2
一駅の時間はそう長くない。僕は一旦降車する人の波に紛れて電車を降りた。
しばらく時間を置いて痴漢を撒き、そのあとにゆっくり帰ればいいと思った。
出口へ向かう人の流れに逆らい車両を変える。次の電車はそうかからずに来たのでホッとして乗り込んだ。
ところがまた背後から触られた気配がした。
先程と同じように太腿から尻を辿る感触。今度はさっきよりも大胆だった。
……もしかして、追ってきた?
最悪の想像に背筋が寒くなった。次の駅へは少し時間が長い。壁の方に寄っていたのは失敗だった。逃げ場がない。
心なしか耳元でフーフーという息遣いも聞こえる。
中学のときの男性教師を思い出して眩暈がした。気持ち悪い。
早く早く、と祈っていたら電車はホームに滑るように到着した。
僕はさっきと同じように降車し、今度は改札から出た。
まさかここまでは追ってこないだろうと思ったのに、僕のうしろを一定の間隔で歩いてくる人影があった。
暗くて顔までは見えないが、スーツを着た中肉中背の眼鏡の男のようだった。
気味が悪くなって僕はスマホを取り出した。
『もしもーし。先輩もう駅に着いたの?早くね?』
「と、透……」
『……どうした?何かあった?』
透の声を聞いた途端緊張の糸が切れて情けない声音になっていただろう。
それをすぐに察知したらしい透は、声を潜めて聞いてきた。
「勘違い、なら、いいんだが……その、知らない男に追われてる、かも……」
『……今どこ?』
「二駅先で降りた……いま駅から離れて歩いてる」
『今行くから待ってて。どっかコンビニとかファミレスとかそういうとこ入って。店入ったらメールして』
そう言ってぷつんと切れる通話。僕は途端に不安になった。
言われた通りに近場のコンビニに入った。店舗名を確認してすぐにメールを送る。
雑誌を読む振りをして透の到着を待った。
やはりあの眼鏡の男もコンビニに入ってきた。
そちらの方を見ないように必死で知らない振りをする。
ただ行き先が一緒で、彼もちょうどこのコンビニに用があった、それだけだと必死に言い聞かせる。こんなのはただの自意識過剰だ。
男は店内を一周して、そして僕の隣にぴたりと立った。男も雑誌を手に取る。
勘違いじゃ、ない。男は雑誌を読む振りをしながら僕のことをじっと見ている。
背は僕より低いがガッチリしている。年は僕より一回りは上に見えた。
じろじろと見られて冷や汗が出た。いたたまれない。幸いなことに店内は客がそれなりにいた。これならおかしなこともしてこないだろう。
僕はただ透の到着を待っていればいい――そう思っていたときだった。
「……きみ、綺麗だね」
男に話しかけられてビクッと肩を震わせた。
いや、僕に話しかけたんじゃない、きっと男の独り言だ。そう思って返答をしない。
「電車でさ、ちょっと感じてたよね?ソッチの子だと思ってたけど当たり?」
あの不快感をどうすれば『感じてた』になるのかわからない。
僕は俯いてやはり無視を決め込んだ。
「いつもあの電車乗ってるけど、こんな綺麗な子がいるなんて知らなかったな。どう、俺とちょっとメシでも食べない?」
僕は必死で首を振った。その様を見て男がくすくすと笑う。
「きみ可愛いね。そういうとこ、男心をくすぐるよ」
もう耐えられない。
そういう目で見られることに、そしてあからさまに男に誘われていることに。
怒りでか、恐怖でかは分からないが手が震える。
「いつもそんな感じ?隙ありすぎ――」
「先輩!」
聞きなれた声にハッと顔を上げた。
そこには自動ドアをくぐって息を切らせた透がいた。相当急いで来たのか顔が真っ赤だ。
透は真っ直ぐ僕のところまで歩いてきて、男を睨みつけた。男が舌打ちする。
そして透は、僕の腕を掴むと大股で歩いてコンビニを出た。
「先輩大丈夫だった?あのスーツの男?変なことされてない?」
僕は舌がもつれてうまく返答できず、曖昧に頷いた。
ぎゅっと透の手が僕の手を握る。引かれるままに僕は夜道を歩いた。
そうして電車に乗って、降りた先は透の家の最寄り駅だった。
「ごめん先輩。送ってこうと思ったけどアイツまだあとつけて来てる。一旦俺の家に行くね」
「……!」
小声で言われたことに怖くなって、後ろを確認しようとしたが透に手を引かれた。
「後ろ振り向かないで。アイツやばいよ。ストーカーくさい」
「と、透……」
「いいから俺に任せて」
頼もしい言葉に涙腺が緩む。返答の代わりに僕は透の手を強く握った。
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