真っ白な彼女の腹、内蔵で一段膨らんだ臍のあたりを、両手の手のひら全体で確かめるように触る。うっすらと生えた産毛のつぶれるのがわかった。
「どう?」
「わかんない」
 なんだか少し申し訳なくて、眉尻が少し下がる。彼女は笑って、「だよね、私も」  あと、もう少し下かも。そういって俺の手を取り少し下にずらす。手のひらの付け根が、下着のレースにあたった。彼女の体温にじんわりと冷えた手のひらが暖まるのが気持ち良くてしばらくそうしていたが、あまりお腹を冷やしてはよくないのかもと思い直しあわてて手を放した。めくれていた彼女のシャツの裾がずり下がり、些細な皺だけが残る。彼女は何も言わず少し不確かに揺れる目で俺を見た。
「大事に、していこうね」
 そう言うと、彼女はひどく安堵したような顔をして、白く細い腕で、俺の頭を抱え込んだ。流れ落ちてくる髪の毛が首筋にあたって、くすぐったかった。
「ほんとに、ありがとう」
「……うん」
「すっごく嬉しいんだ」
「……うん」
「夢みたいだね」
「……うん」
「俺じゃ頼りないかもしれないけど、」  頑張るから、と言う言葉は生まれてくることを許されなかった。彼女の腕がきつくきつく締まり、苦しさに顔を上げると、熱い不確かな塊がぼたりぼたりと落ちてきた。泣くなよ、と俺が思わず笑うと、彼女は小さな小さな声で、幸せになろうね、と囁いた。
 あの日初めて触れた時にはわかなかった実感が、俺たちの中には日を追うごとに少しずつながら芽生えつつあった。何をすればよくわからなくてとりあえず二人して保健の教科書をめくったのが懐かしい。情報収集のコツを掴んだ今では笑い話にできるが、あの時は必死で、そのくせ何もわかってはいなかった。避妊の方法すらぼやかして記載する教科書なんかには、俺たちに必要なことなんて一つも書いちゃいない。だからこの世の中には覚悟もなくセックスをして無責任に子供を産み落とすような輩がはびこっているのだろう。
 彼女の額にかかる前髪を指先でそっと払う。彼女の目は、完璧な白さを誇る薄皮で覆われている。下を向いたまつげが陶器に似た光沢を放つ頬の少し上のところに、羽毛のように繊細でうっすらとした影を落とす。ここの所外出を控えているためより一層白さに磨きがかかった彼女の肌に、その影はよく映えている。あるべきものが還ったような、そんな小さな達成感がそっと息づいていた。
 窮屈なソファの上でなんとか工夫をして、俺は彼女の横に体を倒し、そのまま目を閉じた。目蓋の裏には、濁った淡い光彩の垂れ幕が不規則にはためいている。俺は出来うる限り繊細に、そして正確に彼女のことを思い出した。細い髪質、一対の磨き込まれた双眸、薄い唇、静脈の透ける首、骨張った肩、小さな胸、そして――。 「山口くん?」
 暖かな気配を感じて、目を開けると、いつのまにか目覚めたらしい彼女が顔を覗き込んでいた。賢そうな艶めいた深い黒の瞳。けれどそこに宿る光は純粋かつ清らかで、そして何より無知だった。何もかもを美しいと信じて疑わない彼女の瞳に映りこむ自分の影に思わず笑ってしまう。
「どうしたの」
「ううん、なんでもないよ」
 彼女を抱き寄せる。その軽さに、俺たちが幸福と呼ぶものの儚さを思い知った。
「変なの」
 彼女は、ふふ、と息を吐きだすだけの、音を伴わないささやかな笑い声をたてている。俺はなんとしてでも、それを守らねばならないのだ。
 開け放たれた窓からは、気ままな風が入り込んでくる。身体に障ってはいけない。彼女を座りなおさせ、窓を閉めようと立ち上がる。
 彼女の部屋は装飾や家具などの一切が白で統一されており、それはどこか座敷廊を思わせた。鍵のついていない扉、格子のない窓。けれどそこはやはり彼女を閉じ込める為の場所のように映った。そしてそれは肉体的支配よりも一層決定的なもののようだった。  やはり白の革張りソファに、浅く腰掛けゆったりと背中を預けている彼女の腹は、もう一目ではっきりとわかるほど大きくいびつに張り出している。 「女の子かな、男の子かな」  どちらを望んでいるともわからない少し微睡んだ低い声で彼女はそう言った。「どっちがいいの」と尋ねる。 「山口くんは?」 「どっちだっていいよ」
 どっちだって、彼女の産んだ子。
「どっちだっといいよ。だって、俺たちの子供だから」
 ソファの後ろから彼女を抱き締める。「ほんとう?」白樺を裂いたように細い、死人みたいな指が袖をつかむ。「ほんとうに?」目の端に溜まっていた涙が、柔らかな雨のように彼女の頬を伝っていった。

 靴をなかば投げ捨てるように脱ぎ、壁に縋りながら廊下を走る。部屋の扉を乱暴に開けた。
 部屋の中心で茫然と立ち尽くしていた彼女がゆっくりとこちらを見た。蒼白な肌。やつれた顔。ただ細いばかりの腕。
 ゆらりと蜃気楼のように揺らめいた彼女を寸でのところで抱き留めた。真っ黒な彼女の瞳がこちらを向く。
 掻き抱いた腹は絶望的に薄く、足元はひどく、濡れていた。

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