13


家に戻ると、玄関先で靴を脱ぐ前に二人して抱き合った。
二人きりの空間に閉じこもった途端、透の体温が恋しくてたまらなくなり頬を擦り寄せた。
そうしたらドアを背に追い詰められ、透の唇が重ねられた。
玄関灯もつけないまま無言でキスを繰り返す。
外と違って屋内は音がこもる。かすかな息遣いも濡れた音も生々しく耳に届いて、体の奥が甘く疼いた。
しばらくそうしていたが、透のジャケットを握り込むと唇がゆっくり離れていった。

「ただいまー、と、おかえり?」
「ああ、きみも」

透の言葉でようやく家に帰ってきたのだと実感した。
リビングに上がると本格的に気が抜けて、コートをソファーの背に放り投げた直後に深い吐息が漏れた。
とても長いデートだったように思う。実際は数時間だけだったのに、疲労感で体が重く感じる。
傍らでデイパックを下ろしながら透が笑った。

「なんか寄り道したら冷えちゃったね」
「そうだな」
「だよね?てなわけでー……そんな紘人さんのために、いいもの持ってきました!」

いいもの、という言葉に首をひねりながら透を見やる。
そうしたら彼はスポーツバッグを探ったあと、なにやら含み笑いをしつつ僕の目の前に立った。

「じゃーん、はいこれ!」
「……入浴剤?」
「そ、バブルバスってやつ。面白そうだなーって思って買ってきたんだけど。どう、一緒に入ってみない?」

透が持っている使いきり小袋タイプの入浴剤には、たしかにそう書かれている。
おなじみのディスカウントストアに行ったとき、季節商品コーナーで目をとめて買ってきたそうだ。
それにしても、二人で風呂に入ろうと誘われるとむずがゆい気持ちになった。同時にシャワーを浴びる程度はしたけれど、そこまではまだやったことがない。
それでも透が僕としたいと思って考えてくれたことだ、断る理由がなかった。

「うん。わかった、入ろう」

頷くと、透が鼻歌まじりにはしゃぎつつ浴室に駆け込んだので、彼のあとを追った。



湯を溜めつつ入浴剤を投入したら、透は喜び勇んで服を脱ぎ、さっさと浴室に入った。ドア越しに「紘人もはやくー」と急かされて僕も慌てて入る。
浴室内はすでに湯気がもうもうと白く立ち込めていて、ベリー系の甘酸っぱい芳香が充満していた。
手招きされたのでシャワーで軽く体を流してから、透と向き合う形でそろりと湯に沈んだ。
湯量は少なめで、そのぶん水面は真っ白な細かい泡に覆われていた。

「――お〜、あんま期待してなかったけど、思ったよりモコモコになるね」

透の楽しそうな笑い声が浴室の壁に反響した。
湯は少しだけとろみがあり、半身が泡に埋まった。浸かったそばからじんわりと温まっていく。
泡でお互いの体が見えないので羞恥心はすぐに薄れた。雪にでも埋まっているみたいだ。
きめ細かな泡のふわふわとした感触に、体中がくすぐったく感じた。

「なかなか気持ちいいな」
「そーだね。こういうのって家族がいるとこじゃできないし」

両手で泡をたっぷりとすくった透は、フッと息を吹いて空中に散らした。
同じ動作を繰り返して彼が遊ぶ。まるで本当に雪が降っているように見えて、顔が緩んだ。

「なに笑ってんのー?」
「いや、きみが楽しそうだと思って」
「楽しいよ!……あーでもごめん、ちょっと嘘。まだモヤってる。あのさ、どーしても気になることあるんだけど、聞いてもいい?」
「なんだ?」

先を促せば、透は拗ねた表情でちゃぷちゃぷと泡の山を揺らした。

「日野って人のこと。あの人の気がある的な言い方もムカついたけど、紘人の態度のほうも気になっちゃって」
「僕?」

もう終わったと思った話題を蒸し返されて内心うろたえた。
透も落ち着かない仕草で泡をすくっては握り潰す。泡が逃げていくのに焦れたのか、かき集めて掌で弄んだ。

「あの人にアドレス渡されたとき、照れ方がハンパなかったの自分で気づいてる?なんつーか、昔好きだった子に対する反応みたいな?」
「そんな……」
「あとあの、あの人が最後に言ってた『修学旅行の夜』ってなんのこと?」

透にじっとり睨まれて返答に詰まった。
こういうとき彼が意外としつこいことを知っているので、観念して溜め息をついた。
下手にごまかすのは僕の性格上良くない。こうなったら正直に話してしまおう。

「……きみの言う通りだ。彼を恩人だと思ってるのは本当だが、その……一時期、好きだったことがある」
「まじで!!?」
「だからといって、何もなかったのも本当のことだ。友人と呼べるかどうかも少しあやしいくらいの、ごく薄い付き合いだったから」

透はまだ驚いている。目ばかりが口まであんぐりと開きっぱなしだ。
自分で言い出しておいてその反応はどうなんだ。

「えっ、でも男……あれ、西村先輩は?」
「僕は人付き合いが下手なせいか、その、惚れっぽいというか……優しくされたり親しくされると、すぐ好きになってしまうんだ。男女関わらず」

もごもごと声が小さくなる。蒸気の熱とは違う意味で顔が熱く火照った。
するとようやく口を閉じてごくんと唾を飲み込んだ透は、何故かホッとしたように目尻を下げた。

「あーそれでかぁ。や、紘人ってどーして男の俺のこと好きになってくれたのかなーってずっと疑問だったからさ」
「指向以前に、きみを好きにならない人なんていないと思うが」
「言いすぎ言いすぎ!そんなことないから!……あっ!てかもしかして前言ってた初キスしたのって、まさかあの人!?」

透の逞しい想像力に、つい声を上げて笑ってしまった。あんな他愛ない会話内容を覚えていたとは思わなかった。

「違う。それは子供の頃の話だ。このまえ写真で見ただろ」
「写真?」
「僕の姉と一緒に写ってた彼女。母方の従妹なんだ」

あれはたしか、十にも満たない年齢の頃のクリスマスシーズンのこと。彼女の家のホームパーティーに招かれたときの話だ。
ひとつ下の彼女はなにかと早熟で、ヤドリギの下に僕を強引にひっぱりこんだのだ。
そんな彼女も、次に会ったときにはボーイフレンドを紹介してくれた。僕の淡い初恋はそこであっけなく終わったのだった。
昔話をかいつまんで聞かせれば、透は呆然とした。

「……すげー、映画みたいで嫉妬心とか全然湧かないわ」
「する必要もない。僕はもう、透しか見ていないから」

流れに任せてそう言いきると、透は一転して明るく破顔した。


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