「もうしちゃ駄目だからね?」
「………………」
腕を軽く掴み幼子に言い聞かせるような口調に、逆らう事も従う事もせずシグは黙り込んだ。何かした覚えはないが、こう言われたからには何かしたのだろう。
学校帰りにナーエの森へ寄った時の事だった。いつものように虫を探して歩き回っていた時、突如現れたレムレスはシグを見留めると、いきなり駆け寄り彼の左手を手に取った。
赤く大きな、禍々しい印象さえ受けるそれを撫でたあと、何とも言えない表情になり、大きく息を吐いた。事態の把握ができていないシグはただひたすら疑問を顔に浮かべるばかりで、終いには視界の端を過ぎった虫に気を取られる始末だ。
そうして冒頭の言葉が零された。頷く事も反発する事もせず、ただよく判らないという顔をして見せる。
シグは本当に判らないのだ。何を、しただろうか。薄ぼんやりと今日の事を思い出してみても、終日寝ていた覚えしかない。その証拠というべきか、額にはアコール先生から投げられたチョークの跡がある。
何かをしたのは確かだろうが、何をしたのか判らない。それはシグの気にする所ではないのだが、レムレスという青年は案外変な部分で神経質なのだ。
だからシグはよく判らないなりに頷いた。レムレスが必死になって言い募るのだ。無下にするような命知らずな真似はできなかったし、何より早く虫を見に行きたかった。昨日蜂蜜を塗った木に思いを馳せる。
「………本当に、判った?」
「うん」
要は気をつければいいのだ。それだけ判っていれば充分だろうとシグは再び頷く。
レムレスは、安堵からか嘆きからかよく判らない長いため息を吐いて、なら、いいけど、と言葉を濁した。
「君の後ろに嫌なものがいるとフェーリも言っていたんだ。それに、これ」
レムレスはシグの胸の真ん中に人差し指を軽く押し当てた。とん、と肋骨を皮膚やら肉やらの上から叩かれ、空色の髪を揺らして首を傾げる。レムレスは何かを辿るようにして指を動かす。動かして、言った。
「この変なチカラ、君のものじゃないでしょう」
シグからすれば不可視のものを追ってレムレスは顔を顰める。本当に気をつけてね、と言われ、なんのこっちゃ、などと思いながらシグは再三頷いた。





約束が枯れた夕暮れ



2012.09.22