※女体化注意









僅かばかり女の身体の跡を残したそれを見下ろす。ぎちぎちと僅かな摩擦の音がして掌が開閉し、視界は数年前のそれとは比べ物にならない精度を誇っている。
四年前確か博士にはこう頼んだように思う。「とにかく強くしてくれ」と。性別の有無はこの際どうでもいい、ただ復讐できればいい、と。死の淵にいながら生への回帰ではなく復讐に身を焦がし、恨み言を呟き続ける少女に対し博士はどう思ったのだろうか。今にして思えば大層はしたないと猛省するばかりであるが、その恨み言でこの身体が手に入ったのだからどっこいどっこいだろうか。
いっそ男にしてくれたっていい、と十五の少女にあるまじき発言をした事もあったが、博士はそこを譲らなかった。
「いつか君にも判る日が来るよ」
父親の様な表情だったので何となく口を噤んだのだが、なるほど、それはこういう事だったのかもしれないと、半ば無理やり弟子にしてもらった師匠の顔を覗き見る。
その師匠―――――サイタマはというとテレビを至極詰まらなそうに見ていた。この人はいつもそうだとジェノスは思う。達観したように見えなくもないが、中身は実際の所いろんなものが面倒臭いだけなのだろう。興味を抱くほどのものがなく、脅威を抱くような存在もいない。張り合いのない人生。言葉にするならそういう事なのだろうか。復讐の事だけ考えて生きてきたジェノスにはよく判らない。
弟子入りを間違えたとは思わない。サイタマは自分にとって素晴らしい師であり、また思わず涙しそうになるほどの強さの持ち主だ。人間が災害を前にしたような無力感、そんな多大なものを感じるほどの実力者であり、いくら筋力や敏捷性を上げ、ただの人間にできない事が出来るようになったジェノスでも「今までの努力は無駄だったのか」と考えるくらいには強い。
でも、それ以外は多分、駄目な人だ。何となくそう思う。女としての思考がまだ残留しているデータがそう言うのだ。「いい人だけど、だめな人よねこのひと」各所各所でそう呟きはじめるので、その度頭を振ってそれを追い出している。
「先生。お茶はどうしますか」
「ああ、頼む」
洗い物も済んでしまったし、正直な所今テレビに映っているバラエティ番組も興味がなかった。こういう番組を見ていると、世界は理不尽と不可抗力のみで作られているのではないかと、おかしな思考をしてしまう。今頃どこかでは飢えて死ぬ何かがいて、どこかでは家族で笑いあう食卓があって、どこかでは怪人が暴れていて、どこかでは子供が生まれている。
ジェノスの目的はあくまで家族を殺したサイボーグに復讐する事で、正義活動は目的の中途にある通過点の一つに過ぎない。全を救う事も個を救う事も考えていないが、それでも、そういった下らない事を考えてしまう。
そんなことをサイタマに話したら「若いねえ」と微笑ましそうに、しかしどうでもよさそうに感想のみを返された。そんな事俺に話してもしょうがないよ。態度がそう語っていた。
「しっかしなあ。ジェノス」
「なんでしょう」
淹れ終わった湯呑を持って台所から居間へ戻る。茶を置くと、短く礼を言って青年は茶を啜った。ずず、と液体を啜る音がテレビからの音を掻い潜って響く。
「お前勿体ねえな。飯美味いし、いい嫁さんになれただろうに」
「…………………………」
それは。
それはジェノスの今までの道のりを、ある意味否定する言葉だった。復讐する機械ではなく、女として再び歩む道があった事は判っている。そちらのほうがよかったかもしれない、と可能性の一つとして考慮した事もある。
けれど、やはり許せなかった。復讐以外の選択肢が彼女の中には無かった。飛び散る家族と、崩れていく家と、自らの四肢が裂ける感触と、遠くなる意識。衝撃的な展開はあくまで一瞬で、生き残ったジェノスは破壊されつくした静寂をその全身で聞き取った。比喩でもなんでもなく気の遠くなる意識の中、それでも命を繋いだのは苛烈な恨みだった。復讐心だった。ありとあらゆる殺意だけが、彼女を救った。
だから後悔しない。少しも後悔していない。
「そうですね」
そういう道もあったのかもしれませんね。
素知らぬ顔でそう師に返す。何にも興味を持たないこの最強と出会えたのは、己が身体を復讐に染め上げたからだ。
けれど。もう何もない、鉄とオイルの詰まった下腹部を少し撫でる。


女としての機能がもしあるなら、このだめなひとはジェノスにもう少し興味を払ってくれただろうか。









2013.01.19