「ねえ兄さん。今日はどんな一日だった?」


律がそう問いかけてくるたびに茂夫は正直に今日一日の事を克明に話す。
一時限目に忘れ物をした人が多かったこと、二限目にうっかり居眠りをして先生に当てられたこと、三限目にグループ学習をしたこと、四限目の数学が自習になったこと。一日の事を事細か克明に話して律が「ありがとう」と言うまで話す。喋りすぎて顎が痛くなった時もあれば、うっかり舌を噛んで血が出たこともある。
けれど話さないわけにはいかないのである。話さないと、最悪の事になる。弟の行動力を侮ってはいけない。そのせいで引き起こされたいくつかの事件を頭に浮かべ、責任感と恐怖のままに茂夫は話す。世間から見れば取るに足らない事件だが、中学という狭い世界で暮らす彼にとってはまるで頭を殴られたような錯覚を抱くほどの事件である。
いつからだっただろうか。律は執拗に茂夫に一日の行動を訊くようになった。初めこそ詳しく話していたが、ついにはやはり面倒になっておざなりに報告した日もあった。
「兄さん。今日はどんな一日だった?」
「律。どうしてそんな事を聞くの?」
「まあ、あんまり気にしないで。それはともかく嫌な事とか、あった?」
「嫌な事?」
その時ふっと、思い浮かんだ事があった。昼休み、給食のときにデザートを取られたのだ。幼くくだらない事だが、そのに日の給食にはゼリーが出てきた。面白半分で何人かの生徒がじゃんけんでデザートを賭けたのだ。独り勝ちした者がデザートを独占できるというルールだった。
「モブもやるだろ?」
「えっ」
結局のところ断りきれず参加してしまったのだが、茂夫は判っていた。このじゃんけん、自分は負けなければならない。うっかり勝ったりなどしたらば、茂夫が超能力者だと知っている者は叫ぶだろう。「こいつは超能力を使ってズルして勝ったんだ!」とんでもない、話だ。
その事を律に愚痴のようにして話した。すると律は実には悲しそうに目を伏せて「大変だね」と言った。しかしそのあとにっこり笑い「大丈夫だよ。明日はきっといいことがあるからさ」と月並みの言葉を言った。茂夫には充分だった。弟が気遣ってくれているという事実だけで充分だったし、同時にこのようなできた弟に愚痴なんぞ話した自分が恥ずかしくてたまらなくなった。
翌日、学校に行くと昨日自分をじゃんけんに誘った生徒はいなかった。ぽっかりと空いた空席。特に気を留める事もしなかったが、それから似たような事は続いた。
ひとつ愚痴を言うたび、その原因因子が消えている。人災の場合それは空席と言う形で現れた。茂夫は怯えた。もしかすると、これは、弟が、律、が?
だから茂夫は話す。どんな質問にも答えられるよう一日の事を記憶する。
「ねえ、兄さん。誰かと肩がぶつかったりしなかった?腕を回されたりした?」
「体育の時横山君とぶつかったかな」
「そう」
そして茂夫は知っている。律はあらかたのあらましを知っている。茂夫が誰とぶつかったか、誰と話したか、誰と接触したか。茂夫は試した事がある。そんなことはなかったよ、と否定する日と、何とか君とぶつかったよと正直に話す日を。否定は嘘で、嘘をついた翌日その生徒はいなかった。ああ、と思った。律はきっと茂夫をその人物が脅したとでも考えたのだろう。「家族や先生に言うなよ」そもそもいじめられなんてしてないのに。正直に答えなければならない。触れた数話した数。全て。
茂夫は律に怯えると同時に、このような弟が不憫でならなかった。ろくでなしだというのに、この兄なしに生きられない哀れな弟よ。全ては茂夫に依存がするが故の詰問。なんて、かわいそうな。
「兄さん」
熱のこもった瞳。その意味が判らないほど綺麗な人間ではなかった。執着と憧憬と、情欲にまみれた瞳が茂夫を見る。いつかこの肉親に押し倒される日が来ない事を、兄はただただ願うばかりだ。





21gの世界




2012.10.13