ランナーズ・ハイ | ナノ

ランナーズ・ハイ


 一触即発。長らく恐れていた事態が、誰よりもその事態を危惧していた彼女の目の前で起きようとしている。
 彼と、彼を遭わせてはいけないと、仲間から強く言われていた。彼女もまた言いつけを律儀に守り続け、今までに二人が遭遇しそうになったときには、彼女自身も信じられないくらいに上手く切り抜けてきたものだ。
 
「そろそろホントにお礼しにいかなきゃいけないかな」
 
 だが、今日ばかりは避けられそうにない。なぜなら彼と彼の、互いの目の先には、互いの姿がしっかりと映り込んでいるのだから。その表情は穏やかな笑みこそ浮かべているものの血に飢えた狂犬同士そのもの。喧嘩師同士が顔を合わせることをあまりに軽んじてしまっていたのではないか。彼女はここでようやく身震いした。
 やばい、ちびりそう。耐えられない。
 彼女―兵藤椿鬼は彼―高杉晋助の腕を引くと、やや半泣きでその場を後にした。ああ、また晋助の側近達にどやされる。なんのかの言いながら晋助の命が最優先な彼らのこと、お説教タイムはいつもより余計に取ってもらえそうだ。オプションとして一週間おやつ抜きも科せられるだろう。
 というか、なんで自分がこんな目に遭っているのかがわからない。重度の天人恐怖症の自分が、何故、血の気の多い攘夷浪士である彼らを差し置いてこんな目に遭っているのかがわからない。晋助の手を無理やり強く引きながら、椿鬼は自分の運の悪さをただひたすらに呪った。

「侍に」

 一触即発。長らく恐れていた事態が、今まさに始まろうとしている。
 
 


 
悪の日常


 
 
 
「宇宙ってのはどうも苦手っス。あっちもそっちもまっくらで、前に進んでるんだか後ろにいってるんだか、わからなくなるじゃないっスか。……いいしれない不安につつまれるっス」
 
 鬼兵隊船内に響くひとつの声。常闇の静寂を壊したくて仕方ないのか心細いのを隠したいのか、煌めくような金髪を軽くかき上げ、女―来島また子は言葉を紡ぐ。その隣には鬼兵隊総督である、彼が佇んでいる。少しためらいながらも、また子は続けた。
 
「……晋助様。私たち、ちゃんと前に進めているんスかね。……目的に向かって、ちょっとでも前進できてるんスかね」
 
 やや間をもって、また子は彼に謝罪した。紅い弾丸と異名を取る自分が、こうまで弱音を吐いてしまうとは。それも、最も憧れ、慕い、どこまでもついて行くと誓った彼に対して。いざ彼を前にすると、また子はどうしてもただの少女になってしまう気がした。

「前も後ろも関係ねェよ。ゆく先を見失っちまったら、俺の背中を捜せばいい。地の底からだろうと雲の上からだろうと、俺がお前を必ず目指すところまでつれていってやる。何も心配しなくていい、俺を信じてさえいれば」
「晋助様!!」

 嬉しいとか、そういう感情を通り越して声も出なかった。あの晋助が、自分が尊敬してやまない晋助が、椿鬼にしか向けないような温かみのある声色で、自分に対して優しくて甘い言葉をかけてくれている。また子は全身の血がふつふつと沸いていくような、不思議な感覚を覚える。気づけば黄色い声を上げ、抱きつきまでしている。もう止められない。

「私……、私、一生アナタについていくっス!!」
「俺達の目的は一緒だ……、共にゆこうじゃねーか。さァ、ここに署名を」

 え、署名? なんだか雲行きが怪しくなってきた。

「大江戸青少年健全育成条例改正案反対ィィィィィィ!!」

 響き渡る、怒声。それは晋助の声そのものだが、彼の言葉ではない。断じてない。ありえない。

「表現を律する暇があるなら己の心を律する術を覚えよ!! 漫画もネットもアニメもない時代からロリコンは存在しているんだ!! そこに蓋をするではない、向き合い律する心を育むのが大切じゃないのか!! ちなみに私はロリコンじゃないフェミニストです」

