「へえ、虎杖くん腕が取れたんだ」
「まあ、すぐに宿儺が治してくれたんだけど」
 このとおり、と片腕を掲げる。もう片方の指もすべて切り取られたが、反転術式で綺麗に生え揃っている。
 フゥン、と名前さんは目の前の俺の腕を引き寄せてしげしげと見つめた。彼女の冷たくて柔らかい指の感触にドキリとする。
 どう反応をしていいのか困り、なんとなく目の前の鉄板を見つめた。思いのほか任務が早く終わり、ご飯でも食べようかと声をかけてきたのは彼女の方だった。少し入り組んだ路地、看板のないビル。五条先生たちには秘密だからね、と彼女が笑って訪れたのはいかにも高級そうな店だった。一枚杉のカウンターと長い鉄板が目の前に横たわり、どこを見ても落ち着かなかった。
「自分で肉焼かない店って初めて。こんなパーカーじゃダメな店じゃない?」
「待ってるだけで美味しいご飯が出てくるから便利で私は好きだよ。学生の第一礼装は制服だから気にすることはないよ」
 そんな間も彼女の検分はやまない。隣に座った彼女のまなざしは冷たく、完全に検体として面白がっているようだった。何度見たってただの腕だ、さほど面白みもないだろう。無論、宿儺の目や口が急に生えてくることを除けばの話だが。
「便利だねえ、反転術式。私のスマホも画面バリバリになって修理したけど、虎杖くんに頼めばよかったなあ。保険はいってなかったから結構取られちゃった。ねえ、もっとよく見せて」
 パーカーの素手をまくり上げられ、彼女の細い指が尺骨に沿って肘までなぞった。無機質な軌道。面白い見世物だとでも思っているのだろうか。俺は妙に腹の底がゾワゾワしてたまらない気持ちになった。それはこらえきれない暴力的な衝動に似た輪郭だった。ごまかそうと、極力明るい声を出す。
「宿儺の気分次第だからどうかなあ、そもそもスマホって治せるの? 難しいかも」
「そっかあ、残念だな。今度虎杖くんが宿儺に代わってるときに優しくしておこうかな、また落としちゃって割るかもしれないし」
 手のひらを重ね合わせるように覆われて、恋人同士のように彼女の指が上から絡みつく。自分とは太さの違う指が、親指の腹を柔らかくなでる。隣り合わせの席で、彼女の細くとがった肘が自分の腕に触れていた。どこをとっても女の肌だった。気を取られているとぐっと力をこめられ、熱された鉄板がすぐそこに迫っていた。
「ちょっ……あっぶな……」
 指先は寸でのところで鉄板には触れていなかった。刺すような熱気が皮膚に伝わってくる。思わず顔をゆがめた。
「アハハ、びっくりしてる。今ここで虎杖くんの手を鉄板に押し付けたら宿儺は治してくれるのかな」
「えぇ」
 手を引こうとしたが、思いのほか彼女の力が強く指は離れなかった。つなぎ目もなくて、きれいな腕だね、と彼女の自由な方の手が伸びて、俺の手首を指先が這う。
「どこまでなら治せるんだろうね、今回は死んで生き返ったわけだけど、例えば虎杖くんを輪切りにして順番に燃やしちゃったとしてどこまでが虎杖くんの核で、どこから肉片になっちゃうのかな。プラナリアみたいにバラバラに生えてくるのかな」
「プラナリアって何?」
「切ったら分裂しちゃう生き物」
「俺がいっぱいできたらかあ、任務早く終わりそう」
 手首切り落として胴体を焼いて手首から虎杖くんが生えてくるのかな、という物騒な問いに考えることをやめて「試さないでね」と念を押した。
「あ、前菜だよ」
 指先が不意に離れる。前を見ると、焼きあがった茄子やらがヘラでずいとこちらに押し出されていた。
 ワイン飲めるよね、と特に返答を必要としない様子でグラスには赤い液体が注がれていく。曰く、「赤ワイン抜きで食べるステーキなんて悲惨だよ」。不満は何もないが、見るからに学生服を着た未成年のグラスにアルコールを注ぐ彼らは何も疑問に思わないのだろうか。食べやすい適切なサイズに切り分けられた野菜を口に運ぶ。何かのソースがかかっていて、説明された気もするがよく覚えていられない。柑橘のような風味が鼻に抜け、とにかく旨いことには間違いがなかった。
「みんなにこんな風にしてるの?」
「こんな風って?」
「高そうなお店に連れてきたりとか」
「七海くんとはご飯にいかないの?」
「行くけど……でもこんな感じじゃないよ、なんていうか、もっと違う」
「一緒だよ、七海くんも虎杖くんと仲良くなりたいんだよ。まだわかんないかもしれないけど、自分より年下の子って、かわいいんだよ。そうやって優しくしたくなるの」
「じゃあ五条先生たちともここにきた? 伏黒とかは?」
「ここに来たのは虎杖くんが初めてだよ。五条さんとはそもそもいかないかなあ、あの人お酒飲めないし食事の好みが合わないんだよね」
 白い指がグラスのステムを挟み、机の上で一回転させる。追いかけるように赤い水面が揺れた。一番肝心の部分に答えてもらえていないような気がしたが、それ以上深追いをしてもうやむやにされてしまいそうだった。
「虎杖くんのこと、もっとよく知りたいんだよ。美味しいご飯を食べながら、ちょっとお話して……それじゃダメかな」
「俺と仲良くなりたいってこと?」
 彼女は少し驚いた顔をしてこちらに視線を上げた。引き結ばれた唇の中央がこらえるように上を向き、口端がひくひくと震えている。おかしくてたまらないという顔だった。
「アッハッハッハ! ……そうだよ。なんだかそういわれると照れちゃうな。でもそう、その通り。仲良くなりたいよ私は。虎杖くんと」
「そんなに爆笑されると複雑な気持ちなんだけど」
 ひーひーと涙までぬぐう彼女が不満で、思わず口をとがらせる。
 ウェイターの方を見ずに片手をあげた彼女の前には大理石の灰皿が差し出された。ジャケットの内ポケットから小さな銀のケースを取り出す彼女を横目に捉えながら、彼女が想像よりも幾分踏み外した側であることに気が付いた。
「何それ、みたことない」
「ああ、シガリロね。煙草じゃなくて小さい葉巻なの。すぐに吸い終わっちゃうしつまんないもんだよ」
 甘いチョコレートの香りと重たいタールが部屋に漂う。「フレーバー付き、吸ってみる?」
 口先に伸びてきた茶色いそれを口にくわえると、彼女の細くて白い指先にもう一度灯がともった。息を吸いながら、彼女の指が葉巻をゆっくりと回転させていく。「表面を均等にあぶらないと火がつかないの」
 俺は、頭の片隅でこの国のどこかで打ち捨てられている彼女の液晶パネルのことを考えた。替えのきく器がいつかひび割れ、彼女の関心を引くだけの火をともせなくなれば、俺もそうなるのだろうか。

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