おかしな話が、最近リヴァイの住む町ではまことしやかに囁かれていた。夜、劇場でピアノを弾く動く死体がいる、という荒唐無稽な話だ。
劇場というのはこの町きっての名所で、演劇演奏上映なんでも行われる。広い設備と美しい装飾。町きっての劇場というだけあって、楽器も素晴らしい。
特筆すべきはピアノだ。黒く美しいグランドピアノ。トロイと町の人々から呼ばれるそれは、まさしくその名に相応しい妖しい魅力を漂わせていた。ピアノは常に光の差し込む天窓の下に置かれている。
真夜中、不気味に美しく月光で輝くトロイを、死体が弾く。阿呆か、とリヴァイは思っていた。
できる事なら関わりたくなかったが、彼の仕事は警備員だった。警備員はこの町に何人もいて、仕事場は交代制でころころ変わる。運悪く、彼は今日から劇場の担当だった。
動く死体なぞいてたまるか。人間だったら殺す。その様に苛々したままリヴァイは懐中電灯を手に劇場内のホールを回る。
最後のホールに差し掛かった時、僅かにピアノの音が扉の向こうから漏れていた。ピアノを弾く動く死体。まさか。鼻で笑って重い扉を引く。恐怖は無かった。
ホールの中に入るとピアノの音はより鮮明になる。視線は建物の構造上、舞台の上へと誘導される。月明かりが差し込む中、トロイからは旋律が紡がれていた。
トロイを弾くのは少年だった。月光で影が出来て顔は把握できない。シャツと簡素なズボンをはいた黒髪の少年だ。
芸術に理解の薄いリヴァイでもその腕は素晴らしいものだと理解できた。アップテンポだがどこと無く物悲しさを乗せ、情緒豊かにホールで踊る音は聴き入らずにはいられない何かがあった。
「おい」
短く言葉をかけると音は最後に高い音を出して消えた。素晴らしい演奏だったが、仕事は仕事だ。リヴァイは舞台の上へと乗り上げた。
「生憎深夜は閉館だ。昼間に弾け」
相手は何も言わない。今にも続きが弾けそうな姿勢のまま沈黙している。気が長くはないリヴァイは彼の肩に手を置こうと腕を伸ばした。椅子からひきずり落とそうと思ったのだ。
「さわんな」
短い拒絶の言葉が聞こえて手が止まる。声は非常に小さかったというのに、それに含まれる拒絶はひどく冷たく、腹がずしりと重たくなるような色んな感情が含まれていた。
しかし制止はやや遅かった。
指先がまだ出来上がっていない華奢な肩に触れる。ぐにゅりとした嫌な弾力と、洞窟の壁に触れたかのような異様な冷たさ。瞬間的に鳥肌が立つ。一見清潔そうに見えて、その実汚れが溜まりに溜まった物なのだと触れた後に気付いた時に似た異様な嫌悪が背筋を這い上がった。
少年がこちらを振り向く。血の通ってないとしか思えない顔色にそぐわない、爛々とした瞳がこちらを射抜いた。
その瞬間、触れた右肩から少年はぼろぼろと崩れていった。人体に対する冒涜的でおびただしい真実を晒しながら形が歪んでいく。終いにはとうとう灰になって、少年は床を僅かに汚した。あの金の眼球だけが、何故か残っていた。
真夜中、ピアノを弾く動く死体。死体は、灰となっても、そのまま恨めしそうにリヴァイを見上げていた。





ピアノと動く死体





2012.05.22