 いくつもの発砲音。お決まりである。また子が抱きつきまでしたそれは、晋助に扮した変態―武市変平太だった。その手には晋助をかなり間違ってデフォルメしたような変声兼拡声器が握り締められている。一体どこでそんなものを手に入れたのか、そんなことはどうでもいい。抑えきれない苛立ちを散々元凶に放ったまた子は晴れない表情のまま、近くにいた万斉に声をかけた。

「万斉先輩、晋助様は?」
「この船には乗っておらんでござるよ。提督に用があるとかで母船に残ったでござる」

晋助不在を知っていた彼―河上万斉の目に、今の一部始終はどう映っていたのだろうか。また子はなんともやりきれない気持ちを抑える。抑えきれなかった時にはもう一度武市にぶつければいいだろう。

「拙者らは、先に江戸へ帰れと」
「用って何スか?」
「はてさて、見当もつかぬでござる」

 晋助がひとりで何かをするときは、誰かに理由を語ったりしない。残ると聞かされた万斉も実際、先に帰っていろと言われただけで他に指示を受けたわけではなかった。いつものことだ。補給なり個人の活動なり、鬼兵隊の存続に支障が出ない程度に好き勝手やっていればいいのだ。だが、また子の表情は依然として晴れなかった。

「……、なんだか嫌な予感がするっス。やっぱり、春雨と手を組んだのは間違いだったんじゃないスかね」
「何を今さら。幕府を倒し、世界を再構築するためならいかなる力をも利用する。ぬしもそれに賛同したはず」
「でも、相手が悪すぎたっていうか……。元々、私ら鬼兵隊と、銀河系最大の犯罪シンジケートじゃ釣り合いも取れてなかったっス。いつの間にやら利用するどころかされっぱなし。……現状だけ見れば、天人にこびへつらう幕府と、やってる事は大差ないっスよ。それに、幕府と春雨が関係を持ってる今、私たちの存在は邪魔でしかないはずっス」

 気がついたら捲し立てるように、一気に言いきっていた。膨れ上がった不安が、話す必要のないことまで引き出してしまったのだ。また子はそんな自分が情けなくなるが、止まらなかった。
 対して万斉はまた子に反論したり、意見したりしなかった。また子の心境は、万斉にも通じるところがあった。万斉だけでなく、それは鬼兵隊の誰もが心のうちで気づいていたことだろう。今の春雨にとって鬼兵隊は用済みであり、あの大軍が自分たちを消すために動けば、晋助は、鬼兵隊は、跡形もなく消え失せるだろう。

「もしかしたら、晋助様……」
「なんだ、要するに晋助が心配なのでござるか。大丈夫でござるよ、保険に椿鬼をつけておいた」
「余計に不安なんスけど」
「それに、あの男は幕府を壊すまでは壊れん。……あの誓いを忘れたか」

 あの誓い。晋助に誘われ、自分の生きる場所が鬼兵隊となったあの日の誓い。自分たちの、全てに根差すあの言葉。忘れるはずがない。晋助の後ろ姿が、あの日の声が、そのまま目に浮かぶようだった。

『 俺は、ただ壊すだけだ…… 』

「大江戸青少年健全育成条例改正案を」
「何ひとの思い出にまで乱入してんだァァァ!!」

 晋助を『壊す』ようで気が引けたが、腹立たしいメガホンは武市に制裁を加える過程で共に処分した。あまりにも不毛で、とんだ茶番である。だが、茶番を繰り広げる余裕ができたのも、わずかだった。

「万斉様! 前方に、春雨の戦艦が!!」
「何!? まさか、本当に我々を……」

大写しになった春雨の戦艦は三艇。鬼兵隊の戦艦をひとつ潰すには、過剰なほどの戦闘力だ。あまりにも多すぎる。恐れていた事態が、きてしまったのだろうか。いずれこうなることは誰もが予測できたはずだ。なのにどうして晋助と椿鬼を二人だけで、敵の本拠地に残してしまったのか。流石に万斉も焦燥に駆られる。

