涙を浮かべたきれいな女の子を、それに負けず劣らずきれいな顔をした男の子が抱き締める。
「俺のもんだ、絶対に離さねぇ」
 なんて台詞が聞こえた瞬間、息をのむ音が客席を包み込む。
 どうやら映画はクライマックスを迎えているらしかった。
 文化祭があったのは昨日で、今日は代休。
 打ち上げなんてものがあるとは聞いてはいたけど、あからさまに面倒臭そうな顔をしてみせたツッキーと示し合わせて俺も欠席する。
 はずだった。
「山口歌わねーの?」
「あ、俺いいよ」
 なのに俺は何故か打ち上げにいた。いつも一緒にいるツッキーは、いない。
「もしもし山口今日暇か暇だよな今打ち上げ来てんだけど人少なくて困ってんだよねってことで駅前な他にも人いるからそこで合流して30分後に!!ゲーセン諸島で!!!」
 そんな電話を受けたのが、今から三時間くらい前のベッドの中での話。
 人が足らないからと無理矢理召集されるなんて、本当に理不尽だ。
 というか、ゲーセン諸島って何?
 その後何度かけ直しても、おかけになった電話は電波の届かないところにあるか電源が、と冷たく突き放されるばかりだった。
 電源切るのは卑怯でしょと泣きそうになるけど、これ以上ぐずぐずしている時間もなく、手早く身仕度を済ませ家を飛び出す。
 この時点でそろそろ約束の時間を迎えようとしていた。  善戦むなしく、結局駅前についたのは約束の時間から30分も遅れてのことだった。
「山口くん、だよね」
 振り替えると、同じクラスの女の子が立っていた。きっとこの子が呼び出されてたこなんだろう。名前は、何ていったっけ?
「ご、ごめん、遅れちゃって」
「あ、いや、別に。私も今来たところだったし」
「お互い大変だったね、急に呼ばれちゃって」
 あー、うん、そうだね。なんて曖昧に言われた後、やっぱりぼんやりした風に俺を指さす。
「でもそっちのほうが大変そう。汗すごい、大丈夫?」
 そういわれて初めて、自分が汗をかいていることに気がついた。
「え、うわ、ほんとだ。やば。ごめん。なんか、ごめん」
 恥ずかしくなって俯くと、顎をつたって汗が滴り落ちる。
 止まれ止まれと強く念じながら拭ってみるけれど汗は一向に止まらず、むしろ意識すればするほど増える。
 なんだこれ。部活のときは全然そんなことないのに、なんでだ?
 そんな俺に見かねたのか、大丈夫? と女の子はタオルを貸してくれた。
 断ろうかとも思ったけど、そんなことが言える状況ではなかったのでありがたくそれを受け取った。
 顔にぎゅっと強く押し当てると、なんとも言えない香りが、鼻の奥を抜けた。
 花、とかじゃない、俗に言う、女の子の匂いってやつだ。
 心臓が一瞬で耳の裏側に移動したんじゃないかってほど、鼓動が大きく聴こえる。
 隣に聴こえたらどうしようと横目で確認すると、それを不思議に思ったのか、隣の女の子も顔を上げてこちらを見る。
 男子にしてはかなり高い俺の身長と、女子にしては少し、というかかなり小さい彼女のそれのせいで、彼女はほとんど顎を限界まで上向きにして見上げている。
 タオルをもらったのに何故か汗の量は増えて、本当にどうしようもない。
「ごめん、汗やばい。洗って返すね、ほんとごめん」
「え、いや、いいよ。持って帰るし、別に」
「いやほんと、汗臭いし、ほんとに」
 女の子が再び曖昧に頷いてから、会話が途切れた。俺はもともと女子と喋るほうじゃないけど、それはこの子も同じみたいだった。
 仲良くないのに喋るのは、あまり得意じゃない。
 けど流石に気まずくて、時折お互いが会話のきっかけを探して口を開きかける。それでもやっぱり何にも言えずにまた閉じてしまう。
 それを何度か繰り返すうちに、結局無言のまま目的地へと着いてしまった。
 おせーよつーか汗やベーよ、と軽く肩を小突いてきた全ての元凶にうるさいなあ、とはたき返す。
 ふと周りを見渡すと、俺と一緒に来た子は他の女子たちの中に紛れてしまって、どこにいるのかちっともわからなかった。
 すっかり汗臭くなったタオルを片手に、名前を聞いておけばよかったとなんとなく後悔した。
 理由はよく、わからない。  ゲーセンで時間を潰した後、連れていかれたのは映画館だった。
 モデル出身の男女が主演の恋愛ものを見させられた。
 男女混合の打ち上げでなんでこれだよと思わなかったわけではないが、黙って1200円を差し出した。
 これをチョイスしたのは誰かと聞き耳を立ててみると、どうやら俺をここに誘ったやつの差し金らしい。
 質の悪いジョークだろうと思いながらそちらを見ると、熱心にクラスで一番の美人と評判の器口さんと映画の内容について話しこんでいた。おそらくわかりもしないモデルの名前に頷くそいつの横顔に文句も言えなかった。
 自力で元は取ろうと前のめりで鑑賞してみるけど、幼馴染で近いような遠いような二人の男女という少女漫画のテンプレートみたいなストーリーにはちっとも感動出来ずじまいで、そんな高校生はいないだろとすら思う。
 けど映画館を出て目のあたりを赤くした女子を何人か見かけ、心の中でひいてしまった。
 鞄の中で息を潜めているタオルを一体何の洗剤で洗ったらいいのか悩みながら、あの子は泣いたのだろうかとなんとなく、そんなことを考えてしまう。
 俺を見上げたあの目が赤く縁取られているところを見たことはないせいか、想像はつかなかった。
 映画館の次に向かったのはカラオケだった。
 予約をしていたのか、通されたのはいっとう広い部屋。
 参加者全員が座っても、まだ少し余裕があるくらいなのだから少し驚いた。
 歌うのも億劫で、定期的に回ってくる歌の誘いにタンバリンを一心不乱に打ち鳴らしながら、誰が頼んだのかわからない、かなり湿気を帯びたフライドポテトを食い漁ることで対抗し続けると、そのうちそれも少なくなった。
 一、二時間ほど経った頃、男子の一人がトイレに立ちあがると、俺も私もとかなりの人がそれに続いて立ち上がった。そこからさらに、あの人が行くならと第二次第三次の余波が生まれ、部屋に残されたのは曲順がそろそろ巡ってくる人たちと俺と、朝一緒に来た女の子だった。
 女の子のほうをそっと盗み見てみると、俯いているので、垂れた前髪が目をまばらに隠している。
 あのさ、と気まずそうに小さな口が動くのを、俺は極力なんでもないように装いながら見守った。
「汗、もう大丈夫?」
「もう、さすがに」
「そ、そっか」
 そう言うと前髪がさっきよりも大きい面積を隠す。これじゃあ朝と一緒じゃないかと、何でもいいから俺も話題を探す。
「歌、なんか歌った?」
「ううん、まだなんにも。そっちも歌ってないよね」
「そんな元気なくて」
 力なく笑うと、鏡写しのように相手も唇を申し訳程度に上げてくれた。朝よりかは、ましなコミュニケーションが取れている、気がする。
「朝来た時点で疲れてたもんね」
「そっちは何で歌ってないの?」
「いれたけど、まだ回ってきてない。あとちょっとだと思うけど」
 何を入れたのかと聞くと、少し気まずそうに笑って「We Are Young」とだけ短く答えた。
「え、洋楽?」
 似合わないな、と一瞬思ったけど、俺は今日一緒にゲームセンターまで行っただけの彼女の一体何を判断してそう思ったんだろう。名前も知らないのに、彼女の一体何が、洋楽に似合わないと決め付けたのだろう。
「まあ、一応」
 一番しかわかんないけどね、とますます具合が悪そうに肩をすぼめて彼女は付け加える。
 それがあんまりにも不都合そうなので返す言葉が見つからず、そこからまた、会話が少し途切れた。
 話題を変えたほうがいいかなと思い、脈絡もなく今日見た映画の話をした。
「映画、どうだった」
「ふ、普通? 私はああいうの観ないからよくわかんないけど、普通の女の子、あ、器口さんとかってああいうの観るのかなあって考えたりした、かな」
 俺も、と答えると、まあ見てたらちょっとびっくりすると笑って返された。
「そういえば器口さん泣いてたね」
「慰めてもらってたね」
「え、誰に?」
 首を傾げた俺に返ってきたのは、今日俺をここに呼んだ、そして器口さんと熱心に喋っていたヤツの名前だった。
「そういえばそっちも今朝アイツに呼ばれたの?」
「山口くんも?」
「うん、30分で用意しろとか無茶だよなあ」
 そうぼやくと私も、と苦笑いがその顔に浮かんだ。
「それであの映画だもんなあ」
「だねえ」
「しかもアイツの提案なんだよねえ」
 男子でそれってちょっと引かない? と付け加えると少し堅い口調で
「でもあれ、器口さんが観たいって言ったから」
と返された。
 え、そうなんだ。と言った後、今日一日を振り替えると二人でいるとこをみることが多かった気がする。
「なら絶対好きだよね、器口さんのこと」
「山口くん気付いてなかったの? 傍目からみててもわかるよ、あれ」
 あれ、のときに妙に語尾を吊り上げながら、彼女はぎこちなくごく普通に笑った。とても綺麗な笑い方だった。むじゅんしている、と頭の中で声が響く。
「映画、安っぽかったね」
 突然の話の転換に彼女は少し目を剥く。それくらい無理しないほうが、よっぽどいいと思う。さっきの綺麗な笑い方より、ずっといい。
「でも最後のシーンの台詞はよかった、かも」
 最後のって? と尋ねると、また幾分か決まりの悪そうな様子で眉を寄せて、ほとんど囁くみたいに抱き合うとこのだよ、と言った。
「あの台詞、そんなによかったのかな」
 女子ってもんはみんな総じてそうなんだろうか。
「きゅんとするとかじゃないいけど。どうせあんなに好きあって抱きしめたりしても無駄なのになあって考えると、可愛いなって」
「え?」
 答えがあまりにも意外だったので、聞き返す以外の反応が出来なかった。
「だってそうじゃん、どうせ何したってそのうち別れるんだし、別れなくっても別々に死んじゃうんでしょ。そういうこと考えたら、どうせ無駄なこと頑張っちゃって馬鹿だなあ可愛いなあって」
 あれだよあれ、コウノトリ信じてる子供見てるみたいなの。そう付け加えた彼女は、いやに饒舌で、俺は何にも答えられなかった。
 俺のその反応から何かを察したのか、彼女はまた決まりの悪そうな笑い方をした。
「無意味なこと、とか嫌いなタイプ?」
 これが俺の精一杯だった。
「うん。でも、しちゃうけどね。だから嫌い、なのかな」
 ごめん、なんか変なこと言っちゃって。そう言って完全に俯いてしまった。
 前髪の合間からは目は見えない。どんな顔をしているかなんて、わかるわけがなかった。
「変じゃないと思うよ、多分」
 今度は聞き返すのが真逆だった。
「俺も、楽しいことだけやってればいいかなって思うしそれ以外したくないけど、試合出れない部活出たりとかしてて、俺よりうまい人が空くの待ってる感じ、情けないけど、仕方ないし、多分」
 しばらくして彼女は唐突に顔を上げた。
 ゆっくりと唇を開くのを見つめていたけど、それは俺が期待したこととはまったく違い、彼女が予約した歌を歌うためのことだった。
 彼女はゆっくりとGirl give me a second I,――僕に時間をくれないか――と歌った。
 どこまでも日本人的な発音でwe are young――僕ら若いんだから――と言い訳のように歌った。
 仕方ないし、多分。なんて情けない言葉が頭の中で遅れて聞こえた。

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