11


そのまま人混みに紛れてしまう。
ほんの数分の立ち話の間に夜闇に沈んだ広場は、僕たちの姿を雑踏にうまく溶け込ませてくれた。
透は迷いのない足取りでマーケットの出口へと進んでいる。どうやらこのまま帰るつもりらしい。

オーナメントはどうするのだろう。でもここで他の店をのぞいたら、さっきの透の言葉がその場逃れだったと彼らに知られてしまう。
この混雑の中、もう会うこともないだろうが――。

「――迷子になったときのことなんだけど」
「え?」

透に話しかけられたので、ぼんやりしていた意識を戻して耳を傾けた。

「屋台見てたときにね、すれ違ったお姉さんのバッグについてたチャームが俺のバッグにひっかかっちゃったんだよね。そんで、取るのにちょっと時間かかってやっと取れたーって思ったら紘人いなくなっててさ、マジ焦った」
「す、すまない……」
「いやいや責めてるわけじゃないから。俺もすぐそこにいると思って確認しなかったし。てか下手に動かなきゃ良かったんだけど、心配でじっとしてらんなかったんだよね。ほら前の……ストーカーのときのこととか思い出しちゃって」

この年で何を心配されるのかと思ったが、中年男に付きまとわれた件か。
もうはぐれないようにと言わんばかりに透の手が僕の肩に置かれた。そのまま歩きながら体を寄せてくる。
こんなに密着するなんて……と気になったものの、クリスマスムード漂うこの場所ではおかしくないように思えた。
誰も僕らを見ていない。このままでもいいじゃないかという、らしくない考えが頭をもたげる。すると透は、僕に顔を近づけて声をひそめた。

「さっきの、中学の同級生って言ってたけど四人ともそうなの?」
「い、いや。男だけで女子のほうは違う」
「あーそういうこと。なるほどね。つか間違ってたらごめんだけど……あの人たちと紘人って、あんま仲良くない?」

やはり見抜かれていた。そのことに耳の先がじんじんと熱くなった。
クラスメイトと距離を置いてまともに対人関係を築けなかった自分。今更ながら、それを透に知られるのが恥ずかしい。
彼は人懐っこく世渡り上手で、自分との差をどうしても思い知らされるから。

「なーんか紘人が困ってる感じしたからちょっと強引に抜けてきちゃったけど。大丈夫だった?」
「あ、その……」

それで助かったのは事実だ。
一方で、自身の問題なのにうまく対処できなかったことを情けなく思う。

何とも言い返せず気落ちしているうちに、最初に行ったフード屋台を通り過ぎた。
もうすぐ広場の出口だ。混雑に阻まれて進みが遅くなったけれど、アーチが見えるとホッとした。
ようやくこの迷路から抜け出せる――そんな心地で歩調が緩む。
そしてオーナメントを買うならこのあたりが最後のタイミングだ。そう思って透に話しかけようとしたそのとき、「松浦!」という声が背後から浴びせられた。

「待って、ちょっと、松浦!」

硬直してしまった僕とともに透も足を止めた。ひどく慌てた様子の日野君があとから追いかけてくる。
肩に回された透の手から咄嗟に抜け出したが、かわりに腕を掴まれた。

「ひ、日野、君?」
「松浦っ、ライン、交換して!」
「あの……すまない、僕はやってないんだ」
「えっ、そうなんだ?じゃあ連絡先教えてよ。話とか、色々したいから」

同級生から旧交を温めようと言われているだけだ。なのに、こんなにもうしろめたいのは何故だろう。
透がじっと僕と日野君を見ている。腕を握った手を離さない。握られたところが痛いような気がした。
思うところがあって迷っていたら、しびれを切らしたらしい日野君が早口で次の言葉を繋げた。

「あと今日一緒にいたの、俺の彼女とかじゃないから。佐藤に誘われて来たらいきなり合流してきて、四人でなんて聞いてなかったし、ホント、ただの友達」

どうしてそんな弁解みたいなことを言うのだろう、僕に。
心臓の動きがいっそう速くなった。耳の奥で鼓動の音がどくどくと妙に大きく響く。

「今日、佐藤に騙されたみたいなとこあったけど、でも来てよかった。松浦に会えたから。そっちは?」
「ぼ、僕は……」
「それとあの、修学旅行の班決めのときのこと覚えてる?」
「……ぁ、ああ、うん」
「くじ引きだったろ?あれ実は俺、他のやつと交換してもらったんだよ。松浦と同じ班になりたくて」

数年越しに聞かされた事実に、思考がぷっつり止まった。
また何かを言いかけた日野君だったが、思いついたように忙しなく上着のポケットをさぐった。
そうして「すぐ戻るから待ってて」と言い置いて近くの屋台に駆け込む。数秒とかからず本当にすぐ戻ってきた日野君は、その手を僕の前に突き出してきた。

「これ、俺の番号とアドレス。連絡して、必ず」

手を取られ、握らされたものは皺の寄った小さい紙だった。油性ペンで走り書きされた数字とアルファベットがちらりと見える。
屋台に行ったのは店員からペンを借りるためだったらしい。
色々な感情がごちゃ混ぜになって喉が詰まる。
俯いて地面しか見えていなかった当時の僕にとって、日野君は光明だった。その彼本人からそんなことを言われては、どうしても胸がざわつく。

昔に戻ってしまったように声が出なくなる。曖昧に頷いたあと紙を柔らかく握り込んだ。
続けて「松浦」、と遠慮がちに呼びかけられる。

「修学旅行の夜のこと――怒ってる?」

思わずビクッと震えた。体が足元から冷えていく。
当時、日野君と何があっただろう。僕が怒るようなことが思い出せない。旅行は特に何事もなく日程が過ぎて、消灯時間になった。
そして寝息の響く夜中に、僕は悪戯をされた。
あれが誰だったかは知らない。顔なんて見なかった。知ろうともしなかった。知りたくない。
日野君も何のことかをはっきりとは言わない。夜、先生に隠れてやったカードゲームのときのことかもしれない。

ただ、よりによって透の前でそんなことを言ってほしくなかった。
日野君の真意がどうあれ、僕のほうはやましい思いで占められているから。
おそるおそる隣を見ると、透も明らかに不機嫌そうに唇を尖らせていた。その透に手の甲を強く握られる。

「紘人、早く行こ」
「あ、ああ。それじゃあ、これで……」

日野君に消極的な別れの言葉を告げて、今度こそ広場を出た。彼のほうは振り返らずに駅の改札口へと足早に向かう。

ホームに入ったその瞬間に電車がちょうど良く到着した。
乗り込んだ車内で透はそっぽを向いていた。けれど僕の手を掴んだまま離さない。離してくれと言える雰囲気でもなかった。

一方、逆の手には日野君から渡されたアドレスの書かれた紙を握りしめていた。
よく見たらそれはコンビニのレシートで、飲み物とのど飴を買ったと印字されている。
電車に揺られながら、居心地悪くレシートの文字を目で追った。数分おきに駅に止まるのがまどろっこしい。
行きは短かった乗車時間も、帰りは泥の中を進んでいるかのように遅く感じた。


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