博士とか言ったか。少年はあまり聞く機会のない言葉を脳内で反芻し、そしてそれを記憶のポケットに放り投げた。
さて、この少年。数十年後にはゾンビマンと呼ばれる青年になる事になるのだが、勿論のこと未来は常に不確定でそんなことになるなぞ思ってもいないだろう。今はまだサンプル六十六号と呼ばれる少年はそれこそ世界を知らず、無知なりにこの薄暗い施設を把握しようと無い知恵絞って考えていた。
「君は今からサンプル六十六号だ」
個人なぞ存在しない。そこには個体の識別の意味での数字が割り振られた。もとより自分の名前をすっかり忘れてしまったサンプル六十六号はあっさりと頷いたのだ。


切断された左腕を見下ろす。向こう側に吹っ飛んだかつて腕だったものはただの肉塊、これから腐り果てるものへと姿を変えた。そうしない内に再生される新たな肉体。傷は塞がり失った部分は取り戻され行方の知りえないものはそのまま腐った。幾度も繰り返す生はしかし、彼に死というゴールを与えてくれない。
「気持ち悪いね」
「ああ、全くだ」
目の前の敵に同情的に見られた。ああ、同情をもらったのはいつ振りだろう。懐かしいな。そう思いながら腕を振るうと手の中にあったナイフが相手の身体を切り裂いたのを見た。再生しない。
「うらやましいよ」
「ああ、そうかい」
ナイフは右腕ごと吹っ飛んで使い物にならなくなった。距離を取ろうと見せかけて脚を動かす素振りを見せると両足共に切断された。その時間さえあれば彼にとっては充分で、コートの下にあった銃を取り出す。たまたま持ってきていた装備品の一つであるミニエー銃である。マスケット銃にライフリングを埋め込んだもので、銃身に改修を施した形になる。独特のミニエー弾を装填しているのが特徴の一つだ。適当に持ってきたので、妙に古い得物しか今日はコートの下にはない。
頭らしき部分を狙って、引き金を絞る。命中精度に定評のある銃で、且つ五十メートルも離れていない。外すわけがなかった。小気味よい音が響いて、今まで生きていたものは先ほど彼の身体から離れたパーツのようにただの肉塊になった。
ゾンビマンと呼ばれる青年はもう随分と青年のままで、ただただ死んだまま生きる日常の中にこびりつくのはサンプル六十六号だった頃の自分の記憶だった。痛かった。苦しかった。成長しなくなった。怖くなった。逃げ出した。そしたら、どうだ。彼の手元には憎しみしかなくなってしまった。気まぐれのように、ヒーローなんてやってみた。崇められた。憎しみ以外が手に入る気がして、彼はずっと死んだ身体を殺して平和を守ってきた。
果たして、手にしたものは何か。
「…………………」
ぼろぼろになった服を引きずって帰路についた。銃など捨て置いた。





死んでる青年の話



2012.10.07
ゾンビマンは元々は人身売買やら貧困街やらその手の身寄りのない少年だったのではないかという妄想。