冷えた空気がぴりぴりと頬を刺激した。息を吐くと、白い、白い息が夜闇にぼんやり浮かんで消える。
月の恩恵もない薄暗い路地を霊幻は醒めた瞳で眺めていた。光も音もない薄気味悪い夜だ。近くで祭囃子にも似た人のざわめきと、どこか遠くで鳴く野良犬の遠吠えが混ざる。酷薄な夜の空気を無言で、ただ無言で霊幻は睨む。
「モブ」
ようやく彼は口を開いた。暗闇がもぞりと蠢いた。濃さの違う夜から出てきたのは、霊幻の弟子である影山茂夫だった。モブという愛称(端から聞くとまるで蔑称だが霊幻はそのつもりはない)を投げ掛けられ路地から出てきた彼は、いつも霊幻が見ている制服姿ではなく、コートの下にもこもこと着込んでいた。
「待たせてすいません」
ある意味中学生らしく背を折る影山に鷹揚に頷く。どうもこの弟子は思ったより沸点が低いと霊幻は知る。
その暗闇の向こうに何があるかを霊幻は知らず、影山もまた何も言わない。知ろうとも思わなかったので丁度良かったのであろうと白い息を吐き出す。この弟子は師匠にとって都合の悪い事をしないので、あまり興味が無いと言えばそうだった。
しかし、暗がりで伺う弟子の顔はどこか浮かない。望まないホラー映画を無理に見せられた様な、どことなくげっそりした姿だった。いや、ホラー映画くらいではきっとこの弟子は動じないが。
「モブ、どうした。気分悪いのか?」
何の力も持たず、騙りで師匠をしている霊幻だがだからといってこの弟子が可愛くない訳ではない。そもそも今日は初詣の為に二人してこんな夜中に歩いているのだ。影山は弟も誘ったらしいが霊幻がいると知ると「僕も行くのは悪いよ」と遠慮したらしい。まあ、それならそれでいいと霊幻は思う。余裕振ってる奴の足元を掬うのはとても愉快だ。
「あ、いや、別に」
ぶるぶると首を横に振る影山は、体調が悪い訳じゃないのだと言う。言い辛そうにしているあたり、先程路地裏でしてきた事はどうも自分に関係のある事の様だと知る。話したがらないという事は、影山からすれば霊幻に知らせたくない類の事。そう例えば、(怨嗟とか、呪いだとか)
生憎まっとうな仕事で飯を食べている訳ではない霊幻に心当たりはそれはもう多過ぎた。それの余波を時たま弟子が絶っているのを知ったのはつい最近だ。影山本人は気付かれている事に気付いていないが。ややこしい。
「なら行くか」
影山が心なしほっとした顔をしたので、ああ正解だったかとその矮躯を連れる。
ざまぁみろ。口角が上がるのを抑えられず人知れず嗤った。信頼と愛情を証明し、危機を上手く回避できる。これ以上のやり方があろうか!
頭を撫でると嬉しそうに目を瞬たかせる。労いのつもりだがそれを伝えるつもりはない。これからも、ずっと。
「師匠。そろそろ日付変わっちゃいますよ」
「おー。じゃあ急ぐか」
暗闇の中を何よりも心強い番犬と歩く。愚かにも騙されるままの弟子が愛おしくて愛おしくて仕方がなかった。








(どうかそのまま騙されておくれ)





2013.01.05