優しくない。ね。
そんな事を言われてモブこと影山茂夫は首をかしげた。ひと騒動終えた後の花沢輝との会話である。
優しくないの意味はよく判らなかった。茂夫は元より自らを優しい人間などとは考えていなかったし、むしろ普通の、そう至って平均的な一般人だと思っていた。時に臆病で時にずる賢く、時に保身に走り、時に誰かのために全力を尽くす。そんな、一般的で普通な人間だと思っていたのだ。優しくないというのは間違っている。けれどそんな反論をする前に輝が口を開く方が早かった。発言は制され、自然、茂夫は口を噤む。落ち武者スタイルのままの姿で言うには大分キマらない台詞だったが、かつらをしているらしく見た目の体面だけは保てていた。(カツラ?と聞くと「ウィッグと言え!」と怒鳴られた)
「ああ君は本当に優しくない。僕にとどめを刺して欲しかったのに。何から何まで、僕を否定してほしかったのに」
否定。否定とはなんだろう。存在の否定、発言の否定。けれどそんな権利は誰にもないのだ。何を考えているんだろう、この人。何度も頭に浮かべた文句がまたしても脳に舞った。
結局は何が言いたいの、とそう聞きたかったが勢いよく顔を上げた輝の瞳は手負いの獣のように情けなく歪んでいた。泣きはしないだろう。彼のプライドはそんなに安いものではないから。
「君は僕より強い。ああ認めよう。学力容姿運動その他諸々においては僕が君以上に勝っているが、こと超能力に関しては君の方が上だ。超能力は僕のアイデンティティだ。これがあればこその今の僕があるし、今の僕の立場がある。だから超能力において劣るという事は、僕自身が君に劣るという事の証左だ。君は強い。僕より」
その理論はどうなのかなあと茂夫は思ったがそれもまた口を噤み、いう事をやめた。今こんな台詞を吐いたらば、自身の負けを認め再び自己形成と向き合おうとしている輝のすべてを否定しかねないのでは、と思ったからだ。アイデンティティの消失。それはかつて茂夫も味わったことのある苦痛であり、そして今回またしてもその意義を見失いかけているものでもある。二回目だが、確かなトラウマは胸をきしぎしと締め付け「死んでしまえ」と囁くように手足の動きをぎこちないものにする。いや、二回目だからこそだろうか。世界、それそのものが今茂夫の目の前で崩れようとしている。輝はしかしそんな茂夫の様子に気付かないままに持論を言い募る。崩壊を目前にしている茂夫の目の前で、自らの崩壊を語る。
「それは何よりも僕の否定であるはずなのに、なんでだ。どうして。君は」
それきり輝は再び顔を伏せた。カツラをずらしてみたい気もしたが、一応やめておく事にする。よく判らないがとりあえず謝っておけばいいだろう。そう思い「ごめん」と言うと、輝はそれまで以上に心苦しそうな声でこう返した。

「どうして君はそう空気を読まないんだ」





逆さ吊りにされたメシア





2012.10.06