「邪魔」
学生服の下には常に重苦しい鎖が巻き付いている。それはある日現れた赤い化物から与えられたもので、それを認識する度にシグは首元を掻くように右手の指を動かすのだ。ちゃり、と鈍い透明な音を聞きながら。



「私の者となれ我が半身、なに、悪い様にはせぬ、大事に扱ってやろう、お前は一生表に出れないだろうがその分無限の知識と広大な世界を見せてやれる、お前が望むものをお前に必要な世界をお前が絶対の王に、そんな世界だ、今でこそ拒否感もあるかもしれないが慣れればそれが当たり前になる、お前が必要なのだ、私の手を取れ、ここはお前には勿体なさすぎる、なあ、」
「うるさい」
チャイムの音にまぎれて、シグは今まで怒涛の如く囁かれていた言葉をその一言で遮った。一部の人間にしか見えない、赤い魔物と名乗る化物は含み笑いを残して鎖をゆるく引っ張った。シンプルだが非常にいかめしいデザインの不可視の首輪が、繋がれた少年の首を軽く締め付けた。意に介する事無く、授業が終わって下校時間になったので鞄をさっさと片付けてシグは教室を後にした。
この雨がよく降る時期になると、何故だか魔物は非常に饒舌になる。口説き文句ではないのかとすら思えるほど、ねっとりした甘い耳触りのいい言葉を選んで、シグをどこかに引き込みにかかる。
されどシグは、魔物の言う、無限や広大や絢爛さには興味が無かった。彼の世界は、自宅と、級友と、それと虫がたくさんいる小さな森。それだけで彼の世界は完結していたから。
ざあざあと降りしきる雨は湿気と冷気を伴って肌に張り付く。ぱたぱたとビニール傘が雨粒に叩かれるたびに音を立て、不快感を助長する。コンクリートで舗装された道には時折紫陽花が咲いていて、赤や青や紫のそれが雨に打たれてしなだれていた。魔物は犬の散歩だとでも思っているのか、首輪を強く引いて「こっちだ」と帰り道を指図した。



「今晩のニュースです」
路地裏で殺人事件が起きたらしい。



「シグもさ。よく耐えられるな」
今日も空は曇天を晒して恵みの涙をぽたぽたと落としていた。昼食を食べながら放たれた級友のクルークの言葉にシグは軽く首を傾げる事で疑問を提示する。売店で買ったパンを二人して食べながら、じめりとした空気から逃れたくて少しだけ窓を開けた。涼しい風と雨粒が少しだけ飛び込んできて、わずかな僅差で更なる湿気を呼んだ。
「なにが」
「その首輪と赤いやつだよ」
その件の赤い魔物は面白そうにクルークとシグの会話を眺めているだけだった。大した事なんてなにもない、とシグは言う。サンドウィッチが減る。
「慣れれば、段々BGMになって眠たくなる」
「お前………図太いな………」
魔物はBGMと言われたのが不満なのかぷんすか怒ってシグの鎖を引っ張った。それはクルークにも見えないものなのだが、当人同士では判るらしくシグは不可視の力に引っ張られてぐえ、と呻いたし魔物は何かを引く動作をしていた。
その首輪はなんだ、と問うた事がある。これは束縛なのだと赤い化物は笑って、これは邪魔で仕方がないと少年は眉を顰めた。
「そういえば昨日近くで殺人事件が起こったらしいな」
「うん。知ってる。昨日そこ通った」
「えっ」
柄にもなく大丈夫かなんて言いそうになって、どういう訳だか思わず飲み込んだ。ここにいる、というのだからどう考えても怪我なんて無いに決まってる。大丈夫、大丈夫。
魔物が意味深ににやにやと笑った。その赤さがやけに鮮烈でいやらしい。暫くして目を逸らすと、シグの左手が見えた。一瞬それもた魔物のように赤く染まっているようでぎょっとしたが、一度瞬きするとそれは払拭された。見間違い、見間違い。

「今日もきっと殺人事件が起きるぞ」

魔物が嗤った。梅雨の時期は、彼は随分饒舌に赤い口を蠢かす。




尊厳を奪いに来る




2012/06/16