わっ、と叫びだして泣きたい衝動に駆られた。
やめてと連呼する口元は引き攣っていたし、この愚兄を見る瞳は真っ直ぐながらもやはり歪んでいた。
「いいえ、なりません」
しかしノボリは、口元を引き結んで、そんな愛しき弟の哀願を無視した。泣きそうなのはこちらだった。
喉は先程からずっと引き攣って痙攣してるし、指先はずっと震えていた。喉仏が軽く上下するのを、何度も繰り返す。堪えねばならぬ。これは礼儀だ。儀式だ。決定事項だ。
「無理、だよ。ノボリ。ぼくには、むりだ」
「………………」
しまいにはクダリはそう言い始めた。嫌だ、から無理だ、に変わったその言葉は、段々と本心を露わにしている様で、なんとも言えない気分になる。
「…………私だって、嫌です」
悟られない様、小さく小さくノボリは呟いた。それは全くの独り言であり、そして紛れも無い本心だった。嫌だ、と叫んで家に帰り、この弟とゆっくり過ごしたい。
だがそうもいかないのだ。
早く行かねばならない状況は如何なる時も変わりあるまい。彼らは車掌だ。職員である以上、それなりに責任を負わなければならない。今回も、その一つなのだろう。
「クダリ………」
「……………」
宥める様な声も今はクダリに届かない。
経験が圧倒的に足りなかった。当たり前だ。早々起こるはずも無い事だ。けれど、起きた。心構えも出来ず、経験も足りない彼らに、天災の如く。
「………ノボリ」
「はい」
「行かなきゃ、駄目?」
ノボリは微かに首肯してそれに答える。
判っているのだ、クダリは。そんな事くらい。
竦む足を叱咤して、二人は連れ立って歩いた。ささやかながら幼さを残す顔には、何処と無い強張りと緊迫の色が浮いていた。


「…………そんな事もありましたねぇ」
何処か懐かしげにノボリが呟き、クダリは至って平常通りに頷いた。
人だかりがまばらにできたそこに二色のコートが翻る。
ふと人だかりが無くなった。二人は全くいつも通りの足取りでそこに立つ。ホームの先、線路の中にそれはあった。
むわ、と香った鉄錆の様な臭いにノボリが顔を顰める。クダリはその手袋に包まれた手で鼻や口元を覆っていた。
この臭気には慣れそうになかった。こう幾度ともなれば、いい加減慣れが利きそうなものだが。
「今回は、まあ普通なんじゃない?」
「………そうですね」頭と太腿から下は綺麗に無事だが、その間はもう駄目なのが一目で判った。無事な部位があるだけマシだ。
その轢死体は、俯せになっていた顔を僅かに傾けて、濁った目で二人を見上げていた。白く変色が始まるそこは、しかし赤色で満たされていた。
クダリが不意に顔を上げ、ホームの上に立つ鉄道員に声をかけた。
「乗客を遠ざけて。現場保存と、あとたまたま見た人がいたら気持ち悪くなっちゃうかも」
「あ、はい」
そしてすぐ後に人がたてる微かなざわめきと音とが反響した。所々に混じる鉄道員の声は、多少なりとも緊張している様だった。
「慣れたものですね」
「まぁね」
何度目かすらも曖昧だ。実際の数は両手の指で事足りる程だろうが、それにしたって数えたくはない。
二人は足元を見た。視界の端に遺体がちらつく。
飛び散った小さな小さな肉片を、二人して踏み潰した。






屍の遊び