もう二度と会うこともないかと思った名字と七海だったが、その日は拍子抜けするほど早く、具体的に言うと3日ほどでやってきた。
「器口さんお久しぶりです」
「七海君、すっかり大きくなって……」
「親戚のおじさんじゃないんだから……」
 器口と呼ばれた男は頭のてっぺんから爪先まで七海をまじまじとみつめ、感激のあまり言葉を失ったように口を手で覆った。ほんの数年とはいえ、記憶にある姿よりも当然ながら歳を重ねたように見える、無論七海の姿も男にはそう見えているだろう。もとより父親ほど年齢は離れており在学中は名字同様にあれこれ頼ることも多かったが、彼も七海を親戚の子ども程度には思っていたのかもしれない。当の名字は呆れた様子で器口をたしなめ、分厚い資料をめくっていた。姿勢を崩し足を組み替える名字の姿に先日感じた明確な拒絶は存在しなかった。再び名字と顔を合わせると分かってからというもの今日という日をどう迎えるべきなのか七海は考えあぐねていたがそれは全くの杞憂に終わったようだった。
「そんなこと言って、名前さんだって七海君に再会したあと……」
「ウルサイ!」

 復帰にあたり、改めて七海の等級審査が行われることが通達されたのは想定通りだった。担当するのは名字名前特別一級術師。全く想定外だったのはこちらのほうだった。七海がその知らせを受け取ったときたまたま同席していた五条も伊地知も驚いた様子だった。一瞬、五条が面白半分で裏から手を回したのかと邪推したが、素直に驚いてみせた彼の様子からその可能性は消えた。
「ヘェ、珍しいこともあるね」
「私はてっきりアナタが手を回したのかと思いましたよ」
「ま、そうしようとしたのは事実だけどね。でもぶっちゃけた話、名前さんってもう僕がどうこうできる範囲にいないんだよ。上も随分彼女に自由にさせてるみたいだし。この前は結婚してないって言ってたけどどっかデカい家の妾かなんかに囲われてんじゃないかってレベル。結局全然動きが掴めなくて諦めてたところだったからこれは渡りに船だね。七海もそうでしょ」
「ま、まあ前回はそんなにお話できませんでしたし、いい機会じゃないですか。連続任務ですし時間もたっぷりとれるでしょうから……」
 五条の言葉で一段温度が下がった七海に顔色を悪くしながら伊地知がフォローする。等級審査に指定された任務は6つ。詳細はまだ不明だが、慣例に従えばそれなりに難易度の高いものも含まれているだろう。多くても等級審査は3つほどの任務で済むはずだが、4年のブランクを不安視されているのかもしれない。きっと一筋縄でいかない日々がやってくる。名字のこともあり、考えただけでどっと疲れる思いだった。
「名前さんまた全部ひとりで片付けちゃったりして」
「……あの人はもう私にそんな関心ないと思いますよ」
「どうだか、あの人筋金入りのモンスターペアレントじゃんね」
「五条さん、名前さんのことどんな目で見てたんですか……」
「バッカ伊地知、お前まだ入学してなかったら知らないだけでマジでヤバかったんだっつーの! 七海が入学したばっかりで事前情報の伝達ミスかなんかで怪我したときなんか教員室で呪具振り回す大立ち回りで学長に全治2週間の大怪我を負わせて名前さんは査問委員会に……──」
 七海は五条の誇張した昔話にため息を吐いた、全治2週間では大怪我とは言わないだろう。しかし、実際家入の治療を必要とするレベルの怪我を負わせたことも事実だった。件の情報の連携不足を故意に引き起こされたミスだと見た名字は責任者を引きずり出し随分大事にしたようだった。事の顛末を子細にまとめた報告書を編み上げさせたが、七海は数ページめくっただけで到底読む気が失せてしまいそのまま閉じてしまった。とにかく、もう二度とこのような事が起きないということは明白だった。思い出すだけで頭が痛くなるような思い出を五条が誇張に誇張を重ね名字の領域展開が銀河系に到達したところで七海が遮り辞めさせた。五条は自分の嘘にもう飽きていたのか、天井から吊り下げられたテレビに映る金髪のテニスプレーヤーを指さして「てか前から思ってたけど七海に似てんね」と興味の矛先を変えた。
「日本国籍で地毛が明るいと全員私に見えるんですか? 随分雑な認識ですね」
「でもちょっと思ってました、背格好とか昔の七海さんみたいで。まだ高校生なのに世界を飛び回っててすごいですよねぇ、日本語英語ロシア語フランス語なんでも喋れちゃいますし」
「まあ確かにぶっきらぼうな物言いもお前そっくりだよねえ。アレ、お父さんがロシア出身なんだっけ……──」
 名字の話題が流れていったことに七海は人知れず静かに安堵の息を吐いた。上の空であることがバレないように五条の問いかけをいなしながら、名字はこの任務のことをもう聞いたのだろうかと考えていた。七海の名前を書類に見つけてどう思っただろう。再び七海と関わることとなり、億劫だったかもしれない。少しでも懐かしんでくれれば気も楽だったが、あんなに露骨に冷たくされたのだ。社会人となり仕事で経験する大抵の理不尽には耐えてきた七海だったが、あれはかなり堪えた。
 とはいえ、どんなに立場が変わったとして元々名字のスカウトがきっかけでこの世界に足を踏み入れたのだ。名字が審査に携わるのが適切と上で判断されたのかもしれない。いや、もしかすると最初から全て知っていて彼女自ら……──

