12


「その……自転車、返してくれないか」
「だめ。チャリ乗って逃げちゃうかもしんないし」
「そ、そんなことしない」

何度かそのやりとりを繰り返し、自転車は透の手に握られたまま、自宅マンションの駐輪スペースまで運んでもらうはめになった。
そもそも逃げるかもというのはどういう言いがかりだ。話があるのは僕のほうなのに。

暗く静かな自宅に入るとひやりとした冷気に包まれた。風のある外よりはましだが、無人の家は違う意味で寒い。
もう慣れたことではあるけれど、一人暮らしの寂寥を感じるのはこの瞬間だ。
玄関の灯りをつけ、リビングに行き電灯とエアコンのスイッチを入れた。

「透、上がってくれ。部屋はすぐに温まると思う」

お邪魔します、という小さな声が玄関先から届いた。
冷えてしまった体を温めるために何かホットドリンクを淹れようとコートを脱いで放ったそのとき――うしろから冷たい塊に強く抱きすくめられた。

「とっ、透?」
「さむい……」

ごそり、と重たい衣擦れの音がたつ。防寒着を着込んだままの透が僕を背後から抱き締めている。

「寒いよ、先輩」

体に回された素手は白く乾いていて、おそろしく冷えていた。
耳に触れた透の鼻先も氷のように冷たい。なのに吐息は熱い。ぞくぞくと背筋が総毛立つ。

「先輩――」
「透、つ、冷たいから……」

体を捩ってその腕から抜け出す。ところが今度は正面から捉えられた。
すぐ近くに透の白く冷えた顔がありドキリとした。
そうして唇が触れる――寸前で、動きは止まった。

「……話って、なに」
「え?あ、ああ」

てっきりキスをするのかと思い込み、その態勢を取ってしまった自分が恥ずかしくなった。目の周りがじわじわ熱を持つ。
けれど僕と透は依然として、いつでも口付けられるほどに近い距離にいるから落ち着かない。

「ええと、じゃあ何か、茶かコーヒーでも……」
「いらない」

即答だった。だからさっさと話せと急かされているみたいだ。

「そ、その前に聞かせてくれないか。きみ、一体いつから店の前で待ってたんだ?」
「……先輩たちが店入ってから」
「それから、ずっと?」

透が無言で頷く。
僕と司狼が入店して一時間は経ってないが、少なくとも三十分は過ぎていたはずだ。その間あの場所で待っていたのか……全く気付かなかった。
驚きの事実に言葉を失っていると、透は自嘲気味に苦笑した。

「ヒイた?待ち伏せみたいなことされて」
「いや……。それならなおのこと、どうして声をかけてくれなかったんだ」
「真田先輩と一緒だったし……」

透の声が途端に不明瞭になる。見事なへの字口だ。

「せめて中に入ってればよかったのに。冷えただろ」
「別に、ヘーキだよ」
「それに、あの、天羽君も一緒にいたんだろう?彼だって寒空の下で大変だったんじゃ……」

言いながら顔が強張っていくのを感じた。彼のことが好きになれない僕は、気遣いの言葉がどうしても空々しくなってしまう。
透が短く息を吐いた。

「いーの。あいつは」
「いいってことは……」
「来るなっつったのに勝手に付いてきたんだし、それで寒くても風邪引いても自分の責任だから」

突き放すようなことを言う一方、透は天羽君と駅まで同道しきちんと見送った。そういう面倒見の良さや優しさは彼の美点だ。
だけれど――胸の奥にちりちりと燻るものがある。

「……僕は、彼が苦手だ」

意識せず言葉にしてしまったあとでハッとした。
慌てて取り繕おうとしたが両手首を透に捕まれたことで狼狽えてしまい、思考は纏まらずじまいだった。

「あっ、いや、その」
「なんで?」
「ぼ、僕個人の感覚で、決してきみの友人を貶める意図はないから、あの……今のは忘れてくれないか」

必死に言い募る。握られた手の冷たさに反して透の視線は熱い。逃がさないと言わんばかりに。

「……僕は、天羽君に嫌われてるみたいだから……」
「は?嫌われてる?って、どーして?」
「それは、たぶんきみに――」

ああ違う、そうじゃない。

「僕が、きみと仲良くしてるのを、良く思われてないから……だと思う」

透を好きになればなるほど、それに制止をかけるように天羽君の否定的な態度を思い出す。
透くんに近付かないでと、ぶつけられた辛辣な声音を今もどこかで恐れている。彼だけじゃなくて他の人にだってそう思われてるかもしれないと思えば尚更だ。
手首を握る手が、僕の両手へと柔らかく持ち替えられた。

「……先輩がさ、そういうふうに誰かのこと否定するのって珍しいよね」
「え?」
「『好き』か『興味ない』かのどっちかって感じだったのに」
「そ、そんなことはない。僕にも苦手な人はいる」
「そっか、だよね。つーか、あいつが先輩のことそんな好きじゃないっぽいのは知ってたけど……。ほら、最初の誤解をまだ引きずってんじゃないのかな」

最初の誤解というと、僕が透の迷惑な追っかけだと思われて注意を受けたときのことか。
果たしてそれだけだろうかと考えていたら、手に透の指が絡んだ。そしてぎゅっと深く握り込まれる。
優しいその手は強さも兼ね備えていて、懇ろな触れ合いに体温が上がった。


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