ランナーズ・ハイ | ナノ

ランナーズ・ハイ


 まとわりつく毛布の繊維が今日ほど心地いいと思った朝はない。もぞもぞと脚を擦り合わせては熱を起こし、またパタリと動かなくなる。何度か繰り返したのち、ようやく観念したのか、椿鬼は毛布と掛け布団を押しのけた。

「!」

 寒い。火鉢の炭は夜通し焚いたままにしておくわけにもいかず、当然ながら今から火を起こさなくてはならない。そこに至るまで、冷えきった畳の上を素足で行かねばならないと思うと。椿鬼はいそいそと、まだ自分の熱が残る布団の中へ戻ろうとした。

「俺を時計代わりに使うたァ、いい御身分だねー」

 間に合わなかった。何の前触れもなく晋助はキセルを片手に現れた。そのままずかずかと部屋に上がり込むと、布団の上に足を崩して座る椿鬼を見下ろしながら一吹かしする。手と足を小刻みに動かし、どうやら布団との摩擦で肌を温めているようだ。その姿はいつもの椿鬼ではなく、ただの小動物にしか見えない。晋助は火鉢を覗くと、火が点いている刻み煙草を炭の上に落とした。小さな火種を得た炭は、少しずつ赤く色をつけ始める。晋助はどこか満足げに火鉢を布団の縁へと近づけ、椿鬼の前に腰を下ろす。

「今日の夜明けは冷え込む……、言ったはずだぜ?」

 椿鬼の冷えた頬を両手で包みながら晋助は呆れたように呟いた。昨晩、万斉と共に散々告知したにも関わらず、椿鬼は湯たんぽすら受け取ろうとしなかったのだ。でなければ今の今まで布団にくるまっていたはずの人間がここまで凍えきっているはずがない。

「……んなナリで仕事しようなんざ、迷惑だ」

 言うと晋助は椿鬼の頬から手を離し、毛布を掴む。そして椿鬼の頭から覆いかぶせるように包み込むと、そのまま強く抱きしめてみた。肌の直接触れ合う部分があまりに冷たくて驚く。それでも晋助は、椿鬼を離そうとはしなかった。そのまま体重をかけ、傾き、椿鬼が気づいたときには、傍から見ると完全に手篭めにされんとしている体勢になってしまっていた。そこに至ってようやく椿鬼は慌て始める。このままでは過ちが起きかねない。絶対に踏み越えてはならない一線を互いが律儀に守り続けているからこそ、こうして時間を共にできているというのに。

「椿鬼」

 普段であれば心地のいい低い声が、今だけは背を粟立たせた。自分を覗きこむ片方だけの瞳がやけに優しくて逸らすことができない。戸惑っているうちにも唇同士は触れ合いかねない距離まで近づく。組み敷かれた椿鬼に逃れる手段などない。覚悟も決まらないまま身を強張らせ、固く目を閉じた。



 どれほどの時間が過ぎただろう。長くも、一瞬にも感じられる沈黙に耐えきれず、椿鬼は怖々瞼を開く。光と共にそこには、先ほどからまったく変わらない位置に晋助の顔があって。

「なんつー顔してやがんだ」

 それでも表情はやはり穏やかだった。厭味でない笑いを漏らしながら、晋助は椿鬼の髪をゆったりとした手つきで軽く梳く。椿鬼は勝手に勘違いし困惑したことに対して気恥ずかしくなり、頬が瞬く間に紅潮していく。火照る頬にひんやりと、少し冷えた晋助の指が触れた。視線が交錯する。晋助は小さく口角を上げると、口を開いた。

「心配すんな。お前が自ら望むまで、俺ァ手を出さねー」

 彼らしからぬ言葉に耳を疑い、椿鬼は目を見開いた。無礼と承知しつつ晋助の顔をまじまじと見つめる。どうやらその言動は気に食わなかったらしく、晋助は椿鬼の頬を抓み軽く引っ張った。じたばたと暴れる彼女を満足げに見下ろしながら、晋助はそのまま続ける。

「無理強いでその時いい思いしたって、家出でもされちゃァ面倒じゃねーか。俺はそうまで落ちぶれちゃいめーよ」

 彼の声は届いているのか否か、椿鬼は頬の痛みに涙をうっすらと滲ませる。晋助は苦笑すると手を離し、そのまま再び抱きしめた。人並みの温もりは取り戻せたらしい。優しい体温が滲みてくる。先にまどろみ始めたのは晋助の方だった。覆いかぶさったまま動こうとしない晋助の腹をつついて、椿鬼は小さく抗う。

「……昼寝。枕、やってろ……」

 抗議は到底聞き入れられそうになかった。気がつくと聞こえてくるのは、規則正しい寝息だけで。理不尽な命令に口を尖らせながらも、椿鬼は決して嫌ではなかった。報酬は彼の人間らしい一面を垣間見るだけで、もう十分だ。この温もりを、この心地よい重みを、この安心しきった表情を絶対に手放すまいと椿鬼は晋助の背に腕を回し、そして自分も瞼を重ねた。



抱き枕の高貴な誘惑



「あれ? 晋助様はおでかけっスかねー?」
「椿鬼さんの姿も見えませんがね。付き添いということでいいでしょう」
「……ミイラ捕りがミイラになっただけでござるよ」
 

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -