「先生は、夏目漱石を読みますか」
「漱石、ですか。いえ、あまり読みません。江國香織や山田詠美なら」
 先生はアイドルやら俳優やらのお節介な報道を書き並べた週刊誌をラックに戻し、淡々といった。あまり興味がないといった様子に、俺は内心少し焦る。国語の先生だからこの程度の話題でいいかとタカをくくっていた過去の自分を張り倒したい。普段自分が本を読まないせいもあって、先生がいったい何をいっているのかさっぱりだ。
「でも、国語の先生だから、わかりますよね」
「職務上必要最低限のことなら」
 いつの時代も学生は忘れがちですが、世の中に絶対などないのですよ。先生は無意味に買い物を籠を揺らす。かちんかちんと酎ハイの缶がぶつかり合い軽い音をたてた。少しだけ、耳障りだ。俺は暗い窓に視線を逃がした。コンビニが発散するまばゆい光を吸収する午後九時の闇は、ガラス向こうのすぐそこで俺たちを呑みこもうと暴力的なまでに押し寄せている。新月の夜は暗く、恐ろしい。得体の知れないものが渦を巻いている気がする。月の光は、理性に似ている。新月の夜は、欲望が放し飼いになるのだ。だから漱石は月がどうだとやけに感傷的なことをいったのだろう。だけど、愛なんてどれくらい価値のあるものなんだろう。重いと身動きがとれなくていやな気もする。身勝手な関係は世間は否定するけれど、枠にはまった、実体とかけ離れた形の愛のほうがよっぽど不誠実だと思うのになぜだろうか。
「どうしてこんな時間まで制服姿で出歩いているんです? 塾ですか?」
「部活、みたいなものです」
 授業と比べてはありえないほど積極的に喋る先生に俺は驚きを隠しながら答える。この時期うちの学校の部活最大延長は七時半までだけれど、先生に訝しんだ様子はない。やっぱりどうでもいいのかもしれない、と隠れてほんの少しだけ絶望する。右手首の鈍い痛みを感じながら、大抵のことには意味がないのかもと考えた。特別にはそれなりの理由があり、逆もまた然りなのだ。
「先生も、遅くまで大変ですね」
「ええ。誰も落ちないだろうと思って作ったテストで思わぬ不合格者が出てしまい、その追試を作るに手間取ってしまって」
「スミマセン」
「他の教科ではそんなことないのに、何が苦手なんですか」
 いえ、特には……、と返答を誤魔化す俺に先生は呆れて、わからないところがあれば質問に来るようにとだけ言った。センセイのトクベツジュギョウ。くだらないAVにありそうなタイトルだ。そしてそれに思い当たる自分が悲しかった。

 
「送りますよ」
 コンビニを出たところでの先生の突然の申し入れに戸惑う。生徒だから、そんなことを言ってくれているのだろうか。
「え、すぐ近くなんで、大丈夫です」
「いやですか」
 今日はせっかく月がいないのに。
 空を見上げた先生の横顔は、コンビニの安い蛍光灯の光を受けて背徳的に光っていた。

 これだから俺たちは、ずるずると不誠実で身勝手な関係に身を投じていくのだろう。

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