実験」
「え、」
反射的に顔を青ざめるエレンに愉悦が湧き上がったことは否定しまい。腕を伸ばし、耳元で「閉じろ」と再度命令した。エレンはおとなしく従う。金が見えなくなる。
リヴァイは突き立てていた剣を床から引き抜いた。エレンの足首からはやはり何も流れなかった。今、この少年の体が何で構成されているのかは、リヴァイには全く伺い知れぬ事であった。
短く息を吸って、胸にそれを突き刺した。エレンは顔を僅かに顰めたが何も言わなかった。困惑が目立つ表情には何も知らせず、リヴァイは浅く突いた刃を器用に操り左胸に一文字に切れ目を作る。剣を抜いて、掌をその上に乗せる。相変わらず疑問の色ばかりがエレンに目立った。
手を入れるとあっさりと滑る様に入った、その肉の中。肋骨らしき感触が伝わる。こつん、と少しばかり擦れて音をたてた。エレンの身体が跳ねた。
もう少し手を伸ばす。肉の塊の感触。しかしぬるぬるとしたものは全く伝わらず、リヴァイは眉を顰めた。手でそれをわし掴む。
潰してしまおうか。それとも、このまま奪い取ってしまおうか。
ヒトでなくなる前に、まだヒトを留めているこの少年のいた証として。
「……………………」
「……………兵長?」
長い沈黙にエレンがとうとう声をあげた。リヴァイの腕が止まる。
顰められた眉と従順に閉じられた瞳。何をされているか全く判らないに違いない。
痛みは感じなくとも違和感はあるのだろうか。リヴァイは応えるようにひとつ頷こうとしたが、しかしエレンには見えるはずもないので顎を僅かに引くだけに留める。何もしないままに手を引き抜いて、眉間に口づけをひとつ落とした。
視線を胸に落とす。傷はもう塞がりかけていて、肉の様相を僅かに残した赤い断面が微かに見えた。






last lover rust





2012.02.03
ひそやかに錆びていく僕の最後の恋人。