サイタマには秘密の友人がいた。

人工精霊というものをご存じだろうか。端的に言ってしまうと、自分の脳内にまた別の存在を作る行為の一つで、ただの妄想とは違い自ら思考し行動できる妄想である。よく似たものの一つとして『タルパ』と呼ばれるチベット密教産のものがあげられるが明確には違う。サイタマは暇で暇で、そして漠然とした不安を抱えた学生時代、友人が作っているのを見てそれこそなんとなくこの人工精霊を作り上げた。成る程、作り上げる過程は面倒だが、出来上がると思いのほか便利な存在である。
留意点は二つ、これはあくまで妄想であり自分の一部にすぎない事。一歩間違えれば頭のおかしい人になってしまう事。これさえ念頭に置いておけば、非常に便利なパートナーたりえるのであった。
サイタマの人工精霊はロボットである。もっと言うならサイボーグである。元々はとある漫画のキャラクターを参考にして作ったのだが、友人に「それはよくない」と言われてしまった。なんでも、現実に存在できないと念頭に置く行為が重要なのであって、漫画のキャラクターとはいえその範疇である、という事らしい。これがバリバリのSFであればまだよかったが、確かにサイタマの参考にしたキャラクターは非常に現実とよく似た世界観のギャグ漫画の住人であった為、名前は適当に「太郎」としておく事にした。見た目もキャラクターは完全なメカだったが、少しばかり人間に近付けてみた。あくまで妄想である。しかし侮るなかれ、自発的に物を言う妄想である。就活中に凹んでいる時に慰めてくれたのも太郎だったし、ヒーローとしてやっていくと決めた時応援してくれたのも太郎だった。太郎はサイタマにとってかなりの理解者となった。
「おはよう」
「おはよう」
「元気か?」
「元気です」
最初こそこのような脳内会話から始まるが、いざ時間が経つと。
「おはよう」
「おはようございます」
「元気か?」
「今日は調子がいいです」
と、それなりに人間味が増してくるのである。この時サイタマは地味に感動した。
太郎はサイタマが適当にそこらで買ってきたミサンガに宿る精霊であった。気付けば見た目ももっと人間に近付いてきていて、金髪の精悍なサイボーグになっていた。俺の脳内ってすげえ、と思うと太郎は「それは先生の脳内は素晴らしいに決まってます」と心を読んだかのように返すのである。俺ってこんなに自己承認欲求強かったっけ?「いいえ先生。俺がしたくてしているのです」
買い物に行くのにメモが必要なくなったのも、一重にこの人工精霊のお陰であった。今日は何を食べようか、と思えば「大根が美味しくなる季節なのでおでんとかはどうでしょう」と自分が食べられる訳でもないのに答えるのである。夢と同じだ。夢には自分が知らない情報は決して出てこない。太郎が話すマメ知識は何がしかサイタマが知ってる内容なのだろう。彼が全くそれを意識していないだけで。
「先生」
「お前、その先生っていうのはどっから来たんだ」
「いいじゃないですか先生。所で先生、俺の名前は実はジェノスといいます」
「そうだったのか」
「そうだったのです」
この時にははらはらと頭髪が抜け落ちはじめた頃で、彼の秘められたる力が開花し始めた時期でもあったが、自分が認識しきれていない事も勿論精霊が知るはずもない。結果彼の若禿げは進んでいくのだがしかしこの時の彼らにはあずかり知らぬ部分でもあった。この時、太郎はジェノスになった。サイタマは昔読んだ漫画もすっかり忘れてしまったので、特に彼のカミングアウトに気を配る事はしなかった。漫画に出てきたロボットの名は決してジェノスではなく、覚えていたらば多少疑問に思ったかもしれないが、どちらにせよ五分後には忘れていたかもしれない。サイタマにとってジェノスは既に生活の一部であったので、名前などはやはり些細な事だったのだ。
トレーニングの際の数字カウント、夕飯のメニュー、洗濯物の取り込みのタイミング、探し物の在り処、ジェノスは実に有能な同居人であった。ミサンガはこの頃にはそれなりに傷んでいた。
「先生、テレビを見てください」
「ん?……蚊が大量発生?うわ、Z市ってここじゃん」
窓閉めなきゃ、と呟きながらサイタマは一匹の蚊との戦いを続行する。やったかと思いきやひらりと逃げていくその小さな存在は、目下彼の神経を逆なでするのに充分だ。さすがにジェノスも蚊相手にはどうしようもない。ぷわん、と煩雑な音を立てて逃げていく蚊を「俺との決着がついてねーぞ!」と叫びながら追いかけるその先、その先で。
自らの妄想とよく似た青年の姿を見た瞬間サイタマは一瞬だけ動きを止めて、混乱する頭で蚊の群れを見ながら逃げようとして。
服ごと燃えてしまったミサンガは、灰すら残さずどこぞへと消えてしまったのであった。

「ってな訳なんだけど、お前この話信じる?」
「いや……なんというかその、ファンシーですね」
「一応言っておくけど、俺の頭はまともだからな?」
「はあ。しかし世の中には不思議な事を考える人もいるものですね」
「俺はむしろ俺の妄想とよく似た奴がいた事にビビったよ」
「そんな事を言われましても」
「そういえばジェノス」
「なんでしょう先生」
「今日の夕飯なに?」




人工精霊は眠れない




2013/10/21