6
ここに居座られたら出て行くに出て行けないと少し迷っていると、男女の声が途切れた。
それと共にかすかな衣擦れの音が聞こえる。
いや、まさか……まさかだろう?
戸惑いながら気配を探っていると、女性の切なげな声が上がった。
僕は思わず手で口を塞いだ。そうしないと大声を出してしまいそうだったから。
「ぁ……あん……」
僕達のいる場所からは離れているが、いきなり始められた情事に僕はひどく動揺した。
机の端に寄って体を小さくする。
徐々にエスカレートする行為。甘やかな嬌声。獣のような息遣い。
情事の熱気が伝わったように体が熱い。こめかみに汗が一筋流れた。
するとまたドアが開く気配がした。
見回りに来た教師だったようで、男女は慌てて逃げていった。教師がそれを追う。
再び静寂が訪れた。けれど僕は固まってしまって動けなかった。
指一本でも動かしたら伝わってしまいそうで……。――何を?何が?
時間をかけて口からゆっくり塞いでいた手を外す。そこで透の存在を思い出した。
ふと、彼に目をやると、真っ直ぐに僕を見つめていた。
やめてくれ。そんな目で、僕を見ないでくれ。
僕を暴かないでくれ。
透が僕との距離を詰める。その端正な顔が近づいてきて、僕は。
吐息がかかる。ごくりと浅ましく喉が鳴った。
そうして、透の薄くて赤い唇が、僕の唇を塞いだ。
一回離れて、また啄ばむように塞がれる。
弾力があって熱い唇、甘い吐息。
狭い空間に篭った熱気に眩暈がした。
「ふ……」
かすかに声が漏れる。それすら透の唇の狭間に消えていった。
ちゅ、ちゅ、と何度も口付けられる。気持ちが良くて、背徳的で、止められない。
透の綺麗な唇が僕に触れている。僕はきっとこれを待っていた。ほしかった。
瑞葉を突き放してまで求めてしまったもの。叶うわけがない、そう諦めていたもの。
徐々に深くなるキス。
僕はこのままどうなってしまってもいいと思った。男同士だとか、立場だとか、そういうもの全部忘れて。
「……先輩」
透の掠れた低い声に泣きたくなる。夢のような時間は終わってしまった。
脱力した体をぎゅっと抱きしめられて、僕は本当に溶けてしまうかと思った。
「紘人先輩……好き。大好き……」
そうしてまた口付けられる。唇を触れ合わせたまま、「好き」と透が囁く。
――僕はそれに応えられなかった。
僕は、校舎が閉まってしまいそうな時間になるまで透とキスをしていた。
手を握ったり、体を少し撫でられたりして、透の優しい唇に酔った。
透のキスは驚くほど気持ちが良くて腰が立たなくなるほどだった。
無理矢理体に喝を入れて机の下から這いずり出し、立ち上がると同時に透に抱きしめられた。
「……先輩」
甘い声で耳元で囁く透を、僕は引き剥がした。
「ごめん、透……」
「……ごめんって、何?」
「僕は……その」
また抱きしめられる。骨が折れてしまうかと思うほど強い力だった。
「聞きたくない」
「でも」
「先輩、俺のこと、ちゃんと考えて。俺、本気だから」
僕は目の前の男の言っていることが理解できなかった。
だって、彼は。透は――
彼女がいるじゃないか。
前編 END
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