「これ余計なやつだね」
 失礼、と断りを入れながら名字は七海の手から半ば強引に資料をもぎとり、そのうちのいくつかを手元にとどめたまま再び七海に返す。
「どうかしましたか?」
「不適切なものが含まれてた、上に差し戻しておこう。そもそも6つなんて多いしね」
 資料には一通り目を通したがそんなもの含まれていただろうか。内容に多少の重複はあれど地域や種類、難易度はまんべんなく網羅されていた印象だった。再度資料を確認するふりをしたが、名字は特にそれ以上説明する気はないようだった。抜き取られた案件は要人警護のようだった。確かに、呪術師としての技術や身体能力が際立って試される内容ではないかもしれない。しかし、かといってわざわざ掛け合って外すようなものでもないだろう。言ってしまえば“アタリ”の案件だ。いままでの彼女であれば「やったね、遠出だといいな。地方のおいしいものでも食べたいし」と笑っていただろう。名字はことあるごとに七海が食べるのを見たがり、彼を健啖家に育てたのもまた彼女だった。地方任務が入るたびに、器口に食事のおいしい店を用意するようねだった。器口も器口で、子どもにたらふくうまいものを食べさせるのは好きだったのだろう。3人で予算が許す限りの──ときには私費を費やしながら──つかの間の自由を謳歌していた。
「……そうですか」
 だからこそ七海は名字に理由を問えなかった。聞きたいことは山ほどあったが、どれもうまく言葉にできるとは思えず、資料を読み込むふりをして、彼女に何も問わないことへの正当性を保とうとするのが関の山だった。その言い訳だって、結局七海が七海自身に向けたものにすぎない。
「名前さん、今度は一人で勝手にしちゃだめなんだからね〜」
「わかってますよ、意地悪だなあ」
「ほんとかなあ」
 器口の軽口に名字が顔をしかめる、照れ隠しをするときの癖はいつも変わらない。五条が名字を「七海の飼い主」とからかうときもいつも同じ顔をしていた。七海もあの頃は胸いっぱいの恥ずかしさと自分が名字にとって特別目をかけられた存在だということへの自負を隠すので精一杯だった。大抵澄ました顔で五条の襲来をやり過ごしていたが、寮に戻った途端灰原が「耳真っ赤!」と七海の腕にじゃれついていた。「五条さんが人間初心者で良かったねー、人の機微とか疎いもん」「それ本人の前で言ったらぶっ飛ばされますよ」「もうぶっ飛ばされた」「はぁ……」
 
「ひとまず、この5つから進めていくわけだけど」
 資料をざっくり、5つに分け、テーブルの上に並べていく。ちらりと名字が七海を盗み見ると、七海はテキパキとその資料を並べ替え、さらに2つのグループに分けた。
「この2件がまずは優先事項ですかね、すでに被害が出ていますし」
 スケジュールは全て自由に決められる。名字や補助監督の器口と相談しながら決めるのは当然だが、スケジュールの組み立てや優先順位のつけ方まで当然査定に含まれている。
 今回査定に用意されたのは、名字が取り除いたものを含めて、廃寺の洗浄、観光地の除霊、伝承の聞き取り調査、遺跡の出土品の鑑定、行方不明人の捜索、要人警護の6件。そのうち、すでに被害が確認されていた観光地の除霊と行方不明人の捜索は優先度が高い。
「行方不明人の捜索の方が、緊急度が高いようですがこちらは大体2週間おきに起きているので、次はまだ少し先でしょう。観光地の除霊を先に済ませましょう。海岸沿いに出る呪いに当てられた地元民や観光客たちが集団で頻繁に体調不良を起こしている。悪い噂が定着してしまえば、それが新たな負の感情のたまり場となり次の呪いを呼び込みかねない。場所が近いので、名字さんのスケジュールに問題なければついでに出土品鑑定も終わらせたいのですが」
「日程は全然気にしなくていいよ、七海君が思う順番でやりたいだけやろう」
「われわれは今回七海君の査定用にかなり時間をもらっているので他に並行した任務もありません、大丈夫ですよ」
 名字がひらひらと手のひらを振り、器口もすかさずうなづく。ひとまず明日の朝にも出発することとなった。3日ほどで2件片付けてしまえば、行方不明人捜索の下準備について1週間以上費やせる。これを逃せば次の機会はさらに2週間後だ、なるべく一度で叩いてしまいたい。
 器口が手早く新幹線とホテルを手配する。
「どこから乗ります?」
「ウーン大宮で。七海君は?」
「私は東京駅でお願いします」
「わかりました、私も東京駅からにしますね」
 器口が手配したチケットのQRが早速メールで届く。昼過ぎには現地に着くが、呪いの現れる海岸を下見したのち、依頼のあった研究所に移動し出土品の鑑定を行う。遺跡の鑑定ではないので、多少日が落ちても構わないのは大いに助かった。
「明日からよろしくお願いします」
「うん、お互い怪我のないよう気をつけようね」
 今は差し出された手を信じる他ない。
 

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