「し……、晋助様ァァァァァァァァ」

また子の悲痛な叫びは、虚しく響くだけだった。





「やあ、また会ったね」

 春雨の雷槍と恐れられる、宇宙海賊春雨第七師団団長・神威は、笑顔であるのににもかかわらず殺意を剥き出しにしている。そして、それは真っ直ぐに晋助へと向いていた。身構える椿鬼を手で軽く制し、晋助は声の主へと向き直る。

「単刀直入で悪いんだけど、どのタイミングで言ってもきっと驚くだろうから言うよ。……死んでもらうよ」

 死んでもらう、この言葉を聞いただけで今にも抜刀せん勢いの椿鬼の額を、軽く小突いて諌める。どうやら、完全な人型の天人には恐怖心を持っていないらしい。獣丸出しの天人など見ただけで卒倒するくせに。言及するのはやめにしておいた。

「……、別に驚きゃしねーよ。最初に会った時からツラにそう書いてあったぜ」
「流石に察しがいいや。実は以前、侍って奴をこの目にしてからこうしてやり合いたくてウズウズしてたんだ」

 春雨の構成員、どういった経緯で春雨とよろしくやってるのかなど、いわゆる大人の事情には疎い椿鬼であっても、神威のことだけは散々聞かされてきたのだから知っている。四六時中神経を尖らせ、晋助と直接接触することのないように再三注意を払ってきた。でなければ、殺し合いになることは必須。晋助が負けるとはだれも思っていない。ただ、宇宙最強の傭兵部族である夜兎を相手に無茶をさせるのは危険すぎる。幕府を討つという目的がある以上、こんなところで犬死にさせるわけにはいかないのだ。

「なんでだろう。……微かだけど、あんたからはあの侍と同じ匂いがしたのさ」
「奇遇だな、俺もその白髪のバカ侍を殺したくてウズウズしてんだ」
「……。察しがいいというより、超能力でも使えるみたいだね。その左目に秘密でもあるのかな?」
「フン」

 この状況下においてもなお、晋助は普段の表情を崩さなかった。むしろ落ち着いている? 神威ほどでなくとも戦闘狂である晋助が、目の前の獲物になんの反応も示していないことが、椿鬼には気がかりだった。つい先日、ばったり遭遇してしまった時に感じた互いが出し合う殺気は、今は神威のほうからしか感じられない。

「神威!!」
「邪魔はするなと言ったはずだよね」
「……、邪魔なんざしねーよ」

 突如現れた大量の人型ではない天人。先ほどまでの威勢はどこへやら、椿鬼は晋助の背後に隠れ縮こまっている。晋助もこれには呆れを通り越して苦笑せざるを得ない。
 人並みの殺意を持ち合わせ、その上ちょっと強そうに見えたのに、神威は少々落胆した。それにしても四足歩行の生き物共め。ようやく実現した侍との邂逅に水を差すなど、言語道断だ。

「あり?」

 何が起きたのか、わからなかった。天人たちが一斉にボウガンを構えたかと思えば、その矢は全て、本来味方であるはずの神威の背に刺さっている。

「神威……、俺達が殺りにきたのは、てめーだ」
「今までよく働いてくれたな神威。だがな、貴様ら夜兎の血は危険すぎる。組織において貴様らの存在は軋轢しか生まん。斬れすぎる刃は嫌われるのだ、神威よ」
「こいつあまいったね、アホ提督に一本とられるたァ」

 信じられない。仲間を殺すなんて。容易く、今までのは全て罠、殺す、強いから、仲間を、罠に、強すぎるから、殺す、危険、

「椿鬼」

 刀を強く握ったまま動かない手に、晋助の手が重なる。震える指を少しずつ解いて柄から外させると、頭を一度だけ撫でた。春雨の意向が飲みこめず混乱する椿鬼の目を捉えると、しっかりと見ておけと無言で指し示す。怯えと戸惑いは消えないものの、椿鬼は天人たちの方へと視線を戻した。晋助は刀に手を掛けると、そのまま神威の方へ歩み寄っていく。

「バカは、てめーの代わりに俺が殺っといてやらァ。だから、安心して」

 血飛沫の音と晋助の声、どちらが先に耳に届いただろう。宇宙の常夜の闇は、さらに深さを増していく。

「死んでいきな」
 

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