参道に垂れた紅葉の帳を引く。昨日の夜に降った雨が薄い葉の上でそぞろな玉を形成している。指を離すとばららとほどけた。背中で彼女が笑う空気を感じた。
 閑散とした境内には生き物の気配らしきものが感じられず、信仰という供物を失った偶像はいつの日か揺り起こされるのを静かな眠りの中で待っていた。道の両脇に敷き詰められた砂利をヒールで掘り起こしながら歩く彼女は、人の手入れした痕跡をその鬱蒼と茂った葉の中に隠した木々を見て満足そうに頷く。
「色はまだ薄いけど、人がいないからいいね」
 去年まで通っていた紅葉の綺麗な寺は、先日夕方のテレビ番組に穴場スポット特集を組まれて以降、恐ろしいほどの人でごった返している。寺前をめざすバス停の前にできた長蛇の列を見て忌々しそうに顔を顰めてみせた彼女の手を引き、来た道をたどった。折角早起きをしてまで外に出たので、家の近くにある廃墟と化した神社での代替案を提案すると、彼女は思いの外あっさりと頷いた。境内を取り囲む木立の色付きは紅葉と呼ぶにはいくらか早かったけれど、彼女はそれでも十分満足したらしい。
 冷たく吹き付ける風の中から冬の匂いを見つける鼻が、時折ひくつく。そのたび彼女の手を強く握ってやればうれしそうに笑ってみせる。
「ちょっと、焼けちゃってるね」
 頭上を幾重にも覆う枝葉を仰ぎ彼女は言った。確かに、その視線の先の葉々は、色付くというよりも赤黒く変色していた。もう毎年の気もするが、猛暑猛暑と騒ぎたてられた今年の夏だったが、その影がまだこんなところにも残っていた。
「死体がないからかもね」
「なにそれ?」
「知らない?」
 桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる。たしか、梶井基次郎の小説の冒頭だったはずだ。
「桜じゃないけどね」
「言われてみれば神社よりお寺のほうが、扱ってそうだね」
 神妙な顔をした彼女は、朝行き損ねたあの寺のことを言っているのだろう。道の遥か上で両岸からアーチをかけるあの木々の根元一つ一つに、顔のない人々が横たわっているのを想像する。あまりに鮮明な色で脳裏に浮かんだそれに、心臓が底冷えする。自ら進んでしたはずの想像はあまりに残酷で、そして生々しかった。
「鳥葬みたいだね。いい人しか、きっと食べてもらえないんだよ」
「いい人って?」
「山口みたいな人のことだよ」
「俺、いい人なんかじゃないよ。それに俺なんかより、」
「そういう無自覚なところ」
 彼女は笑った。無知な子供をさげずみ、それを羨むようだった。彼女は熱にうかされたように何度も繰り返しつぶやいた。
「山口は、いい人だよ。あたしなんか駄目だよ。駄目なんだ。あたし生まれ変わったら山口みたいになりたいよ。山口はいい人で、あたしは……」


 夢を見た。
 あの赤や茶などの色が混濁した葉のなかに女の顔が半分埋まっていた。中国陶器のような独特な青白さでひかるその肌に、はらりはらりと味気のない乾いた葉が重なる。しかし来年には見違えるように鮮やかな葉が辺りを埋め尽くすのだ。
 きっと彼女こそ、美しい養分になるだろう。

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