涙を皿に溜める。
スープをいれるための皿は底が普通のよりも幾分か低くて、白くて、そういえばシチューが食べたいなあだなんて思った。
ぱた、ぱた、と涙が零れる度に皿に雫が落ちる。底が失われて、雫という新たな表面が底を浅くする。ぽた、ぽた、ぽた。嗚咽すら漏らさずずっと瞳は水を垂れ流し続けている。
枯れるかと思いきや涙はずっとでてくる。ぱた、ぱたといった小さな音がやがてぽたぽたに変わった頃、小さな水溜まりができていた。瞳を閉じるとより一層涙が溢れた。
ぱた、ぽた、ぼたた。
スープ皿の中に落ちつづける雫を、けれどエレン本人は無感動に眺めていた。瞳が溶けるかもしれないと僅かながら危惧したのだが、そんな事は無かった。何故こんなに涙が出るのだろう。特に悲しくも無いのに。
ぼたぼた涙を落とす間、ふと、何やら懐かしい声音が耳を掠めた。釣られるようにして顔を上げたのだが、視線の先には何も無い。見慣れた壁に無表情に睨まれてまた視線を落とす。何時間涙を落としたか判らないが、もう皿の四分目まで海の味をした水は溜まっていた。喉が渇いた気がしたが、手元に飲める水は無いので諦めた。
何してるんだ、と言われた気がした。涙は流したまま、鼻声でエレンは答える。
「ためてるんです」
なんで。
「もったいないなって前言われた、から」
ぱた、ぽた、ぼた。ああ、溢れそうだ。
「そんなに泣くなら、ためておけって」
項垂れた状態で背中を丸めて、狭く乱れた視界で、尖る五感を持て余す。現実じゃないほんとうなんかじゃない。
「そうか」
声がすぐ近くで響いて鼓膜を震わせた。思い切り現実に引っ張りこまれた気分だった。わっと外界の情報が一気に押し寄せてきた為か、耳鳴りが酷い。
「悪かったな」
それは、生まれて初めて聞いた言葉の様に、エレンは全く理解できなかった。ひく、と震える喉。戻ってきた、と思った。
「もう、だめか、と」
思ったんです。一層溢れた涙に瞳を開けてられない。無表情だったさっきと違ってエレンの顔はくしゃりと歪み、嗚咽に合わせて身体が揺れた。
「かえ、っ、てきて、く、くれな、って、おも、」
そういうと一回り小さい体躯が無言で抱きしめてきたのでもう駄目だった。スープ皿を手放して肩口に縋り付く。喉は枯れていて目立った声は漏れなかった。スープ皿が倒れて水が零れる音がした。
ふ、と彼が漏らした笑み混じりの吐息の意味すら、今のエレンには判らなかった。






かわいいひと






2012.04.26
なにも知らないままでいてね。